死角
翌朝。
湊はクロ、シロ、アカを連れて森の外縁へ向かった。昨日レーアから聞いた、行方不明者が最後に確認された場所を一つずつ見るためだ。
リーネは王宮に残っている。家族と話すこともあるし、レーアから事件についてもう少し詳しく聞いておくと言っていた。
森へ入ると、朝露の匂いが濃くなった。湿った土を踏むたび、靴の裏で柔らかな苔が沈む。
*
最初の場所は、森の南東側だった。
十一か月前。最初の一人が姿を消した場所だ。
細い道から数歩外れるだけで、太い幹と低い枝が視界を塞いだ。振り返っても、さっきまで歩いていた道が葉の向こうへ半分ほど隠れている。
湊は周囲を見回した。
「……見えないな」
肩のクロが耳を動かす。
「十歩も離れれば、道からはほとんど見えん。声も通りにくい」
風が吹く。葉擦れの音が重なり、少し先で落ちた小枝の音さえすぐに紛れた。
シロが地面へ鼻を寄せる。何度か場所を変えて匂いを探ったあと、顔を上げた。
――ない。
十一か月前だ。残っていなくてもおかしくない。
「次へ行こう」
そこから二つ目、三つ目と回った。
九か月前。七か月前。
どちらも道から少し外れた場所だった。木々が密集し、人の目が届かない。争った跡も、残された物もない。
さらに先へ進む。
五か月半前。四か月半前。三か月半前。
湊は歩きながら、頭の中で日付を並べていた。
「……間が短くなってる」
クロが答える。
「ああ」
三か月前。二か月半前。二か月前。
一か月半前。一か月前。
そして最後は、十日前。
最後の場所も、細い採取道からわずかに外れた窪地だった。頭上まで枝が重なり、昼前なのに薄暗い。
湊はしゃがみ、土へ指を触れた。
乾きかけた落ち葉が崩れるだけだった。血もない。引きずった跡もない。
「獣人国の時と似てる」
バルムでも、一人になった者が痕跡を残さず消えていた。
クロが地面を見下ろす。
「偶然にしては揃いすぎているな」
「一人になる場所。見られにくい場所」
「それに、次第に間隔が短くなっている」
湊は立ち上がった。
誰かが待っていたようにしか見えない。
どこで一人になるのか。どの道なら人目が切れるのか。
森の外から眺めているだけでは、ここまで都合よく選べない。
「……中を知ってる奴がいる」
クロはすぐには答えなかった。
やがて、尾の先が一度だけ揺れる。
「その可能性は考えておけ」
湊は頷いた。
*
十二か所を回り終える頃には、陽がかなり高くなっていた。
帰路につく前に、湊は世界樹の方角を見た。
昨夜から気になっていることがある。
「クロ。少しだけ近くを通っていいか」
「マナか」
「ああ」
世界樹へ近づくにつれ、肌に触れる空気が変わった。濃いマナが細かな熱のようにまとわりつく。
クロが肩の上で身を起こす。
しばらく黙ったまま、金色の目を細めた。
「……やはり偏っている」
「どっちへ?」
クロの鼻先がゆっくり北西へ向く。
「こちらだ。流れの一部が、北西へ引かれている」
湊もその方角を見る。
木々が重なっているだけで、その先までは見えない。
「場所まで分かる?」
「いや。ここからでは方角だけだ」
風が抜け、世界樹の葉が遥か上でざわめいた。
「見に行くか」
口にしてから、湊はもう一度北西を見る。
クロは少し考えた。
「先に戻れ。リーネたちへ話してからでも遅くない」
「そうだな」
行方不明者のこともある。勝手に森の奥へ踏み込むより、一度情報を合わせた方がいい。
湊は踵を返した。
*
王宮へ戻ると、リーネが客間にいた。
窓辺の椅子へ腰を下ろし、足元には飲みかけの茶が置かれている。
「おかえり。どうだった?」
「十二か所、全部見てきた」
湊は向かいへ座った。
「全部、人目が切れる場所だった。争った跡もほとんどない。獣人国の時と似てる。それと、消える間隔がだんだん短くなってる」
リーネの眉が寄る。
「最後は十日前だったね」
「ああ」
「……嫌な感じだね」
湊は続けて、世界樹の北西へマナの流れが偏っていたことも話した。
リーネは少し考えたあと、頷く。
「それもレーア姉さまに伝えよう。勝手に北西へ入るより、その方がいい」
「うん」
少し間が空いた。
リーネが茶の器へ手を伸ばしたが、飲まずに戻した。
「こっちも、一つ気になる話があった」
「何?」
「オウル兄さま」
湊は黙って続きを待った。
「最近、一人で出かけることが増えたんだって。前は側仕えや護衛を連れてたのに、気づくといないことがあるって」
「どこへ?」
「それが分からないみたい」
リーネの指が器の縁をなぞる。
「それだけなら、まあ兄さまも大人だしって思うんだけどさ。レーア姉さまは、他にも気にしてた」
「他にも?」
「昔より怒りっぽくなったって。エルフ以外の相手に、きついことを言う時もあるらしい」
紫の瞳が、少しだけ伏せられた。
「あたしが知ってるオウル兄さまは、そういう人じゃなかった」
クロが寝台の上から顔を上げる。
「昨日会った時は?」
「昔と変わらなかったよ」
答えは早かった。
そのあとで、リーネは小さく息を吐く。
「だからレーア姉さまも困ってるんだと思う。ずっとおかしいなら分かりやすいのに、普段は今まで通りなんだって」
部屋の外で、誰かの足音が通り過ぎた。
湊は昨日の食卓を思い出す。
妹の頭へ手を置いて笑ったオウル。行方不明者の調査に加わっていると言った声。
少なくとも、あの時は不自然には見えなかった。
「……分かった」
リーネも頷いた。
窓の外では、夕方の光が世界樹の葉を透けていた。
森の北西は、ここからでは見えなかった。




