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王宮の客人

レーアがリーネを離した。


紫の瞳がまだ少し潤んでいる。その向こう、王宮の入口にはいつの間にか何人ものエルフが集まっていた。


「リーネ」


静かな声に、リーネが振り返る。


銀髪の女性が立っていた。そのそばには、リーネとどこか面差しの似た女性たちが並んでいる。


「……母さま。姉さまたちも」


いつもの軽い調子が少しだけ消えた。


王妃がリーネの頬へ手を添える。


「おかえり」


それをきっかけにしたように、姉たちからも「おかえり」の声が重なった。リーネは困ったように笑いながら、一人ずつ顔を見ていく。


湊は少し離れたところで、その様子を見ていた。


レーアがこちらへ気づき、表情を整える。


「お客様ね。リーネの旅の仲間?」


「うん。湊。それと従魔が三匹」


「湊です」


湊が頭を下げると、王妃と姉たちも穏やかに会釈を返した。


レーアの視線が、湊の肩にいるクロへ移る。


「……きれいな黒猫ね」


クロが金色の目で見返した。


一瞬だけ、レーアの目がその金色に留まる。それでも何も聞かず、次に足元のシロへ視線を落とした。


「銀狼なのね。小さいけれど、立派な毛並み」


シロの尾が揺れる。


――やさしい。このひと。


――ああ。


アカは湊の反対側の肩にしがみついたままだった。森へ入ってから、赤い羽根が落ち着かない。


レーアがその様子を見る。


「火のそばなら、少し落ち着くかしら。客間に炉を用意させるわ」


「ありがとうございます」


アカが小さく鳴いた。


レーアは微笑み、王宮の中へ手を向けた。


「立ち話も何でしょう。まず休んでちょうだい」



王宮の中へ入る。


壁は木そのものだった。太い根が廊下の壁面を這い、ところどころで淡い光が流れている。窓らしい窓は少なく、枝葉の隙間から落ちる光が床へ揺れていた。


森の中より、空気がさらに甘い。


クロが湊の肩で小さく息を吸った。尾の先が一度だけ動く。


レーアが振り返る。


「客間はこちらよ。リーネ、あなたの部屋はそのまま残してあるから」


「え。まだ残ってるの」


「当たり前でしょう」


後ろから、姉の誰かが笑う声がした。


リーネは少しだけ俯き、それから顔を上げる。


「……ありがとう、姉さま」


レーアは何も返さず、リーネの肩を軽く叩いた。


客間も木で作られていた。壁も床も柔らかな木目で、寝台の木枠へ触れるとわずかに温かい。


シロが部屋の中を嗅ぎ回る。元の大きさへ戻った銀狼が歩くたび、床がかすかに鳴った。


――いいにおい。ここ、すき。


――気に入ったか。


――うん。あったかい。


部屋の隅には、頼んだ通り小さな炉が用意されていた。アカがすぐそばへ移り、火へ顔を向ける。しばらくすると、逆立っていた羽根がようやく落ち着いた。


クロは寝台へ飛び乗ると、そのまま丸くなる。


「もう寝るのか」


金色の目が一度だけ開き、また閉じた。


湊は苦笑して荷物を下ろした。



夕刻、レーアに食事へ呼ばれた。


長い木の卓には、昼に出迎えた王妃と姉たちも座っていた。リーネが席につくなり、旅先のことを尋ねる声があちこちから飛ぶ。


「一度に聞かれても答えられないって」


リーネが笑う。


長く離れていたとは思えないほど、そのやり取りは普通の家族のものに見えた。


そこへ、一人の青年が入ってきた。


銀髪。紫の瞳。リーネやレーアと同じ面差しを持つが、二人より背が高い。


「オウル。久しぶりだね」


リーネが声をかける。


青年の目が大きくなった。


「……リーネ。本当に帰ってきたんだね」


「元気そうだね、兄さま」


オウルは近づくと、昔からそうしていたようにリーネの頭へ手を置いた。


「背も伸びてない」


「伸びるわけないでしょ。もう止まってるんだから」


リーネが手を払い、卓のあちこちから笑いが漏れた。


オウルも笑ってから、湊へ向き直る。


「君がリーネの旅の仲間か」


「湊です」


「オウル・ファルシオン。リーネの兄だ。妹が世話になっている」


差し出された手を握る。強く握り込むでもなく、探るような感じもない。少なくとも、湊には穏やかな人に見えた。


「こちらこそ、お世話になってます」


「それ、あたしが言う方じゃない?」


リーネが口を挟む。


また笑いが起きた。


食卓には木の実や果物、薄く焼いたパン、蜂蜜を使った根菜料理が並んでいた。肉料理は見当たらない。


「エルフは肉を食べないんだよ」


隣のリーネが小声で言う。


「知ってる」


「あたしは外で食べてるけどね」


「知ってる」


「何その返し」


湊が少し笑うと、リーネが肩をぶつけてきた。


食事が進むにつれ、王妃や姉たちもリーネの旅の話へ耳を傾けていた。誰かが皿を寄せれば、リーネは礼も言わずに取る。代わりに遠い皿を押し返す。


長く離れていたはずなのに、そこだけは昨日まで一緒にいたようだった。


レーアが湊を見る。


「湊さんは、リーネとどこで出会ったの?」


「エルダの冒険者ギルドです」


「まだ冒険者を続けているのね」


「やってるよ。楽しいからね」


リーネが先に答えた。


レーアは小さく息を吐く。王妃の口元もわずかに緩んでいた。


「それで、湊さんはどうしてこの国へ?」


湊はリーネを見る。


小さく頷きが返る。


「獣人国で、行方不明者を追っていました。奴隷狩りの痕跡があって、その手がかりを辿るうちに、エルフ領の境界へ繋がったんです」


卓の空気が変わった。


笑い声が止まる。


レーアが手元の杯を置いた。


「……この国でも、行方不明者が出ているの」


リーネの顔から笑みが消える。


「行方不明者?」


「ここ一年ほどで十人以上。森の外に出た者だけじゃない。森の中で姿を消した者もいるの。父上が調査を命じているけれど、まだ手がかりはないわ」


王妃と姉たちは黙って聞いていた。


オウルが口を開く。


「森の結界があるのに、中で人が消える。僕も調査に加わっているけれど、なかなか進まなくてね」


声は穏やかなままだった。


湊は頷く。


膝の上のクロは目を閉じたまま、何も言わなかった。



食事が終わると、オウルが先に立った。


「明日、森を案内するよ。湊にも見てほしい場所がある」


「お願いします」


「それじゃあ、また明日」


オウルが部屋を出ていく。


レーアだけが、閉じた扉へ一拍長く目を向けていた。


やがて王妃と姉たちも席を立つ。リーネへ向けて、また明日という声がいくつか重なった。


「明日どころか、同じ王宮にいるんだけど」


リーネが笑う。


最後にレーアが立ち上がった。


「今日はゆっくり休んでね。話したいことは、まだたくさんあるから」


「うん」


レーアも部屋を出ていく。


リーネは椅子の背へ体を預けた。


「オウル兄さま、昔からあんな感じだったよ。兄弟の中でも穏やかで真面目でさ。あたしが森を出る時も、反対しなかった」


少しだけ目を細める。


「『気をつけて』って。それだけ」


「仲、いいんだな」


「まあね」


リーネは天井を見上げた。根の表面を淡い光がゆっくり流れている。


「……変わってないね。よかった」


それから立ち上がる。


「母さまたちにも、まだ捕まりそうだから行ってくる」


「おやすみ」


「おやすみ、湊」


扉が閉じる。



客間へ戻ると、シロは寝台の脇で伏せ、アカは炉のそばで眠っていた。クロだけが寝台の上から湊を見ている。


「……妙だな」


「何が?」


「ここのマナだ」


クロは壁を這う根へ目を向けた。


「三十年前に来た時より濃い。だが、森の外で感じた結界は、あの頃より薄かった」


湊も根を見る。


「それって、おかしいのか」


「少なくとも、同じ方向の変化には見えん」


クロの尾が寝台を一度叩く。


「まだ何とも言えん。覚えておけ」


「ああ」


根の中を、淡い光がゆっくり流れていた。


一定の間隔で明滅しながら、夜の王宮を静かに照らしていた。


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