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釈放されたのは、審問の翌日だった。


地下牢の鉄格子が開き、教会騎士が湊とリーネの手枷を外した。従魔たちの籠も開けられる。クロはすぐ湊の肩へ飛び乗り、シロが足元へ寄ってくる。アカは翼を広げ、そのまま湊の頭へ止まった。


「やっと出られたね」


向かいの牢から出てきたリーネが首を鳴らす。騎士たちは何も言わず、誰も湊たちと目を合わせようとしなかった。


大聖堂を出ると、朝の光が目に刺さった。白い石畳も、噴水も、行き交う人々も昨日までと変わらない。鐘の音に足を止め、祈る者もいる。


そのすぐ後ろで、何人もの人間が倒れたことなど知らないように。


宿へ戻り、部屋の扉を閉めたところで力が抜けた。湊はそのままベッドへ倒れ込む。分身を牢へ残したままの潜入と、審問まで張りつめていた反動が一度に来たらしい。


クロが枕元へ丸くなった。


――寝ろ。


――うん。


目を閉じると、すぐに意識が落ちた。



それから三日ほど、湊は起きて食べては眠った。リーネが食事を運び、クロはほとんど傍を離れなかった。


四日目の朝になって、ようやく身体の重さが抜けた。


窓を開ける。乾いた風と、石と香の匂いが部屋へ流れ込んだ。遠くで朝の鐘が鳴っている。


「起きたか」


窓辺のクロが振り返る。


「ああ」


「教会も動き始めた。新しい枢機卿が決まったそうだ」


「誰?」


「テオドール。先代枢機卿の側近だった男だ。リーネも三十年前に会っているらしい」


湊は少し安心した。少なくとも、突然現れた見知らぬ人間ではない。


「アルベルトのことは?」


クロの尾が窓枠を一度叩いた。


「神罰を受けて倒れたことは公表された。だが、双子の入れ替わりと先代聖女の殺害までは出していない」


「……隠すんだ」


「ああ。テオドールの判断らしい」


窓の下では、白い衣の人々が大聖堂へ向かって歩いている。昨日までと同じように、胸元の太陽へ手を触れていた。


湊はしばらくそれを見ていた。


「ラターシュさんは?」


「教会の中では、殺された経緯も含めて名誉が戻った。ただ、外には職務中の事故死としたままだ」


指先に力が入った。


正しいことをしようとして、殺された。そのことを知らないまま、街では今日も鐘が鳴っている。


「気に入らん顔だな」


「……うん」


それでも、ラターシュが残したものまで消えたわけではない。


湊は窓を閉めた。



五日目の午後、湊は一人で大聖堂を訪れた。


正面扉の向こうには、白い柱が長く並んでいた。高い天蓋にはステンドグラスが嵌め込まれ、午後の光が赤や青、金色の帯になって床へ落ちている。


審問の日とは違い、広間は静かだった。


湊は祭壇まで歩いた。石の上には創造神の聖画が掲げられている。


祈り方は知らない。


それでも、少しだけ祈りたかった。


ラターシュのこと。セレナのこと。この国で、何も知らないまま生きている人たちのこと。


湊は目を閉じた。


どれくらいそうしていたのか分からない。


不意に、声が届いた。


――異世界の子よ。


肩が強張った。


目を開けても、広間には誰もいない。ただ、ステンドグラスの光が床の上で揺れていた。


――恐れるな。


審問の日、セレナを通して響いたものと同じ声だった。今はもっと静かで、すぐ近くから聞こえる。


――汝は我が子らの過ちを正し、囚われた子の心を救った。


湊は祭壇を見上げた。


――この地の過ちは、我が子らが自ら正さねばならぬもの。だが、汝がいなければ、闇はさらに深くなっていた。


光がわずかに強くなる。


――感謝する。異世界の子よ。


赤、青、金、緑。色の違う光が一瞬だけ重なり、祭壇の上へ落ちた。


そして、消えた。


広間に静けさが戻る。


湊はしばらく動けなかった。


――神様ってのは、いるんだね。


昨日のリーネの声が蘇る。


「……いるんだな」


小さく呟いた時、入口から足音が聞こえた。


振り返る。


侍女に手を引かれ、セレナが歩いてきていた。白い衣と長い金髪。薄い青灰色の瞳は、静かに正面へ向いている。


広間の中ほどで立ち止まる。


「……ここで大丈夫です」


「しかし、聖女様」


「少しだけ、一人にしてください」


侍女が迷ったあと、一礼して入口へ下がった。


セレナは一人で歩き出した。足取りは慎重だったが、迷ってはいない。湊の数歩前まで来ると、顔を上げた。


「……あなたですね」


「うん」


「あの夜、私の部屋に来てくれた人」


セレナが微笑む。


「ずっと、お礼を言いたかったんです」


「俺は大したことしてないよ」


「しました」


柔らかい声だったが、そこだけは迷わなかった。


「あなたが私に、外へ出たいかと聞いてくれたから」


セレナは胸の前で両手を組んだ。


「冒険者さん。あなたに、神の祝福がありますように」


目を閉じ、古い祈りの言葉を紡ぎ始める。意味は分からなかった。それでも、声が高い天井へ静かに昇っていくのを湊は聞いていた。


やがて、組んだ手の隙間から淡い金色の光が漏れた。


祈りが止まる。


セレナが目を開けた。


湊は息を呑んだ。


薄い青灰色だった瞳の奥に、淡い金色が灯っている。神降ろしの時の強い光とは違う。朝の陽射しのような、柔らかな色だった。


その瞳が動く。


真っ直ぐ、湊の顔へ。


「……見える」


掠れた声が落ちた。


セレナが瞬きをする。


「見える……見えるの」


涙が溢れた。


「あなたの顔が、見える」


両手で口元を覆う。肩が震えていた。


湊は何も言えなかった。


セレナは顔を上げる。天蓋。白い柱。ステンドグラスを抜けて落ちる赤や青の光。その一つ一つを追うように、金色の瞳が動いていく。


「光って……こんなに」


言葉が途切れる。


「きれい……」


今度の涙は止まらなかった。


セレナが入口を振り返る。開いた扉の向こうには、白い石畳と噴水、その上に広がる青い空があった。


一歩。


もう一歩。


セレナは光の中へ進んでいく。


――一度でいいから、世界を見てみたいな。


あの夜の声が、湊の胸に戻ってきた。


大聖堂の扉の前で、セレナが振り返る。


涙で濡れた顔が笑っていた。


「ありがとう」


湊は頷いた。


セレナは外へ歩いていった。


初めて見る世界へ。



宿へ戻ると、リーネが窓辺に座っていた。


「遅かったね」


「少し、寄り道した」


クロが湊の肩へ飛び乗り、鼻先を寄せてくる。


――何かあったな。


――……うん。あとで話す。


荷物はもうほとんどまとまっていた。


ラターシュが調べていた記録そのものは消されている。枢機卿室にも、グランデルへ直接繋がる書類は残っていなかった。


それでも、湊たちが聖典庫で見たものまで消えたわけではない。


魔力吸収魔道具が送られた先。南方諸島とエルフ領境界。


「次は、どこへ行くんだい」


リーネが聞く。


「エルフ領境界。魔道具の行方を追います」


クロが頷いた。


「南方へ渡るより先に、陸路で追える方からだな」


「エルフの国か」


リーネが窓の外を見る。紫の瞳が、少し遠くなった。


「久しぶりだね」


「リーネさんの故郷ですよね」


「まあね」


銀髪を掻き上げ、リーネは立ち上がった。


「行こうか」


湊も頷く。


宿を出ると、白い街に鐘が鳴っていた。石畳と香の匂いの向こうに、東へ続く道がある。


街の門を抜ける。


広い道の先には、まだ見えない森が待っていた。


湊は東へ歩き出した。


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