表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
57/64

神罰

「――汝、アルベルト。偽りの枢機卿よ」


大聖堂の石壁が、低く震えた。


枢機卿の顔が歪む。初めて聞く名だった。けれど、その名を呼ばれた男の反応だけで、湊には十分だった。


「汝は三年前、同胞たる兄を毒により殺害した。同じ顔を利用し、聖なる座を簒奪した」


ざわめきが広間を走った。聖職者たちが顔を見合わせ、壁際の騎士たちが落ち着かない様子で足を動かす。セレナは立ったまま、金色の光を宿した瞳を前へ向けていた。


「汝は聖女マリアを殺害した。真実に気づいた側近三名を殺害した。聖なる座を穢し、教会の権威を私物と化した」


傍聴席で椅子の鳴る音がした。高位聖職者の一人が、顔を覆うように俯いている。


「嘘だ!」


アルベルトが立ち上がった。


「これは偽りだ! 聖女に神が降りたことなど一度もない! この被告が何らかの魔術で聖女を操っている!」


叫びは天蓋へ跳ね返った。だが、セレナの口から流れる声は揺らがない。


「汝は聖職者の地位を悪用し、罪なき者を奴隷として送り、その魔力を奪う行いに加担した。さらに、その罪へ至る記録を隠した」


湊の手枷が、指先の動きに合わせて小さく鳴った。


「司書官ラターシュは、その記録に気づいた。汝はラターシュの報告を受け、口封じを命じた。魔力吸収魔道具による殺害。そして証拠の隠滅を、汝の手の者に命じた」


壁際で、騎士の一人が膝をついた。ラターシュの手首から腕輪を外した男だった。


「わ、私は……命令されただけだ……」


掠れた声が、静まり返った広間にはっきり届く。


アルベルトが男を睨んだ。その顔から、さっきまでの穏やかな聖職者の色が消えていた。


「汝、アルベルト。および、汝の命に従い罪を犯した者たち。――神の名において、有罪とする」


天蓋のステンドグラスが震え、壁の聖画へ淡い光が走った。周囲で聖職者たちが次々に膝をつく。騎士の手から剣が落ち、石床を打つ乾いた音が重なった。


アルベルトだけが立っていた。


蒼白だった顔に、別の色が浮かぶ。恐怖より先に、怒りが滲んだ。


「……ふざけるな」


低い声だった。


「神が裁く? 神が? ――その神が、俺を捨てたんだ」


枢機卿としての整った口調はもうなかった。握りしめた拳が震えている。


「双子は忌み子だと。神の教えに反する存在だと。生まれた瞬間から、俺は存在してはいけない人間だった」


誰も遮らない。広間には、アルベルトの声だけが響いた。


「兄は枢機卿になった。聖女に祝福され、民に敬われ、光の中で生きた。俺は地下で育てられた。名前すら呼ばれず、教会の裏で、存在しない人間として生きてきた」


赤く充血した目が、聖職者たちを見渡す。


「兄を殺した? ああ、殺した。聖女を殺した? 殺した。教会を私物化した? した。――だが、それが何だ。この教会が俺にしたことに比べれば、何ほどのものだ」


その声には、長年積もったものが剥き出しになっていた。言い逃れのために今作った言葉には聞こえなかった。


「神の教えが俺を捨てた。教会が俺を捨てた。兄が俺を見捨てた。誰も、一度も、俺を人間として扱わなかった」


リーネが目を伏せた。


湊は、鉄の手枷を見下ろしてから顔を上げた。


「ラターシュさんは関係ない」


アルベルトの目が湊へ向く。


「あの人は、ただ正しいことをしようとしただけです。あなたの怨みとは、何の関係もない」


唇が歪んだ。


「関係ない? ――関係ないさ。あの女は邪魔だっただけだ。俺の計画の邪魔をする者は、誰であろうと排除する。それだけのことだ」


今度は誰もざわめかなかった。


アルベルトが笑う。乾いた、壊れたような声だった。


「神の裁き? 笑わせるな」


法衣の内側へ手が入った。


細い短剣が光る。


「神が俺を裁くなら――その神の器を、壊してやる」


アルベルトが裁定席を蹴った。


騎士たちが動く。だが、聖女の席までは近い。湊も立ち上がった。手枷が鳴る。


間に合わない。


振り下ろされる短剣の先で、セレナは動かなかった。金色の瞳がアルベルトへ向いている。


「――哀れな子よ」


神の声には、怒りではなく悲しみがあった。


次の瞬間、天蓋の上から光が落ちた。


白とも金ともつかない光がアルベルトを包み、短剣が弾け飛ぶ。甲高い音を立てて石床を滑った直後、光の中を稲妻が走った。


閃光が広間を塗り潰した。


湊は反射的に目を閉じた。瞼の裏まで白く焼ける。遅れて、焦げたような匂いが鼻を刺した。


光が薄れ、目を開ける。


アルベルトは石床に倒れていた。白と金の法衣は焦げ、体から細い煙が上がっている。動かなかった。


壁際では、腕輪を外した騎士も崩れ落ちていた。


その直後、大聖堂の奥から短い悲鳴が上がった。一つではない。遠く、別の場所でも何かが倒れる音が続いた。


誰も動けなかった。


セレナがゆっくりと席へ戻った。瞳を満たしていた金色が薄れ、長い髪も静かに肩へ落ちる。体が小さく傾き、侍女が慌てて駆け寄った。


「……終わった、の」


今度は、昨夜聞いたセレナ自身の声だった。


湊は手枷をつけたまま、広間を見渡した。倒れたアルベルト。膝をついた聖職者たち。床に転がる剣と短剣。その上へ、ステンドグラスを通った朝の光が差している。


足元の籠で、クロの金色の目が湊を見上げた。


――終わったな。


――ああ。


隣で、リーネが長く息を吐いた。


「……神様ってのは、いるんだね」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ