神罰
「――汝、アルベルト。偽りの枢機卿よ」
大聖堂の石壁が、低く震えた。
枢機卿の顔が歪む。初めて聞く名だった。けれど、その名を呼ばれた男の反応だけで、湊には十分だった。
「汝は三年前、同胞たる兄を毒により殺害した。同じ顔を利用し、聖なる座を簒奪した」
ざわめきが広間を走った。聖職者たちが顔を見合わせ、壁際の騎士たちが落ち着かない様子で足を動かす。セレナは立ったまま、金色の光を宿した瞳を前へ向けていた。
「汝は聖女マリアを殺害した。真実に気づいた側近三名を殺害した。聖なる座を穢し、教会の権威を私物と化した」
傍聴席で椅子の鳴る音がした。高位聖職者の一人が、顔を覆うように俯いている。
「嘘だ!」
アルベルトが立ち上がった。
「これは偽りだ! 聖女に神が降りたことなど一度もない! この被告が何らかの魔術で聖女を操っている!」
叫びは天蓋へ跳ね返った。だが、セレナの口から流れる声は揺らがない。
「汝は聖職者の地位を悪用し、罪なき者を奴隷として送り、その魔力を奪う行いに加担した。さらに、その罪へ至る記録を隠した」
湊の手枷が、指先の動きに合わせて小さく鳴った。
「司書官ラターシュは、その記録に気づいた。汝はラターシュの報告を受け、口封じを命じた。魔力吸収魔道具による殺害。そして証拠の隠滅を、汝の手の者に命じた」
壁際で、騎士の一人が膝をついた。ラターシュの手首から腕輪を外した男だった。
「わ、私は……命令されただけだ……」
掠れた声が、静まり返った広間にはっきり届く。
アルベルトが男を睨んだ。その顔から、さっきまでの穏やかな聖職者の色が消えていた。
「汝、アルベルト。および、汝の命に従い罪を犯した者たち。――神の名において、有罪とする」
天蓋のステンドグラスが震え、壁の聖画へ淡い光が走った。周囲で聖職者たちが次々に膝をつく。騎士の手から剣が落ち、石床を打つ乾いた音が重なった。
アルベルトだけが立っていた。
蒼白だった顔に、別の色が浮かぶ。恐怖より先に、怒りが滲んだ。
「……ふざけるな」
低い声だった。
「神が裁く? 神が? ――その神が、俺を捨てたんだ」
枢機卿としての整った口調はもうなかった。握りしめた拳が震えている。
「双子は忌み子だと。神の教えに反する存在だと。生まれた瞬間から、俺は存在してはいけない人間だった」
誰も遮らない。広間には、アルベルトの声だけが響いた。
「兄は枢機卿になった。聖女に祝福され、民に敬われ、光の中で生きた。俺は地下で育てられた。名前すら呼ばれず、教会の裏で、存在しない人間として生きてきた」
赤く充血した目が、聖職者たちを見渡す。
「兄を殺した? ああ、殺した。聖女を殺した? 殺した。教会を私物化した? した。――だが、それが何だ。この教会が俺にしたことに比べれば、何ほどのものだ」
その声には、長年積もったものが剥き出しになっていた。言い逃れのために今作った言葉には聞こえなかった。
「神の教えが俺を捨てた。教会が俺を捨てた。兄が俺を見捨てた。誰も、一度も、俺を人間として扱わなかった」
リーネが目を伏せた。
湊は、鉄の手枷を見下ろしてから顔を上げた。
「ラターシュさんは関係ない」
アルベルトの目が湊へ向く。
「あの人は、ただ正しいことをしようとしただけです。あなたの怨みとは、何の関係もない」
唇が歪んだ。
「関係ない? ――関係ないさ。あの女は邪魔だっただけだ。俺の計画の邪魔をする者は、誰であろうと排除する。それだけのことだ」
今度は誰もざわめかなかった。
アルベルトが笑う。乾いた、壊れたような声だった。
「神の裁き? 笑わせるな」
法衣の内側へ手が入った。
細い短剣が光る。
「神が俺を裁くなら――その神の器を、壊してやる」
アルベルトが裁定席を蹴った。
騎士たちが動く。だが、聖女の席までは近い。湊も立ち上がった。手枷が鳴る。
間に合わない。
振り下ろされる短剣の先で、セレナは動かなかった。金色の瞳がアルベルトへ向いている。
「――哀れな子よ」
神の声には、怒りではなく悲しみがあった。
次の瞬間、天蓋の上から光が落ちた。
白とも金ともつかない光がアルベルトを包み、短剣が弾け飛ぶ。甲高い音を立てて石床を滑った直後、光の中を稲妻が走った。
閃光が広間を塗り潰した。
湊は反射的に目を閉じた。瞼の裏まで白く焼ける。遅れて、焦げたような匂いが鼻を刺した。
光が薄れ、目を開ける。
アルベルトは石床に倒れていた。白と金の法衣は焦げ、体から細い煙が上がっている。動かなかった。
壁際では、腕輪を外した騎士も崩れ落ちていた。
その直後、大聖堂の奥から短い悲鳴が上がった。一つではない。遠く、別の場所でも何かが倒れる音が続いた。
誰も動けなかった。
セレナがゆっくりと席へ戻った。瞳を満たしていた金色が薄れ、長い髪も静かに肩へ落ちる。体が小さく傾き、侍女が慌てて駆け寄った。
「……終わった、の」
今度は、昨夜聞いたセレナ自身の声だった。
湊は手枷をつけたまま、広間を見渡した。倒れたアルベルト。膝をついた聖職者たち。床に転がる剣と短剣。その上へ、ステンドグラスを通った朝の光が差している。
足元の籠で、クロの金色の目が湊を見上げた。
――終わったな。
――ああ。
隣で、リーネが長く息を吐いた。
「……神様ってのは、いるんだね」




