審問
地下牢へ戻ると、湊は壁際に寝かせていた分身を消した。張りつめていた集中が切れ、頭の奥に重さが残る。影の中を長く移動した疲れも重なっていたが、休む前に話しておくことがあった。
向かいの牢では、リーネが鉄格子のそばまで来ていた。クロも籠の中で起きている。湊は声を落とした。
「リーネさん。分かったことがあります」
「うん。聞かせて」
湊は順に話した。ラターシュの腕輪を外した騎士が枢機卿へ報告していたこと。ラターシュの記録を消し、自分だけを主犯に仕立てるつもりでいること。グランデルと繋がり、次の新月にも人を送り出そうとしていることだ。
リーネの表情から、少しずつ笑みが消えていった。
「やっぱり、上まで繋がってたんだ」
「はい」
「それで、聖女の子は?」
湊はセレナのことも話した。外から鍵を掛けられた部屋にいること。目が見えないこと。そして、三年前のこと。
「先代の聖女と、先代の枢機卿が、同じ頃に亡くなったそうです」
「枢機卿も?」
「先代には、表に出されなかった双子の弟がいたって。先代が亡くなったあと、その弟が兄として表に出たと聞きました」
しばらく、リーネは何も言わなかった。やがて鉄格子へ指をかける。
「三十年前の枢機卿なら、あたしも会ってる」
「どんな人でした?」
「信仰には真面目だったよ。民のこともよく見てたし、聖女を道具みたいに扱う人じゃなかった。勇者が何か無茶を言っても、最後までちゃんと話を聞いてくれる人だった」
紫の瞳が少し遠くなる。湊はそれ以上聞かなかった。
クロが静かに口を開いた。
「明日の審問で、話せることを話せばいい」
リーネが頷く。
「証拠は消されてる。でも、見たことまで消えるわけじゃない」
「俺もそうします」
「それでいいよ」
少し間を置いて、湊は続けた。
「セレナには、迎えに来るって約束しました」
リーネの口元が僅かに緩む。
「なら、まず明日を越えないとね」
「はい」
その夜は、それ以上話さなかった。
*
朝になった。
地下牢には外の光が入らない。それでも、看守の交代と足音の増え方で時間が分かった。鉄格子が開き、教会騎士が四人入ってくる。
「審問の時間です」
手枷を嵌められ、湊とリーネは牢を出た。クロ、シロ、アカは鉄籠のまま運ばれていく。湿った地下を離れて階段を上がるにつれ、香の匂いが強くなった。大聖堂へ入ると、色ガラスを通った朝の光が白い床へ落ちている。
審問の間は、大聖堂の中央にあった。円形の広間に高い天蓋がかかり、壁一面に聖画が描かれている。中央には二つの被告席。正面の高い場所には裁定席があり、その左に白い布を掛けた小さな席が一つ置かれていた。
湊とリーネは並んで座らされた。従魔たちの籠は足元へ置かれる。周囲には白い法衣の聖職者と教会騎士が並び、後方には高位聖職者らしい者たちが座っていた。
やがて扉が開き、白と金の法衣を纏った男が入ってきた。銀髪。整った顔。穏やかな目元。
隣で、リーネの呼吸が一瞬止まった。
「……同じ顔」
湊にだけ聞こえる声だった。
男はそのまま裁定席へ進み、静かに腰を下ろす。昨夜、扉越しに聞いた声と同じだった。
もう一つの扉が開いた。侍女に手を引かれ、セレナが入ってくる。白い衣に長い金髪。薄い青灰色の瞳は、何も映していない。
聖女の席へ座る直前、セレナの顔が僅かにこちらへ向いた。湊は何も言わなかった。セレナも表情を変えない。
枢機卿が書類を開く。
「神の御前にて、審問を始めます」
広間のざわめきが消えた。
「被告、冒険者ミナト。および白銀のリーネ。聖典庫司書官ラターシュ殺害の容疑により、審問にかけます」
読み上げられたのは、湊たちが不審な交易記録を調べていたこと、ラターシュから南棟へ呼び出されていたこと、そして彼女の遺体のそばに二人がいたことだった。最後に枢機卿が顔を上げる。
「弁明はありますか」
湊は立ち上がった。手枷が小さく鳴る。
「俺たちは、ラターシュさんを殺していません」
「では、誰が?」
「分かっていることを話します」
湊は枢機卿だけを見た。
「ラターシュさんは、グランデルから流れた魔道具の記録を調べていました。南方諸島とエルフ領境界へ送られた、魔力を奪う器具です。昨日の朝、その記録について教会本部へ報告すると言っていました。夕方に呼ばれて行った時には、もう亡くなっていました」
周囲で小さく声が上がる。枢機卿の表情は変わらなかった。
「それが、あなた方が殺していない証拠になるのですか」
「まだあります」
湊は壁際の騎士へ目を向けた。ラターシュの左手から腕輪を外した男がいる。
「ラターシュさんの手首には、昨日までなかった銀の腕輪がついていました。獣人国で見た魔力吸収の器具と似たものです。教会騎士が部屋へ入ったあと、その人が脈を確かめるふりをして腕輪を外しました」
広間の視線が一斉に男へ集まる。騎士はすぐに顔を上げた。
「そのような事実はありません」
「俺は見ました」
枢機卿が静かに口を挟む。
「被告の証言だけです。腕輪が存在したことを示す物もない。あなた方が調べていた記録も、現在の聖典庫には確認できません」
「消したからでしょう」
空気が少し張った。枢機卿の目が細くなる。
「証拠のない中傷です」
湊は黙った。同じ言葉を重ねても、何も増えない。
隣で椅子が鳴った。リーネが立ち上がる。
「あたしからも、一ついい?」
「白銀のリーネ。どうぞ」
リーネは、初めて見るその男の顔をじっと見た。
「三十年前、勇者と一緒にこの国へ来た時、当時の枢機卿に会ってる。信仰に真面目で、民の話をちゃんと聞く人だった。聖女のことも大事にしてた」
枢機卿は何も言わない。リーネの紫の瞳が細くなる。
「その顔は知ってる。でも、あたしが三十年前に会った人じゃない」
ざわめきが広がった。
「何を根拠に」
声から、僅かに柔らかさが消えている。
「三年前に、その人は亡くなったと聞いた。先代には、表に出されなかった双子の弟がいた。そのあと、その弟が同じ顔で表に出たとも」
「誰から聞いた話です」
リーネは答えなかった。
「先代の聖女も同じ頃に亡くなってる。先代の近くにいた人も何人か消えた」
「もう結構です」
枢機卿の声が低くなる。
「白銀の剣聖ともあろう方が、出所も明かせない噂を神前で語るとは」
リーネは肩を竦めた。
「噂かどうかは、そっちが一番分かってるんじゃない?」
枢機卿の顔から笑みが消えた。一瞬だけだった。すぐに元の穏やかな表情へ戻る。
「審問を続けます」
書類が閉じられた。
「被告ミナトについては、司書官殺害の嫌疑を覆す証拠なし。白銀のリーネについては、直接の関与を示す材料に乏しい。よって、被告ミナトを殺人の罪により死罪。白銀のリーネは証拠不十分として釈放とします」
広間がざわめいた。昨夜聞いた通りの裁定だった。
リーネが一歩前へ出ようとするより先に、湊が口を開く。
「待ってください」
「裁定は下しました」
「まだ終わっていません」
湊は左側の席へ目を向けた。セレナは両手を膝の上で重ねたまま座っている。
「聖女にも、話を聞いてください」
その言葉で、枢機卿の目が初めて明確に動いた。
「聖女は審問の立会人です。証言者ではありません」
「三年前のことを知っているかもしれない」
「何を根拠に?」
湊は答えなかった。ここで昨夜セレナの部屋へ入ったことまで話す必要はない。
「本人に聞けばいい」
枢機卿の口元に、薄い笑みが戻る。
「聖女は神の御前に座す象徴です。被告の都合で証言を求める存在ではありません」
セレナは動かない。
湊は彼女の横顔を見た。昨夜、外へ出たいと聞いた時、何度も頷いていた少女。今は白い衣を着せられ、黙ってそこに座っている。
枢機卿が再び口を開く。
「死罪の執行については――」
その時、広間の空気が変わった。
ステンドグラスから落ちていた朝の光が僅かに揺れ、高い天蓋のどこかで低い響きが一度だけ鳴った。話していた枢機卿が口を閉じ、聖職者たちも騎士たちも動きを止める。
セレナが立ち上がっていた。
侍女の手を借りず、一人で。白い衣の裾が床へ落ち、長い金髪が風もないのにゆっくりと揺れる。
薄い青灰色の瞳の奥に、金色の光が灯った。
湊は息を止めた。昨夜のセレナとは違う。けれど、何が起きているのかは分からない。
セレナの唇が開く。
そこから響いたのは、少女の声ではなかった。
「――裁定を、下す」
枢機卿の顔から、色が消えた。




