↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
54/91

鍵の向こう

地下牢は暗かった。


天井の隅にある小さな魔石灯が、湿った石壁と鉄格子をぼんやり照らしている。湊は壁に背を預けて座っていた。手枷は外されているが、無銘も苦無もマジックバッグも取り上げられている。


牢の隅には三つの鉄籠が置かれていた。クロは金色の目を細め、シロは小さな体を丸めている。アカだけが落ち着かず、鉄格子を嘴で何度もつついていた。


——ここ、いや。でたい。


シロの不安がパスを通じて流れてくる。


「アカ。今はやめとけ」


湊が小さく言うと、アカは不満そうに一度鳴いて嘴を止めた。


向かいの牢にはリーネがいる。銀髪の少女は壁に背を預け、片膝を立てていた。廊下の奥では看守が一人、椅子に座っている。


湊は《音操》で周囲の音を抑え、声を落とした。


「明日の朝、審問だと思います」


「たぶんね。すぐどうこうする気なら、こんなところへ入れないだろうし」


クロが籠の中から口を開いた。


「今夜、少し確かめておいた方がいいな」


湊は顔を向ける。


「あの騎士を追う?」


ラターシュの腕から銀の腕輪を抜き取り、手袋の中へ隠した男。顔は覚えている。


「ああ。お前なら位置を追えるだろう」


湊は右手を見る。《マッピング》と《影魔法》。それに、昨日覚えたばかりの《分身》。


「分身をここに残して、俺が見てくる」


リーネが少し考えてから頷いた。


「寝かせておけば、遠目じゃ分かりにくそうだね」


「無理はするな」


クロの声は静かだった。


「うん。分かったことだけ見て戻る」


「ああ」


湊は《マッピング》を開いた。大聖堂の地下構造が浮かび、昨日の騎士を探すと、大聖堂の上層に赤い印がある。


「上にいる」


リーネが鉄格子越しに湊を見る。


「気をつけて」


「はい」


湊は牢の奥で《分身》を作った。もう一人の自分を壁際へ横たえ、目を閉じさせる。薄暗い牢なら、看守が鉄格子の外から覗いた程度では気づきにくい。


それを確認してから、湊は自分の影へ沈んだ。



影の中では、外の音も光も消えた。


代わりに、石壁や廊下の形が《マッピング》と重なり、周囲へ伸びる影の繋がりだけが感覚として残る。


湊は短く影を渡った。地下牢を抜け、階段沿いの影を辿って上へ進む。


二階、三階と上がるにつれ、通路は広くなった。絨毯が敷かれ、区画も細かく分かれていく。目当ての赤い印は、さらに奥にある。


《マッピング》に、扉の前で動かない二つの光点が映った。衛兵だろう。


湊は少し離れた柱の影へ移り、そこで全身を戻した。同時に《隠密》《音操》《認識阻害》を重ねる。


柱の陰に身体を寄せる。


扉の向こうから、低い声が漏れていた。


「——腕輪は」


「回収しました。現場に入った他の騎士は気づいておりません」


聞き覚えがある。


ラターシュの腕から腕輪を隠した騎士だ。


湊は呼吸を浅くし、声へ意識を向けた。


「冒険者どもは?」


「地下牢です。明朝、審問にかけます」


「白銀のリーネまで捕らえたのは余計だったな」


少し間があった。


「ですが、現場におりましたので」


「三十年前の英雄を殺人犯にすれば、アルカディアが黙っていない。ローギュストまで出てくる」


湊の眉が僅かに動く。


「では、どうなさいますか。枢機卿猊下」


背中が冷えた。


パスへ意識を向ける。


——枢機卿だ。


クロから返ってきたのは、短い返事だった。


——ああ。


室内の話は続く。


「リーネは証拠不十分で釈放する。男の方だけを主犯にしろ。筋書きは任せる」


「承知しました」


「ラターシュが残した記録は?」


「聖典庫の該当箇所は差し替えました。冒険者が作った写しも押収済みです。私室も今夜中に調べます」


「痕跡を残すな」


紙をめくるような音がした。


「グランデルには、問題なく片づけたと伝えろ」


湊の指が、柱の陰で強く握られた。


——グランデルと繋がってる。


——聞こえた。


クロの声にも、それ以上の言葉はなかった。


「次の新月の便ですが、予定通り十二人で進めます」


「調達は」


「エルフ領境界です。南方諸島への受け入れにも問題ありません」


昨日見た交易記録が、頭の中で重なる。


十二人。


南方諸島。


エルフ領境界。


「主魔封石は?」


「七割ほどまで戻ったと、ヴェルナー殿から」


「まだ三割あるか」


「供給を急がせています」


「よい。予定を遅らせるな」


こめかみの奥が重くなった。


湊はすぐ柱の影へ戻る。


視界と音が消えた直後、扉が開いた。ラターシュの腕輪を隠した騎士の光点が廊下へ出て、そのまま遠ざかっていく。


——戻る。


——ああ。


湊が来た道へ意識を向けた、その時だった。


《マッピング》の端に一つの光点がある。


枢機卿の部屋よりさらに奥。突き当たりの小さな部屋に、一人だけいた。扉の外側には大きな錠前の形が映っている。


湊は少し迷った。


——奥に誰かいる。外から鍵を掛けられてる。


返事まで、ほんの少し間があった。


——気になるなら見てこい。長居はするな。


——うん。


湊は影を渡った。



扉の下へ落ちた影を抜ける。


外は見えない。


ただ、《マッピング》には狭い部屋と、一人分の光点がある。


その時。


「……誰か、いるの?」


湊の意識が止まった。


まだ影から出ていない。


物音も立てていないはずだった。


「騎士の人では、ないでしょう?」


少女の声だった。


湊は少し迷い、部屋の隅にある影から全身を戻した。


最初に感じたのは、花の匂いだった。


白い部屋。壁も床も白い石で、家具は小さな寝台と机、本棚だけ。高い位置の窓から、月明かりが細く差し込んでいる。


寝台の縁に、一人の少女が座っていた。


長い金髪。白い寝衣。年は湊と同じくらいに見える。こちらへ向いた瞳は薄い青灰色で、焦点が合っていなかった。


目が見えていない。


それなのに、少女は湊が出てきた方を向いていた。


「やっぱり、いた」


「……驚かせてごめん」


「いいの。少し、気配が変わったから」


少女は小さく笑った。外から錠を掛けられた部屋に一人でいるのに、不思議なくらい穏やかな声だった。


「あなたは、誰?」


湊は少し考える。


「冒険者です」


名前は言わなかった。


「冒険者……」


少女はその言葉を確かめるように繰り返した。


「私はセレナ。この国では、聖女と呼ばれているわ」


「聖女?」


「ええ」


セレナは窓の方へ顔を向けた。


「ねえ、冒険者さん。一つだけ聞いてもいい?」


「何?」


少し間があった。


「今、外はどんな空?」


湊は高い窓を見上げた。


細い四角の向こうに、夜空がある。雲はなく、星がいくつも見えた。


「晴れてる。星が出てるよ」


セレナの顔が、ほんの少し緩んだ。両手が膝の上で重なる。


「そう。……ありがとう」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。