白い嘘
翌朝、湊たちはもう一度、聖典庫を訪ねた。
東棟の入口には昨日と同じ衛兵が立っている。湊がラターシュ司書官に会いたいと告げると、衛兵は少しだけ困った顔をした。
「ラターシュ司書官は本日、不在です。朝早く教会本部へ向かわれました。ただ、昨日の閲覧者が来たら渡してほしいと、こちらを預かっています」
差し出された白い封筒には、几帳面な文字で『冒険者殿』と書かれていた。
湊は礼を言い、大聖堂前の広場へ戻ってから封を切った。リーネとクロが横から覗き込む。
『冒険者殿
昨日の調査について、教会本部へ報告に参ります。
十五年前、ヴェルナー・グレイスが召喚術に関する文献を集中的に閲覧していたこと、また交易台帳に不審な取引が残されていることは、聖教国として確認すべき内容だと考えています。
報告後にお伝えしたいことがあります。本日の第六鐘、大聖堂南棟の記録保管室でお待ちしております。
入口の衛兵には私から話を通しておきます。
ラターシュ』
「律儀な人だね」
リーネが手紙を見ながら言った。
「昨日も、もう少し調べるって言ってたし」
クロは湊の肩で、白い紙をじっと見ていた。
「正規の手順で上へ報告したか」
「何か気になる?」
「昨日見つけた記録には、聖教国の内側で止められた荷もあった。誰が関わっているかは、まだ分からん」
それだけ言って、クロは大聖堂を見上げた。
湊は《マッピング》を開き、ラターシュの名を探した。大聖堂の奥に名前付きのピンがあり、ゆっくりと位置を変えていた。
「中にはいる」
「なら、夕方まで待とう」
湊は頷き、手紙を革袋へしまった。
*
昼間は街を歩いた。
白い壁も、店先の金の太陽も昨日と変わらない。鐘が鳴れば人々が足を止め、祈りが終わればまた商売や仕事へ戻っていく。
湊は何度か《マッピング》を確かめた。ラターシュのピンは大聖堂の中を移動し、午後になると南棟の方へ入っていった。
「南棟に移った」
リーネが空を見上げる。
「そろそろ約束の時間だね」
まだ第六鐘には少し早い。
二人と三匹は宿へ一度戻り、必要なものだけを持ってから大聖堂へ向かった。
*
第六鐘が鳴った。
夕陽を受けた大聖堂の尖塔が、白から金へ色を変えている。
南棟は本棟の裏手にあり、東棟よりさらに飾り気がなかった。窓は小さく、人の出入りもほとんどない。入口の衛兵へラターシュの名を告げると、すぐに頷いた。
「伺っております。記録保管室は二階の一番奥です」
石造りの廊下へ入る。足音が薄く反響した。
二階は魔石灯も少なく、外から差し込む夕陽だけが床を細く照らしている。突き当たりまで進むと、一枚の扉が半分ほど開いていた。
湊は足を止めた。
「ラターシュさん?」
返事はない。
肩のクロの耳が立つ。リーネの手が剣の柄へ近づいた。
湊は扉を押した。
床に、人が倒れていた。
薄茶色の髪。灰色の上着。少し離れた場所には銀縁の眼鏡が落ちている。
「ラターシュさん!」
駆け寄って膝をつく。首筋へ指を当てたが、脈はなかった。
肌が冷たい。
「……死んでる」
声がうまく出なかった。
リーネは入口へ背を向けず、部屋の中を見回している。クロは湊の肩から降り、ラターシュのそばへ近づいた。
外傷は見えない。血の匂いもない。
クロが鼻先を寄せ、目を細める。
「魔力が、ほとんど残っていない」
湊の視線がラターシュの左手へ落ちた。
細い銀色の腕輪が巻かれていた。
昨日までなかったものだ。
触れると、指先に微かなざらつきのような魔力の残滓が伝わる。獣人国から持ち帰った壊れた輪を思い出した。
「これ……」
湊が手を伸ばす。
その時、リーネが振り返った。
「湊。来る」
階段の方から足音が上がってくる。
一人や二人ではない。金属が擦れる音まで混じっていた。
湊は腕輪の留め具を探した。だが継ぎ目が見えない。
足音はもう扉の前まで来ている。
白い鎧が見えた。
教会騎士が五人。抜いた剣の切っ先が一斉にこちらへ向く。
「動くな」
先頭の騎士は、床のラターシュと、その横に膝をつく湊を見た。
「ラターシュ司書官殺害の容疑で、貴殿らを拘束する」
「違う。俺たちは呼ばれて――」
「証言は審問で聞く。武器を置け」
背後でも窓枠が鳴った。
別の騎士が二人、外から部屋へ入ってくる。退路まで塞がれた。
湊はリーネを見た。
紫の瞳が静かに返ってくる。
七人。
抜けようと思えば、できるかもしれない。
クロが足元で低く言った。
「従え。ここで剣を抜けば、それまでだ」
湊は奥歯を噛んだ。
無銘を鞘ごと腰から外し、苦無も床へ置く。リーネも何も言わず、剣を鞘ごと差し出した。
手首に冷たい枷が嵌まる。
二人の騎士が湊とリーネを扉へ向かわせた。残った騎士たちはラターシュの周囲へ集まる。
湊は一度だけ振り返った。
騎士の一人がラターシュの左手首を取った。脈を確かめるような動きのまま、指が銀の腕輪へ滑る。
一瞬だった。
腕輪が外れ、そのまま白い手袋の中へ消えた。
湊の足が止まりかける。
背中を押された。
声は出さなかった。
クロも同じ騎士を見ていた。金色の目が細くなる。
同じものを見ていた。
廊下へ出る直前、床に落ちた銀縁の眼鏡が目に入った。
昨日、あの眼鏡の奥でラターシュは笑っていた。
正しい手順で報告すると言っていた。
夕陽が細い窓から差し込み、白い壁を橙色に染めている。
その光の中を、湊たちは連行されていった。




