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もう一人の自分

アルカディアを発って、五日目。


湊たちは聖教国へ向かう商隊の護衛をしながら、西へ進んでいた。荷馬車は四台。布と染料を積んだ商人たちで、最初の二日は乗り合い馬車を使い、三日目からこの商隊に合流している。


銀級三つ星になったばかりの湊と、白銀の剣聖リーネ。顔合わせの時、商隊の隊長は二人を見比べてから、思わず声を漏らした。


「……ずいぶん豪華な護衛だな」


「方向が同じだっただけだよ」


リーネが笑う。


街道は広く、轍の跡も深かった。交易路だけあって人通りは多く、遠くには別の荷馬車の列も見える。


クロは荷馬車の幌の上で丸くなっていた。


「揺れるな」


「歩くより楽だろ」


「私はもともと歩いていない。お前の肩に乗っていた」


「それ、俺が歩いてるんだよ」


横を歩いていたリーネが吹き出した。


「ほんと仲いいね」


「普通ですよ」


「そうかな」


クロの尾が幌の上を一度叩く。


「余計なことを言うな」


「はいはい」


リーネは気にした様子もなく前を向いた。クロもそれ以上は言わず、また目を閉じた。



昼の休憩で、商隊は街道脇の草地へ入った。


商人たちが焚き火を起こしている間、シロは少し離れた場所で腹を地面につけていた。子犬ほどの大きさになった体を長く伸ばし、陽を浴びている。


リーネが隣へ座ると、シロは一度だけ青い目を向けた。耳が動き、そのまま頭をリーネの腿へ乗せる。


「ずいぶん慣れたね」


湊はその様子を見て笑った。


「シロ、人見知りなんですけどね」


「じゃあ、気に入られたってことにしておこうかな」


リーネが耳の後ろを掻くと、シロの目が細くなった。尻尾が草を撫でる。


パスを通じて、気持ちよさそうな感覚が伝わってきた。


そこへアカが飛んできて、リーネの頭へ降りる。小さな嘴が銀髪をつついた。


「ちょっと、アカ。髪は食べ物じゃないよ」


ぴぃ、と返事のような声がした。


手で追われたアカは一度舞い上がり、今度はリーネの肩へ降りる。そのまま頬へ顔を擦りつけた。


リーネの手が止まった。


「……本当に熱くないんだね」


「はい。見た目だけなら熱そうですけど」


指先で赤い羽を撫でると、アカは気持ちよさそうに目を閉じた。


幌の上からクロが見下ろす。


「随分と愛想がいいな」


アカが顔を上げ、ぴぃ、と少し強く鳴いた。


「張り合わなくていいだろ」


湊が言うと、リーネが笑った。


三ヶ月前なら、こんな昼休みは想像もできなかった。



午後、街道は森へ入った。


木々の影が道へ長く落ち、荷馬車の車輪が乾いた枝を踏む音が続く。《マッピング》を広げていた湊は、少し先に三つの光点を見つけた。


「前に三体いる。街道の近く」


商隊の隊長が手綱を引く。


「魔物か?」


「見てきます。ここで待っていてください」


リーネも剣の柄へ手を添えた。


「必要なら入るよ」


「お願いします」


クロたちは商隊のそばへ残し、湊だけが森へ入った。


百メートルほど進むと、街道を塞ぐ三体の大牙猪が見えた。三メートル近い体に、不釣り合いなほど長い牙が伸びている。


銅級相当。今なら、試すまでもない。


湊は《隠密》《音操》《認識阻害》を重ね、木の影へ沈んだ。背後へ回って身体を戻し、無銘を抜く。


一体目の首を斬る。崩れる体を見て二体目が振り向いた時には、湊はもう別の影へ入っていた。


突進が空を切る。側面へ出て背を斬り、体勢を崩したところへもう一度刃を入れる。残った一体が牙を向けて突っ込んできたが、ぎりぎりまで引きつけて横へ抜け、すれ違いざまに喉を裂いた。


三体が動かなくなるまで、長くはかからなかった。


少し遅れてリーネが歩いてくる。


「綺麗になったね」


「何がですか?」


「戦い方。無理に速く動かないし、相手が向いた先にもういない」


湊は血を払って無銘を鞘へ戻した。


「無銘にずっと言われてるので」


「先生、効いてるじゃん」


——先生ではない。


頭の奥へすぐに声が届く。


湊が笑うと、リーネも察したらしく肩をすくめた。


「今も否定された?」


「はい」


二人はそのまま商隊へ戻った。



夜は街道脇の開けた場所で野営した。


商人たちが眠りにつき、湊が焚き火の前で見張りをしていると、右手の甲が淡く光った。膝の上にいたクロが目を開く。


「今日の分か」


「ああ」


湊は紋様へ意識を向けた。


金色の光が強まり、そのまま腕を伝うように体へ染み込んでくる。道具ではない。意味が頭の中へ流れ込んだ。


《分身》。


自分と同じ姿を、魔力で作り出す力。


湊は右手を見た。


「分身が出た」


「ほう」


クロが膝から降りる。


「試してみろ」


焚き火から少し離れ、魔力を流す。


体の内側から何かを引き出されるような感覚があり、目の前の空気が揺れた。次の瞬間、そこに湊がもう一人立っていた。


顔も服も体格も同じだった。


ただ、目だけが動かない。


「……俺なんだけど、不気味だな」


「お前より素直そうだ」


「動いてないだけだろ」


少し離れて見張っていたリーネも気づき、こちらへ来た。


「ほんとに増えた」


湊は分身へ意識を向ける。


右手を上げる。


一拍遅れて、分身の右手が持ち上がった。歩かせると一歩、二歩と進むが、膝や肩の動きがぎこちない。


湊自身も歩いてみる。


途端に分身の足が止まった。


「同時は難しいな」


自分を動かしながら、もう一つの体へ細かく指示を送ろうとすると、頭の中で両方がぶつかる。分身へ集中すれば、自分の足元がおろそかになった。


「意思はないの?」


リーネが聞く。


「ないみたいです。全部、俺が動かす」


「じゃあ今は、操り人形に近いね」


湊はもう少し魔力を流した。


隣に二体目が現れる。


一体目を歩かせると、二体目は立ったまま動かなかった。意識を二体目へ移せば、今度は一体目が止まる。


「増やせても、動かせないか」


クロが分身の間を歩く。


「今は一体で慣れる方がよさそうだな」


「そうする」


それでも、どこまで出せるかは知っておきたかった。


さらに魔力を注ぐ。


三体目が形になった途端、頭の奥が重くなった。呼吸も少し浅くなる。三体の輪郭は一体だけの時より薄く、しばらくすると端から揺らぎ始めた。


湊はすぐに消す。


足元が僅かにふらついた。


「増やすほどきついな」


「そうだな」


クロが戻ってきた。


「一体を自然に動かせるようにしろ。それだけでも囮にはなる」


湊は森での戦いを思い返す。


自分と同じ姿が正面から走れば、その一瞬だけ相手の目を奪えるかもしれない。その間に影へ入ることもできる。


「隠密とは相性よさそうだな」


「ああ。使い方はある」


それ以上、クロは説明しなかった。


リーネが分身の消えた場所を見る。


「また変なの引いたね」


「便利そうです」


「その感想も毎回同じなの?」


「だいたい」


リーネが笑った。


見張りを交代する時間が近づいていた。湊は水を一口飲み、焚き火へ薪を足す。


《分身》。


まだまともに歩かせることもできない。


それでも、影へ沈む自分とは別に、もう一人の自分が地上に残る。その光景だけは、はっきり想像できた。



七日目の朝。


街道の先に、白い尖塔が見えた。


朝靄の向こうに幾つもの塔が浮かび、その先端で金色の太陽が光っている。やがて白い城壁も見え始め、商隊の隊長が御者台から振り返った。


「見えたぞ。聖教国だ」


リーネが目を細める。


「三十年ぶりだな」


「やっぱり、変わってます?」


「遠くからじゃ分からないよ。でも、塔は増えた気がする」


その声に少しだけ懐かしさが混じった。


肩のクロが白い街を見つめる。


「……聖教国か」


「嫌そうだな」


「好きになる理由がない」


リーネが笑う。


「まあ、元魔王にはそうだろうね」


クロの耳が動いた。


「今はクロだ」


「知ってるよ」


それだけ言って、リーネはまた前を向いた。


白い城壁が近づいてくる。


ヴェルナーの足取りと魔道具の流通、売られた獣人たちの痕跡。そのうえ召喚術に関する古い記録まで、この国で確かめたいことは多かった。


湊は荷馬車の横を歩きながら、白い門を見上げた。


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