白銀の剣
翌朝。
湊は、ローギュストが用意してくれた紹介状を受け取りに学院を訪れていた。机の上には、聖典庫への紹介状と、聖教国の枢機卿へ宛てた封蝋付きの書簡が並んでいる。リーネも窓際の椅子に腰掛け、出発までに必要なものを確認していた。
ローギュストが紹介状を湊へ差し出す。
「これで聖典庫への話は通しやすくなると思う。ただ、一つ気になることがあってねぇ」
「何ですか?」
「ミナト君の冒険者ランクだよ。今は銅の三つ星だったね?」
「はい」
「入国には困らない。でも、聖典庫の閲覧となると銀級くらいはあった方がいい。紹介状だけより、本人の身分も伴っていた方が話が早いからねぇ」
リーネが湊を見る。
「それなら、昇格審査を受けてみたら?」
「銀級まで?」
「あたしが見た感じなら届くと思う。飛び級になるけど、監督役がいれば実戦で審査してもらえるはず」
「リーネがつくなら、ギルドも受けてくれるだろうねぇ」
ローギュストが頷いた。
湊は少し考えてから、紹介状を革袋へしまった。
「じゃあ、受けてみます」
「うん。行ってみようか」
リーネが椅子から立ち上がる。その声は軽く、いつもの調子だった。
*
学院の西側へ回ると、外壁に隣接する大きな石造りの建物が見えた。入口には見慣れた剣と盾の紋章があり、冒険者たちが絶えず出入りしている。
アルカディアの冒険者ギルドは、エルダの支部より二回りほど大きかった。広い受付ホールを、人間やドワーフ、獣人の冒険者たちが行き交っている。
受付で事情を話すと、男性職員は湊のギルド証を見て眉を上げた。
「銅の三つ星から、銀級三つ星への飛び級審査ですか」
「はい」
「通常でしたら段階を踏んでいただくことになりますが……」
「あたしが監督するよ」
リーネが横から続けた。
職員の視線が銀髪と紫の瞳へ移り、その顔が固まる。
「白銀の剣聖……」
「銀級三つ星に届くか、実戦で見てもらえればいいと思う。この子の戦いはあたしが見るから」
職員は一度姿勢を正し、依頼書の束を確認した。
「それでしたら、現在一件だけ適した対象があります。アルカディア北方の渓谷に出た岩甲竜です。金級相当。体長十メートルを超え、鱗も肉も非常に硬い魔獣になります」
リーネが依頼書を覗き込む。
「岩甲竜か。これなら実力を見るには十分だね」
「金級ですよ?」
「危なくなれば、あたしが入るよ。無理に討伐までさせるつもりはないから」
その答えに、職員もようやく頷いた。
湊は依頼書を見る。討伐対象の特徴と、被害の出ている渓谷の位置が記されていた。
「受けます」
*
北門を出て半日。
湊たちは、灰色の岩壁に挟まれた渓谷へ入った。谷底には細い川が流れ、その岸に巨大な三本爪の足跡が残っている。一つだけでも、湊の体が入りそうな大きさだった。
《マッピング》を広げると、渓谷の奥、三百メートルほど先に大きな赤い光点が一つある。
「一体。奥にいる」
「じゃあ、ここからは任せるよ」
リーネが岩壁の脇で立ち止まった。
湊は肩のクロを見る。
「クロたちは、ここで待ってて」
「ああ。行ってこい」
クロが肩から近くの岩へ降りる。アカも右肩から飛び、リーネのそばへ移った。小さくなったシロは一度だけ湊の手へ鼻先を押しつけ、そのままクロの隣へ伏せる。
湊はシロの頭を撫でてから、一人で渓谷の奥へ進んだ。
やがて岩壁の陰から巨体が見えた。十メートルを優に超える胴を、灰褐色の分厚い鱗が覆っている。太い首の先で黄色い目がこちらを向き、低い唸りが岩壁の間を震わせた。
湊は《隠密》に《音操》《認識阻害》を重ねる。岩甲竜の視線が外れ、鼻を鳴らしながら首が巡った。
足元の影へ沈む。
岩壁に落ちた影を伝い、背後へ回る。そこから身体を戻すと、首の付け根に鱗の重なりが僅かに開いているのが見えた。
無銘を抜く。銀の刀身が、小太刀の長さまで伸びる。
——そこだ。
影から踏み出し、その隙間へ刃を振り下ろした。
狙いは外していない。それでも、刃は鱗の下へ入ったところで止まった。
浅い。
肉まで硬い。
岩甲竜が咆哮し、太い尾を薙ぎ払った。湊は刃を抜くと同時に近くの影へ沈み、離れた岩陰から身体を戻す。直後、尾が岩壁を叩き砕き、石片が雨のように降った。
首の傷は浅い。あの体格では、影を縫い止めても力で引き剥がされそうだった。
——目を狙え。
無銘の声が届く。
湊は右手側の岩場へ、崩れるような音を作った。黄色い目がそちらへ動く。その間に反対側の影へ沈み、岩甲竜の顔の横で身体を戻した。
無銘を左目へ突き出す。
届く。
そう思った瞬間、岩甲竜の前脚が跳ね上がった。
巨体からは想像できない速さだった。湊は咄嗟に影へ沈もうとしたが、先に振り抜かれた風圧を受ける。体が浮き、背中から岩壁へ叩きつけられた。
肺の空気が抜ける。
岩甲竜がこちらを向き、口を開いた。喉の奥に赤い光が集まり始める。
まずい。
銀色が走った。
リーネだった。
岩壁を蹴った小さな体が宙へ上がる。次の瞬間には、白銀の刃が岩甲竜の首を横切っていた。
音は少し遅れて届いた。
巨体の首に細い赤い線が走り、それが一気に広がる。分厚い鱗も、その下の肉も、一太刀で断たれていた。
岩甲竜が崩れ落ち、渓谷の地面が揺れる。
湊は岩壁に背を預けたまま、その光景を見た。
一度だった。
自分が鱗の隙間へ入れても止まった刃を、リーネは一太刀で最後まで通した。
リーネが血を払い、剣を鞘へ戻す。
「大丈夫?」
「……はい」
「動ける?」
湊は手足を確かめてから立ち上がった。背中は痛むが、骨に響くような痛みはない。マジックバッグからポーションを一本取り出して飲むと、鈍い痛みが少しずつ引いていった。
クロたちもこちらへ来る。クロは湊の足元まで来ると、一度だけ背中の様子を見上げた。
「相変わらず、馬鹿げた剣だな」
リーネが振り返る。
「それ、褒めてる?」
「好きに取れ」
「じゃあ褒め言葉にしておく」
リーネは少し笑い、倒れた岩甲竜へ歩み寄った。
湊もその後を追う。滑らかに断たれた首を見下ろすと、さっきの自分の一撃がずいぶん遠く感じた。
「俺、まだ全然ですね」
「そりゃそうだよ」
リーネはあっさり答えたが、声は柔らかかった。
「三ヶ月前まで剣を握ってなかったんでしょう? もうあたしと同じだったら、その方がおかしい」
湊が顔を上げる。
「でも、背後を取って鱗の隙間へ刃を入れた。通らないと分かったら、すぐ目に狙いを変えた。今日見たかったのは、そういうところ」
「倒せなかったけど」
「今日は倒し切ることまで求めてないよ。銀級の審査なら、もう十分見せてる」
リーネは岩甲竜の巨体を見た。
「だから、あそこで止めた。続けてたら本当に危なかったからね」
湊は無銘の柄へ触れる。
——精進しろ。
短い声が返ってきた。
「分かってる」
リーネが湊の腰へ目を落とした。
「……今の、誰に返事したの?」
「ああ。無銘です」
「無銘?」
湊は鞘へ収まった短剣を少し持ち上げる。
「この短剣の名前です。エルダにいた頃から持ってたやつ」
「ああ、それか。さっき刃が伸びてたよね」
「アルカディアに来る途中で、名前を教えてくれました。それから声も聞こえるようになって」
リーネが短剣を見る。
「短剣が喋るの?」
「俺にだけ聞こえるみたいです」
——余計な説明をするな。
湊は少し笑った。
「今も何か言ってる?」
「余計な説明をするなって」
リーネも笑う。
「厳しいね。先生がまた一人増えたじゃん」
——誰が先生だ。
「否定してます」
「でも教えてもらってるんでしょ?」
「まあ」
湊は無銘の柄を軽く叩いた。
*
夕方、アルカディアの冒険者ギルドへ戻った。
岩甲竜の魔核とリーネの監督報告を提出すると、受付職員は何度も書類と湊を見比べた。やがて奥へ引っ込み、しばらくして銀色のギルド証を持って戻ってくる。
「審査結果が出ました。湊殿、銀級三つ星への昇格を認定します」
差し出された証には、三つの星が刻まれていた。
「一気に上がるんですね」
「異例ではあります。ですが、金級相当の対象へ単独で接近し、有効打を与えたこと。その後も状況に応じて狙いを切り替えたことは、監督報告で確認されています」
職員はリーネへ視線を移す。
「白銀の剣聖からも、銀級三つ星相当との評価をいただいています。審査としては十分です」
リーネが湊の背中を軽く叩いた。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「これで、聖教国へ持っていくものが一つ増えたね」
湊は銀色の証を見た。
三ヶ月前、地下牢にいた時には、冒険者になることすら考えていなかった。今は行く場所があり、追いたい手がかりがある。
証をしまうと、クロが足元から見上げた。
「終わったか」
「ああ」
「なら戻ろう。腹が減った」
「宿に着いたら食べよう」
それで十分だったらしく、クロは先に扉へ向かう。
湊はリーネと並び、夕暮れの石畳へ出た。




