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白銀の剣

翌朝。


湊は、ローギュストが用意してくれた紹介状を受け取りに学院を訪れていた。机の上には、聖典庫への紹介状と、聖教国の枢機卿へ宛てた封蝋付きの書簡が並んでいる。リーネも窓際の椅子に腰掛け、出発までに必要なものを確認していた。


ローギュストが紹介状を湊へ差し出す。


「これで聖典庫への話は通しやすくなると思う。ただ、一つ気になることがあってねぇ」


「何ですか?」


「ミナト君の冒険者ランクだよ。今は銅の三つ星だったね?」


「はい」


「入国には困らない。でも、聖典庫の閲覧となると銀級くらいはあった方がいい。紹介状だけより、本人の身分も伴っていた方が話が早いからねぇ」


リーネが湊を見る。


「それなら、昇格審査を受けてみたら?」


「銀級まで?」


「あたしが見た感じなら届くと思う。飛び級になるけど、監督役がいれば実戦で審査してもらえるはず」


「リーネがつくなら、ギルドも受けてくれるだろうねぇ」


ローギュストが頷いた。


湊は少し考えてから、紹介状を革袋へしまった。


「じゃあ、受けてみます」


「うん。行ってみようか」


リーネが椅子から立ち上がる。その声は軽く、いつもの調子だった。



学院の西側へ回ると、外壁に隣接する大きな石造りの建物が見えた。入口には見慣れた剣と盾の紋章があり、冒険者たちが絶えず出入りしている。


アルカディアの冒険者ギルドは、エルダの支部より二回りほど大きかった。広い受付ホールを、人間やドワーフ、獣人の冒険者たちが行き交っている。


受付で事情を話すと、男性職員は湊のギルド証を見て眉を上げた。


「銅の三つ星から、銀級三つ星への飛び級審査ですか」


「はい」


「通常でしたら段階を踏んでいただくことになりますが……」


「あたしが監督するよ」


リーネが横から続けた。


職員の視線が銀髪と紫の瞳へ移り、その顔が固まる。


「白銀の剣聖……」


「銀級三つ星に届くか、実戦で見てもらえればいいと思う。この子の戦いはあたしが見るから」


職員は一度姿勢を正し、依頼書の束を確認した。


「それでしたら、現在一件だけ適した対象があります。アルカディア北方の渓谷に出た岩甲竜です。金級相当。体長十メートルを超え、鱗も肉も非常に硬い魔獣になります」


リーネが依頼書を覗き込む。


「岩甲竜か。これなら実力を見るには十分だね」


「金級ですよ?」


「危なくなれば、あたしが入るよ。無理に討伐までさせるつもりはないから」


その答えに、職員もようやく頷いた。


湊は依頼書を見る。討伐対象の特徴と、被害の出ている渓谷の位置が記されていた。


「受けます」



北門を出て半日。


湊たちは、灰色の岩壁に挟まれた渓谷へ入った。谷底には細い川が流れ、その岸に巨大な三本爪の足跡が残っている。一つだけでも、湊の体が入りそうな大きさだった。


《マッピング》を広げると、渓谷の奥、三百メートルほど先に大きな赤い光点が一つある。


「一体。奥にいる」


「じゃあ、ここからは任せるよ」


リーネが岩壁の脇で立ち止まった。


湊は肩のクロを見る。


「クロたちは、ここで待ってて」


「ああ。行ってこい」


クロが肩から近くの岩へ降りる。アカも右肩から飛び、リーネのそばへ移った。小さくなったシロは一度だけ湊の手へ鼻先を押しつけ、そのままクロの隣へ伏せる。


湊はシロの頭を撫でてから、一人で渓谷の奥へ進んだ。


やがて岩壁の陰から巨体が見えた。十メートルを優に超える胴を、灰褐色の分厚い鱗が覆っている。太い首の先で黄色い目がこちらを向き、低い唸りが岩壁の間を震わせた。


湊は《隠密》に《音操》《認識阻害》を重ねる。岩甲竜の視線が外れ、鼻を鳴らしながら首が巡った。


足元の影へ沈む。


岩壁に落ちた影を伝い、背後へ回る。そこから身体を戻すと、首の付け根に鱗の重なりが僅かに開いているのが見えた。


無銘を抜く。銀の刀身が、小太刀の長さまで伸びる。


——そこだ。


影から踏み出し、その隙間へ刃を振り下ろした。


狙いは外していない。それでも、刃は鱗の下へ入ったところで止まった。


浅い。


肉まで硬い。


岩甲竜が咆哮し、太い尾を薙ぎ払った。湊は刃を抜くと同時に近くの影へ沈み、離れた岩陰から身体を戻す。直後、尾が岩壁を叩き砕き、石片が雨のように降った。


首の傷は浅い。あの体格では、影を縫い止めても力で引き剥がされそうだった。


——目を狙え。


無銘の声が届く。


湊は右手側の岩場へ、崩れるような音を作った。黄色い目がそちらへ動く。その間に反対側の影へ沈み、岩甲竜の顔の横で身体を戻した。


無銘を左目へ突き出す。


届く。


そう思った瞬間、岩甲竜の前脚が跳ね上がった。


巨体からは想像できない速さだった。湊は咄嗟に影へ沈もうとしたが、先に振り抜かれた風圧を受ける。体が浮き、背中から岩壁へ叩きつけられた。


肺の空気が抜ける。


岩甲竜がこちらを向き、口を開いた。喉の奥に赤い光が集まり始める。


まずい。


銀色が走った。


リーネだった。


岩壁を蹴った小さな体が宙へ上がる。次の瞬間には、白銀の刃が岩甲竜の首を横切っていた。


音は少し遅れて届いた。


巨体の首に細い赤い線が走り、それが一気に広がる。分厚い鱗も、その下の肉も、一太刀で断たれていた。


岩甲竜が崩れ落ち、渓谷の地面が揺れる。


湊は岩壁に背を預けたまま、その光景を見た。


一度だった。


自分が鱗の隙間へ入れても止まった刃を、リーネは一太刀で最後まで通した。


リーネが血を払い、剣を鞘へ戻す。


「大丈夫?」


「……はい」


「動ける?」


湊は手足を確かめてから立ち上がった。背中は痛むが、骨に響くような痛みはない。マジックバッグからポーションを一本取り出して飲むと、鈍い痛みが少しずつ引いていった。


クロたちもこちらへ来る。クロは湊の足元まで来ると、一度だけ背中の様子を見上げた。


「相変わらず、馬鹿げた剣だな」


リーネが振り返る。


「それ、褒めてる?」


「好きに取れ」


「じゃあ褒め言葉にしておく」


リーネは少し笑い、倒れた岩甲竜へ歩み寄った。


湊もその後を追う。滑らかに断たれた首を見下ろすと、さっきの自分の一撃がずいぶん遠く感じた。


「俺、まだ全然ですね」


「そりゃそうだよ」


リーネはあっさり答えたが、声は柔らかかった。


「三ヶ月前まで剣を握ってなかったんでしょう? もうあたしと同じだったら、その方がおかしい」


湊が顔を上げる。


「でも、背後を取って鱗の隙間へ刃を入れた。通らないと分かったら、すぐ目に狙いを変えた。今日見たかったのは、そういうところ」


「倒せなかったけど」


「今日は倒し切ることまで求めてないよ。銀級の審査なら、もう十分見せてる」


リーネは岩甲竜の巨体を見た。


「だから、あそこで止めた。続けてたら本当に危なかったからね」


湊は無銘の柄へ触れる。


——精進しろ。


短い声が返ってきた。


「分かってる」


リーネが湊の腰へ目を落とした。


「……今の、誰に返事したの?」


「ああ。無銘です」


「無銘?」


湊は鞘へ収まった短剣を少し持ち上げる。


「この短剣の名前です。エルダにいた頃から持ってたやつ」


「ああ、それか。さっき刃が伸びてたよね」


「アルカディアに来る途中で、名前を教えてくれました。それから声も聞こえるようになって」


リーネが短剣を見る。


「短剣が喋るの?」


「俺にだけ聞こえるみたいです」


——余計な説明をするな。


湊は少し笑った。


「今も何か言ってる?」


「余計な説明をするなって」


リーネも笑う。


「厳しいね。先生がまた一人増えたじゃん」


——誰が先生だ。


「否定してます」


「でも教えてもらってるんでしょ?」


「まあ」


湊は無銘の柄を軽く叩いた。



夕方、アルカディアの冒険者ギルドへ戻った。


岩甲竜の魔核とリーネの監督報告を提出すると、受付職員は何度も書類と湊を見比べた。やがて奥へ引っ込み、しばらくして銀色のギルド証を持って戻ってくる。


「審査結果が出ました。湊殿、銀級三つ星への昇格を認定します」


差し出された証には、三つの星が刻まれていた。


「一気に上がるんですね」


「異例ではあります。ですが、金級相当の対象へ単独で接近し、有効打を与えたこと。その後も状況に応じて狙いを切り替えたことは、監督報告で確認されています」


職員はリーネへ視線を移す。


「白銀の剣聖からも、銀級三つ星相当との評価をいただいています。審査としては十分です」


リーネが湊の背中を軽く叩いた。


「おめでとう」


「ありがとうございます」


「これで、聖教国へ持っていくものが一つ増えたね」


湊は銀色の証を見た。


三ヶ月前、地下牢にいた時には、冒険者になることすら考えていなかった。今は行く場所があり、追いたい手がかりがある。


証をしまうと、クロが足元から見上げた。


「終わったか」


「ああ」


「なら戻ろう。腹が減った」


「宿に着いたら食べよう」


それで十分だったらしく、クロは先に扉へ向かう。


湊はリーネと並び、夕暮れの石畳へ出た。


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