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王の怒り

ローギュストの執務室を出た時には、日が傾き始めていた。


学院の回廊を、湊とリーネが並んで歩く。シロの爪音が石床を軽く叩き、アカは湊の右肩で羽根を畳んでいた。


「聖教国か」


リーネが前を見たまま呟く。


「行ったことあるんですか」


「三十年前にな。勇者と一緒に」


それ以上は続かなかった。


学院を出ると、五つの塔が茜色の空を背負っていた。昼間とは違う光が、白い石壁を薄く染めている。


「出るのは、ローギュストの準備ができてからだな」


「はい」


「今日は休め。ここ数日、ずっと話してただろ」


「リーネさんもですよ」


「私は慣れてる」


何に、とは聞かなかった。


分かれ道で、リーネが片手を上げる。


「また明日」


「はい」


銀色の髪が人混みへ消えていった。


湊は宿へ向かって歩き出した。


しばらくして、肩のクロへ声を落とす。


「グランデル、どこまで繋がってるんだろうな」


「まだ分からん」


短い返事だった。


「獣人国の輪。ヴェルナー。召喚術。聖教国の記録」


湊は指を折るでもなく、頭の中で並べる。


どれも同じ方向を指しているように見える。


けれど、まだ間には空白があった。


「追えば分かるかな」


「分からなければ、次を探せばいい」


クロの尾が肩の後ろで揺れた。


湊は頷く。


「そうする」


胸の内に浮かんだのは、ルゥの顔だった。


両親を探す。


約束した。


そのためにも、今は残っている線を追う。


宿の灯りが見えてきた。



――三か月ほど前。


グランデル王国、王城。


怒号が、玉座の間を震わせた。


「どういうことだ!」


国王が玉座から立ち上がる。大柄な体を包む豪奢な衣が揺れ、厚い指が机を叩いた。


「主魔封石が空だと!? 三十年だぞ! 三十年かけて満たした魔力が、なぜ消えている!」


並ぶ臣下たちは誰も顔を上げなかった。


一人が震える声で答える。


「保管区画に破壊の痕跡はありません。封印にも異常はなく、外部から抜き取られた形跡も――」


「なら、どこへ消えた!」


返事はなかった。


王城地下の巨大な魔封石。


長い年月をかけて蓄えられてきた魔力は、確かに失われていた。


召喚術のために満たしていたはずの器。


けれど、誰もその消費理由を口にできない。


記録を開いても、肝心なところだけが繋がらなかった。


国王が苛立たしげに周囲を睨む。


「ヴェルナー!」


列の後ろから、一人の男が進み出た。


痩身の長身。灰色の髪を後ろへ撫でつけ、顔には穏やかな表情を浮かべている。


ヴェルナー・グレイス。


グランデル王国宰相。


「はい、陛下」


「お前が管理していたものだ。説明しろ!」


ヴェルナーは頭を下げた。


「現状、消失の原因は特定できておりません」


机がもう一度鳴った。


「原因不明で済むか!」


「済ませるつもりはございません」


声の調子は変わらない。


ヴェルナーは顔を上げた。


「ですが、失われたものを眺めていても戻りません」


国王の怒声が止まる。


「何が言いたい」


「器は残っております」


ヴェルナーの口元に、ごく薄い笑みが浮かんだ。


「ならば、もう一度満たせばよい」



王城地下。


主魔封石を囲む区画には、冷たい空気が淀んでいた。


複数階にまたがる巨大な結晶は、壁そのもののように暗く沈んでいる。


ヴェルナーは技官たちの報告を聞いていた。


「各中継側の備蓄量を確認しました」


差し出された書類へ目を落とす。


主魔封石が満ちたあとも、外の収集網は止めていなかった。


各地で集められた魔力は、中継側へ残っている。


「全て回収してください」


技官が顔を上げた。


「全て、ですか」


「ええ。安全余裕は最低限で構いません。主魔封石への転送を優先します」


「しかし、各拠点の予備まで抜けば――」


「また貯めればいい」


ヴェルナーは書類を返した。


「収集も止めないでください。従来通り継続を」


技官は一瞬だけ黙り、頭を下げた。


「承知しました」


遠くで、低い振動音が響く。


暗かった巨大結晶の底に、細い光が灯り始めた。


失われた三十年は戻らない。


だが、全てを一から始める必要もなかった。


ヴェルナーは光を見上げる。


「まだ終わってはいません」


その声を聞いた者はいなかった。



――現在。


同じ王城地下。


主魔封石の内部には、三か月前とは比べものにならない量の光が戻っていた。


ヴェルナーは報告書をめくる。


各地からの供給量。


中継側の残量。


輸送と人員の損耗。


一枚だけ、指が止まった。


獣人国。


「……止まりましたか」


向かいに立つ部下が頭を垂れる。


「はい。現地の収容施設は摘発。協力者との連絡も途絶えております」


「回収できた装具は?」


「国外へ出ていた二基のみです」


「そうですか」


ヴェルナーは紙を置いた。


怒りはなかった。


別の報告書を開く。


主要な供給経路は、まだ動いている。


主魔封石へ流れ込む魔力も止まってはいない。


「獣人国は切り捨てましょう」


「よろしいのですか」


「使えない経路へ人を割く必要はありません」


穏やかな声だった。


「残っているところを維持してください。交換時期を早める必要がある拠点は、現地判断を許可します」


「はっ」


部下が退室する。


一人になると、ヴェルナーは机へ手を置いた。


三か月前。


主魔封石が空になった理由は、今も分からない。


調べても、そこだけが霧の中にある。


けれど、不可解だからと立ち止まる理由にはならない。


窓のない地下室で、巨大な魔封石の光だけが彼の横顔を照らしていた。


「さて」


ヴェルナーは次の報告書を開く。


「どこまで戻せるでしょうね」


紙をめくる音が続く。

その遥か東で、自分の名が初めて追われ始めたことを、まだ彼は知らなかった。


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