器の中身
茶が半分ほど減った頃、ローギュストが口を開いた。
「ミナト君。一つ、確かめてもいいかい」
「はい」
「召喚された直後、鑑定石には何も出なかったんだね?」
湊は頷いた。
「真っ白でした」
ローギュストは顎へ手を当てる。
「鑑定石が読むのは、その時に持っている力だ。名前も効果も、そこにあるものを拾い上げる」
小さな指が、机を軽く叩いた。
「なら、石が間違えたんじゃない。あの時の君には、まだ読み取れる中身がなかったのかもしれないねぇ」
湊は右手を見る。
「でも、その日のうちにここが光りました」
手の甲には、今も紋様が残っている。
「そこで初めて?」
「はい。一日に一回、何かを受け取れるって分かりました」
リーネが眉を上げた。
「何かって?」
「何が出るかは分からないです。俺はガチャって呼んでます」
「ガチャ?」
「元の世界にあった言葉です」
ローギュストの目が少し楽しそうに細くなる。
「ふむ。それで、これまで何を受け取ったんだい?」
湊は指を折りながら思い返した。
「最初は、城から逃げる時に使った一度きりの道具。次が無銘です」
腰の短剣へ触れる。
「能力だと《隠密》《音操》《認識阻害》《マッピング》《影魔法》。あとは回復薬とか、マジックバッグとか。直接、体の疲れが消えた日もありました」
リーネが黙った。
ローギュストもすぐには口を開かない。
「……それで三ヶ月?」
「引かなかった日も結構あります」
「引かなければ?」
「その日はそれで終わりです。次の日に二回にはならない」
「なるほどねぇ」
ローギュストは背もたれへ体を預けた。
「終わりは?」
「分かりません」
「いつか打ち止めになるのかも?」
「それも」
湊は首を振った。
ローギュストが、長く息を吐く。
「器はあった。でも、中身は空だった」
湊を見る。
「だから鑑定石には何も映らなかった。そこへ後から、一つずつ与えられている」
「……たぶん」
「たぶん、で済ませるところが君らしいねぇ」
リーネが額を押さえた。
「いや、待て。さっきさらっと影魔法まで混ざってたぞ」
「最近出ました」
「最近で片づけるな」
「便利ですよ」
「そういう話じゃない」
クロが机の上で鼻を鳴らした。
「言っても無駄だ。こいつは昔からこの調子だ」
「クロまで」
「事実だ」
ローギュストが喉の奥で笑った。
「ふむ。力そのものより、君の受け取り方の方が面白いかもしれないねぇ」
*
「そういえば」
リーネの視線が、シロとアカへ移った。
「そいつらも、そのガチャで?」
「手袋が出ました。テイムするための」
湊が左手を上げる。
「誰でも従魔にできるわけじゃないです。弱い相手には反応しないし、相手が心を開かなければ繋がらない」
「で、その条件を通ったのが」
リーネがシロを見る。
シロは何も知らない顔で、湊の足へ顎を乗せている。
クロが答えた。
「シロはフェンリルの幼体。アカはフェニックスの幼体だ」
ローギュストの茶碗が止まった。
「……フェンリルと、フェニックス?」
「ぴぃ」
呼ばれたと思ったのか、アカが右肩で胸を張る。
ローギュストはしばらくアカを見て、それからシロを見た。最後にクロを見る。
「元魔王に、神獣が二匹」
「そうなるな」
クロは淡々としている。
リーネが湊を見る。
「お前、自分の周りがどうなってるか分かってる?」
「賑やかにはなりました」
「そこじゃない」
湊はシロの頭を撫でた。
シロの尾が床を掃く。
*
ローギュストが、ふとクロへ顔を向けた。
「クロ。ミナト君のその力は、どこから来たものなんだい?」
クロの耳が動く。
「《受奪》だ」
「受奪?」
「異界を渡った者に働く、この世界の理だ」
クロは前足を揃えた。
「この世界へ入る時には、ここで使うための力を与える。これが“受”。逆に、この世界から外へ出る時には、与えた力を回収する。これが“奪”だ」
湊は右手を見た。
「じゃあ、この力は元の世界には持って帰れない?」
「ああ。この世界から与えられたものは、この世界の中でしか使えん」
ローギュストの目から、笑みが消えた。
「では、グランデルの召喚術でも?」
「誰が呼んだかは関係ない。実際に世界の境を越えたなら、《受奪》は働く」
クロの視線が湊へ向く。
「こいつの“ガチャ”も、その時に与えられた力の一つだ」
ローギュストは黙り込んだ。
昨日、グランデルが神の領域へ手を伸ばしたと聞いた時と同じ顔だった。
「……人の手で異界渡りを成立させて、その先で世界の理まで動いた」
小さな声だった。
「これは、思っていた以上に大きな話かもしれないねぇ」
クロは返事をしなかった。
湊も、何を言えばいいのか分からなかった。
自分にとっては、地下牢で右手が光ったところから始まっただけだ。
*
リーネは、改めて湊を見た。
三ヶ月前、エルダで会った時には、まだ細い少年だった。短剣を一本持ち、黒猫を肩に乗せて、どこか危うい目をしていた。
今は違う。
力が増えたからだけではない。
銀狼の頭を撫でる手つきも、肩の赤い鳥を気にする仕草も、机の上の黒猫へ向ける目も、あの頃にはなかったものだった。
毎日、何かを得る力。
上限は分からない。
けれど湊が真っ先に口にしたのは、強さではなく、出会った相手のことだった。
リーネは小さく息を吐いた。
規格外なのは、たぶん力だけじゃない。
*
「ミナト君」
ローギュストが呼んだ。
「はい」
「君は最初、自分を外れだと思っていたのかい?」
湊は少し考えた。
「そうですね。何も出なかったので」
「今は?」
湊の視線が、自然に周りへ動く。
クロ。
シロ。
アカ。
腰の無銘。
「外れだったかどうかは、まだ分かりません」
クロが半眼になる。
「まだ言うか」
「でも、悪かったとは思ってません」
湊は左手を見る。
「無銘も出たし、旅を続ける道具も増えた。シロやアカとも、これがあったから繋がれたので」
アカが小さく鳴いた。
シロが尾を振る。
クロは何も言わず、前足を揃え直した。
ローギュストが笑う。
「ふむ。それなら今は、それでいいんじゃないかい」
窓から差し込む光は、もう昼に近かった。
湊は空になった茶碗を見た。こちらの底は、すぐに見える。
ローギュストの言う自分の“器”がどこまで続くのかは、まだ分からなかった。




