家族
学院から宿へ戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
部屋に入り、荷物を下ろす。窓を開けると、尖塔の間を色とりどりの光が行き交っていた。アカはすぐ窓枠へ飛び移り、外を覗き込む。シロは寝台の脇で丸くなった。
湊は腰を下ろし、枕の上に座ったクロを見る。
「クロ」
「何だ」
「ローギュストのこと、知ってるって言ってたけど」
クロの耳がわずかに動いた。
「あの人がクロを見た時、クロもずっと見てた」
返事はなかった。
窓の外から、荷車の軋む音が届く。遠くで鐘が鳴った。
「知ってる人って、それだけじゃないんだろ」
クロの尾が、枕の上を一度だけ叩いた。
しばらくして、金色の目が湊へ向く。
「……まだ、お前に話していないことがある」
「ああ」
「私が何者なのか。なぜ地下牢にいたのか。なぜこの世界のことを知っているのか」
クロはそこで口を閉じた。
「気づいていたのか」
「何か隠してるのは」
「それで、よく平然としていられるな」
湊は少し考えた。
「今すぐ知らなくてもいいと思ってたから」
クロの目が細くなる。
「私が何者でもか」
「何者でも、俺にとっては変わらない」
湊は手を伸ばした。
クロは避けなかった。耳の後ろへ指を入れると、いつもの柔らかな毛が触れる。
「地下牢で一緒に逃げた。外のことを教えてくれた。それからずっと、隣にいる」
クロは黙っている。
「話したくなったら話してくれればいい。まだ言いたくないなら、それでもいい」
湊の指先で、黒い耳が小さく揺れた。
「クロはクロだ」
金色の目が上がる。
「家族だろ」
クロの体が、ほんの少し震えた。
湊は手を止めなかった。問いかけもしなかった。
窓から入る風が、黒い毛を揺らす。アカが窓枠で振り返ったが、鳴かずにこちらを見ていた。
長い沈黙のあと、クロが目を閉じる。
「……お前は、本当に馬鹿だな」
声は小さかった。
「そうかも」
「否定しろ」
「今さらだろ」
クロの鼻から、短い息が漏れた。
少しして、その目が開く。
「明日、学院へ行く」
「輪のことなら、分かったら呼ぶって言ってたけど」
「それとは別だ」
クロは窓の向こうに見える五つの塔を見た。
「私が、ローギュストに話す」
湊は黙って続きを待った。
「隠してきたことを。お前にも」
「いいのか」
「ああ。お前が家族だと言ってくれたからな」
湊は少し笑った。
「そっか」
クロの尾が枕を一度叩いた。
「……何だ」
「何でもない」
クロが枕から飛び降り、湊の膝へ乗った。
珍しい。
そのまま丸くなった小さな背へ、湊は手を置く。
温かかった。
アカも窓枠から飛んできて、湊の右肩へ収まった。シロは目を覚まし、寝台の脇から寄ってきて、湊の脛へ体をつける。
誰も何も言わなかった。
午後の鐘が鳴り終わるまで、湊はクロの背をゆっくり撫でていた。
明日、クロが話す。
何を聞くことになるのかは分からない。
それでも、膝の上の温度はいつもと同じだった。




