魔道都市国家アルカディア
十七日目の昼過ぎ。
丘を越えたところで、湊は足を止めた。平原の先に、巨大な円形の都市が広がっている。白い石壁が陽光を返し、表面に刻まれた紋様が淡く光っていた。その内側には幾本もの尖塔が立ち、赤、青、緑、金、紫の光が空へ浮かんでいる。
中心には、ひときわ大きな白亜の建物があった。五つの塔を持つ学院が、都市を囲む建物の上から頭を出している。
「あれが——」
「魔道都市国家アルカディアだ」
肩の上でクロが目を細めた。
「魔術師が集まる街だ。中心にあるのが魔術学院。都市一つで国として認められている」
丘を吹き上がる風に、石と香の匂いが混じっていた。遠くからでも、光る紋様や宙に浮いた看板のようなものが見える。
右肩でアカが羽根を膨らませる。
「ぴぃ?」
「初めての街だな、アカ」
「ぴぃ」
足元では、子犬ほどのシロが鼻をひくつかせていた。
——おおきい。
「ああ。大きいな」
湊は丘を下り始めた。
*
正門には二人の門番が立っていた。軽装の鎧を着ているが、腰にあるのは剣ではなく杖だった。
「入都の目的は?」
「旅の途中です。補給と、しばらく滞在を」
門番の視線が、湊の左右の肩と足元を順に移る。
「従魔が三匹?」
「はい」
「珍しいな。従魔師か?」
「冒険者です」
ギルドカードを渡すと、門番は内容を確かめて返した。
「問題ない。街中での魔術行使には制限がある。従魔が騒ぎを起こさないようにな」
「分かりました」
門をくぐると、石畳の道が中心の学院へ向かって放射状に伸びていた。宙に浮く看板。窓から色のついた煙を吐く工房。杖を振ると、濡れた布が一斉に空へ持ち上がる洗濯場。
ローブ姿の魔術師が多い。それに混じって商人や冒険者、エルフ、ドワーフ、獣人たちが行き交っていた。
「本当に魔術師ばかりだな」
「そういう街だからな。剣一本で歩く者は少し目立つ」
クロの金色の目が、通りの先へ向く。
「……変わったな。昔とは、随分と」
「来たことあるのか?」
「昔の話だ」
クロは五つの塔を見たまま、それ以上言わなかった。湊も聞かなかった。
歩いているうちに、今度は別の視線が集まり始めた。
「炎を纏ってる……?」
「何の鳥だ?」
「従魔か?」
右肩のアカが翼を広げる。
「ぴぃ!」
むしろ機嫌がよくなったらしい。
「目立ってるぞ」
「ぴぃ!」
左肩でクロの耳が少し伏せる。
「……静かな旅が遠ざかっていくな」
「アカに言ってくれ」
「通じるなら苦労せん」
湊は少し笑った。
*
中央通りから一本入った場所に、「旅人の灯」という宿を見つけた。部屋を取り、荷物を置く。窓を開けると、尖塔の群れの向こうに五つの塔を持つ学院が立っていた。
湊は窓枠へ手を置く。
「この街で、あの輪を見てもらうならどこに行けばいい?」
「学院だな。魔道具や術式を扱う者も集まっている」
「じゃあ、明日行ってみる」
クロは五つの塔を眺めたまま、しばらく黙っていた。
「……今の主席は、ローギュストだ」
「知ってる人?」
「ああ。三十年前、勇者と共に旅をした魔術師だ」
湊はクロを見る。
「勇者パーティーか」
「そうだ」
また少し、クロの返事が遅れた。
「会えるかな」
「さてな。まず行ってみればいい」
「そうする」
三ヶ月ほど前には、地下牢の冷たい床に座っていた。今は左肩にクロがいて、右肩にアカがいる。足元ではシロが丸くなり、腰には無銘があった。
「……遠くまで来たな」
クロは何も言わなかった。尾の先だけが、湊の首筋へ触れた。
柔らかく、温かかった。
*
翌朝、湊は学院へ向かった。
巨大な石のアーチの前に受付窓口があり、若い女性の魔術師が座っている。
「すみません。壊れた魔道具を見てもらいたいんですが」
「壊れた魔道具、ですか?」
「はい。解析できる人を探していて」
女性は少し考え、学院の中へ目を向けた。
「内容にもよりますが、まずは——」
「おや」
横から声がした。
振り向くと、小さな老人が立っていた。湊の腰ほどの背丈。丸い体に、胸まで伸びた白い髭。大きな耳と丸い鼻。皺の多い顔には、柔らかな笑みが浮かんでいる。
自分の背より長い木の杖を持っていた。
「珍しいお客さんだねぇ。従魔を三匹も連れているとは」
老人の目が、湊の左肩へ向く。
クロを見る。
ほんの一瞬だけ、笑みが薄れた。
すぐに目元が緩む。
「綺麗な黒猫だねぇ」
「……ありがとうございます」
クロは何も言わない。老人の視線は右肩へ移った。
「それに、その赤い子。炎を纏っているのに、君の服は焦げていない。ふむ、面白いねぇ」
「ぴぃ?」
「おお。いい声だ」
老人が楽しそうに目を細める。
「君、名前は?」
「湊です」
「ミナト。いい名前だねぇ。私はローギュスト。この学院の主席をしている」
受付の女性が勢いよく立ち上がった。
「し、主席。おはようございます!」
「おはよう、マリア」
ローギュストは杖をこつんと石畳へつく。
「壊れた魔道具を見てもらいたいと言ったねぇ?」
「はい」
「なら、朝のお茶に付き合っておくれ。話はそこで聞こう」
ローギュストはそのまま学院へ歩き出した。湊が肩のクロを見ると、金色の目は老人の背中を追っている。
「……行け」
小さな声だった。
湊は頷き、その後を追った。
*
学院の中は、高いアーチ状の天井と長い廊下が続いていた。壁には細かな紋様が刻まれ、ところどころで淡い光が流れている。
すれ違う学生や教官がローギュストへ頭を下げた。
「主席、おはようございます」
「おはよう。今日も精進するんだよ」
そのたびに足を止めることなく声を返していく。
執務室は学院の上階にあった。壁一面の本棚と大きな窓。机には書類が積まれている。
「座りなさい」
ローギュストは湊へ椅子を示すと、自分も机の向こうの椅子へよじ登った。大きすぎる椅子から、小さな足が少し浮いている。
茶が運ばれてくる。ローギュストは両手でカップを持ち、ひと口飲んだ。
「さて、ミナト君。君は、この世界の人間ではないね?」
湊の手が、茶碗の手前で止まる。
ローギュストは急かさなかった。
「君には、昔の友人と似た気配があるんだよ。姿も魔力も違う。それでも、どこかここではない場所から来たような——そんな感じがする」
「昔の友人?」
「勇者だよ」
ローギュストは窓の外へ目を向けた。
「三十年前、一緒に旅をした。魔王を倒したあと、あの人は消えた。手紙も、行き先も残さずにね。それからずっと、探している」
カップの縁へ置かれた小さな指が、わずかに止まる。
「だから聞かせておくれ。君も、異世界から来たのかい?」
「はい。三ヶ月くらい前に召喚されました」
「そうか……」
ローギュストは目を閉じ、しばらくして静かに息を吐いた。
「勇者について、何か知っていることは?」
「ありません。俺が来たのは最近ですから」
「そうだろうねぇ。分かってはいたんだ。でも、聞かずにはいられなかった。すまないね」
「いえ」
湊は茶をひと口飲んだ。少し香ばしく、温かい。
「それで、ミナト君。今日は何の用で私を訪ねたんだい?」
「二つあります」
ローギュストが頷く。
「一つは、自分の能力についてです。召喚されてから手に入った力がいくつもあって、俺にも分からないことが多い。この街なら何か分かるかと思って」
ローギュストの目が少し輝いた。
「ほう。召喚者の能力かい。それはぜひ聞いてみたいねぇ」
「もう一つは、これです」
湊は布に包んだ金属の輪を取り出し、机の上へ置いた。黒ずんだ表面にはひびが入り、細かな紋様が途中で途切れている。
「獣人国の廃農場で見つけました。捕まっていた人たちが、これと同じものを手足につけられていたそうです」
ローギュストの表情が変わった。
「つけられている間、魔力が使えなくなって、体から力が抜けていったと聞きました。獣人国では術式が分からなかったので、ここなら調べられるかと思って」
「見せてもらえるかい」
「はい」
ローギュストは輪を受け取り、顔の近くまで持ち上げた。指先で紋様を辿り、裏返す。
「ふむ……」
しばらくして、目が細くなった。
「壊れているね。術式の流れが途中で焼き切れている」
輪を机へ置く。
「預からせてもらってもいいかい。少し時間をかけて見たい」
「お願いします」
「うん」
ローギュストは布ごと輪を自分の側へ寄せた。
「ミナト君は、しばらくこの街にいるのかな?」
「そのつもりです」
「なら、何か分かったら呼ぼう。受付にも話しておくよ。君ならいつでも通してもらえるようにしておく」
「ありがとうございます」
「礼はいらないよ。私も気になっているからねぇ」
その時、アカが湊の右肩から飛んだ。
「ぴぃ!」
ローギュストの頭へ着地し、白い髭へ嘴を伸ばす。
「おお、おお。そこは引っ張らないでおくれ」
ローギュストが笑いながらアカの頭を撫でた。アカは気持ちよさそうに目を細める。
「人懐っこい子だねぇ」
「すみません」
「いいよ、いいよ。賑やかなのは嫌いじゃない」
アカを頭に乗せたまま、ローギュストが湊を見る。
「ようこそ、アルカディアへ。ミナト君」
湊は頭を下げた。
窓の外では、五つの塔が朝の光を受けていた。




