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魔道都市国家アルカディア

十七日目の昼過ぎ。


丘を越えたところで、湊は足を止めた。平原の先に、巨大な円形の都市が広がっている。白い石壁が陽光を返し、表面に刻まれた紋様が淡く光っていた。その内側には幾本もの尖塔が立ち、赤、青、緑、金、紫の光が空へ浮かんでいる。


中心には、ひときわ大きな白亜の建物があった。五つの塔を持つ学院が、都市を囲む建物の上から頭を出している。


「あれが——」

「魔道都市国家アルカディアだ」


肩の上でクロが目を細めた。


「魔術師が集まる街だ。中心にあるのが魔術学院。都市一つで国として認められている」


丘を吹き上がる風に、石と香の匂いが混じっていた。遠くからでも、光る紋様や宙に浮いた看板のようなものが見える。


右肩でアカが羽根を膨らませる。


「ぴぃ?」

「初めての街だな、アカ」

「ぴぃ」


足元では、子犬ほどのシロが鼻をひくつかせていた。


——おおきい。


「ああ。大きいな」


湊は丘を下り始めた。



正門には二人の門番が立っていた。軽装の鎧を着ているが、腰にあるのは剣ではなく杖だった。


「入都の目的は?」

「旅の途中です。補給と、しばらく滞在を」


門番の視線が、湊の左右の肩と足元を順に移る。


「従魔が三匹?」

「はい」

「珍しいな。従魔師か?」

「冒険者です」


ギルドカードを渡すと、門番は内容を確かめて返した。


「問題ない。街中での魔術行使には制限がある。従魔が騒ぎを起こさないようにな」

「分かりました」


門をくぐると、石畳の道が中心の学院へ向かって放射状に伸びていた。宙に浮く看板。窓から色のついた煙を吐く工房。杖を振ると、濡れた布が一斉に空へ持ち上がる洗濯場。


ローブ姿の魔術師が多い。それに混じって商人や冒険者、エルフ、ドワーフ、獣人たちが行き交っていた。


「本当に魔術師ばかりだな」

「そういう街だからな。剣一本で歩く者は少し目立つ」


クロの金色の目が、通りの先へ向く。


「……変わったな。昔とは、随分と」

「来たことあるのか?」

「昔の話だ」


クロは五つの塔を見たまま、それ以上言わなかった。湊も聞かなかった。


歩いているうちに、今度は別の視線が集まり始めた。


「炎を纏ってる……?」

「何の鳥だ?」

「従魔か?」


右肩のアカが翼を広げる。


「ぴぃ!」


むしろ機嫌がよくなったらしい。


「目立ってるぞ」

「ぴぃ!」


左肩でクロの耳が少し伏せる。


「……静かな旅が遠ざかっていくな」

「アカに言ってくれ」

「通じるなら苦労せん」


湊は少し笑った。



中央通りから一本入った場所に、「旅人の灯」という宿を見つけた。部屋を取り、荷物を置く。窓を開けると、尖塔の群れの向こうに五つの塔を持つ学院が立っていた。


湊は窓枠へ手を置く。


「この街で、あの輪を見てもらうならどこに行けばいい?」

「学院だな。魔道具や術式を扱う者も集まっている」

「じゃあ、明日行ってみる」


クロは五つの塔を眺めたまま、しばらく黙っていた。


「……今の主席は、ローギュストだ」

「知ってる人?」

「ああ。三十年前、勇者と共に旅をした魔術師だ」


湊はクロを見る。


「勇者パーティーか」

「そうだ」


また少し、クロの返事が遅れた。


「会えるかな」

「さてな。まず行ってみればいい」

「そうする」


三ヶ月ほど前には、地下牢の冷たい床に座っていた。今は左肩にクロがいて、右肩にアカがいる。足元ではシロが丸くなり、腰には無銘があった。


「……遠くまで来たな」


クロは何も言わなかった。尾の先だけが、湊の首筋へ触れた。


柔らかく、温かかった。



翌朝、湊は学院へ向かった。


巨大な石のアーチの前に受付窓口があり、若い女性の魔術師が座っている。


「すみません。壊れた魔道具を見てもらいたいんですが」

「壊れた魔道具、ですか?」

「はい。解析できる人を探していて」


女性は少し考え、学院の中へ目を向けた。


「内容にもよりますが、まずは——」

「おや」


横から声がした。


振り向くと、小さな老人が立っていた。湊の腰ほどの背丈。丸い体に、胸まで伸びた白い髭。大きな耳と丸い鼻。皺の多い顔には、柔らかな笑みが浮かんでいる。


自分の背より長い木の杖を持っていた。


「珍しいお客さんだねぇ。従魔を三匹も連れているとは」


老人の目が、湊の左肩へ向く。


クロを見る。


ほんの一瞬だけ、笑みが薄れた。


すぐに目元が緩む。


「綺麗な黒猫だねぇ」

「……ありがとうございます」


クロは何も言わない。老人の視線は右肩へ移った。


「それに、その赤い子。炎を纏っているのに、君の服は焦げていない。ふむ、面白いねぇ」

「ぴぃ?」

「おお。いい声だ」


老人が楽しそうに目を細める。


「君、名前は?」

「湊です」

「ミナト。いい名前だねぇ。私はローギュスト。この学院の主席をしている」


受付の女性が勢いよく立ち上がった。


「し、主席。おはようございます!」

「おはよう、マリア」


ローギュストは杖をこつんと石畳へつく。


「壊れた魔道具を見てもらいたいと言ったねぇ?」

「はい」

「なら、朝のお茶に付き合っておくれ。話はそこで聞こう」


ローギュストはそのまま学院へ歩き出した。湊が肩のクロを見ると、金色の目は老人の背中を追っている。


「……行け」


小さな声だった。


湊は頷き、その後を追った。



学院の中は、高いアーチ状の天井と長い廊下が続いていた。壁には細かな紋様が刻まれ、ところどころで淡い光が流れている。


すれ違う学生や教官がローギュストへ頭を下げた。


「主席、おはようございます」

「おはよう。今日も精進するんだよ」


そのたびに足を止めることなく声を返していく。


執務室は学院の上階にあった。壁一面の本棚と大きな窓。机には書類が積まれている。


「座りなさい」


ローギュストは湊へ椅子を示すと、自分も机の向こうの椅子へよじ登った。大きすぎる椅子から、小さな足が少し浮いている。


茶が運ばれてくる。ローギュストは両手でカップを持ち、ひと口飲んだ。


「さて、ミナト君。君は、この世界の人間ではないね?」


湊の手が、茶碗の手前で止まる。


ローギュストは急かさなかった。


「君には、昔の友人と似た気配があるんだよ。姿も魔力も違う。それでも、どこかここではない場所から来たような——そんな感じがする」

「昔の友人?」

「勇者だよ」


ローギュストは窓の外へ目を向けた。


「三十年前、一緒に旅をした。魔王を倒したあと、あの人は消えた。手紙も、行き先も残さずにね。それからずっと、探している」


カップの縁へ置かれた小さな指が、わずかに止まる。


「だから聞かせておくれ。君も、異世界から来たのかい?」

「はい。三ヶ月くらい前に召喚されました」

「そうか……」


ローギュストは目を閉じ、しばらくして静かに息を吐いた。


「勇者について、何か知っていることは?」

「ありません。俺が来たのは最近ですから」

「そうだろうねぇ。分かってはいたんだ。でも、聞かずにはいられなかった。すまないね」

「いえ」


湊は茶をひと口飲んだ。少し香ばしく、温かい。


「それで、ミナト君。今日は何の用で私を訪ねたんだい?」

「二つあります」


ローギュストが頷く。


「一つは、自分の能力についてです。召喚されてから手に入った力がいくつもあって、俺にも分からないことが多い。この街なら何か分かるかと思って」


ローギュストの目が少し輝いた。


「ほう。召喚者の能力かい。それはぜひ聞いてみたいねぇ」

「もう一つは、これです」


湊は布に包んだ金属の輪を取り出し、机の上へ置いた。黒ずんだ表面にはひびが入り、細かな紋様が途中で途切れている。


「獣人国の廃農場で見つけました。捕まっていた人たちが、これと同じものを手足につけられていたそうです」


ローギュストの表情が変わった。


「つけられている間、魔力が使えなくなって、体から力が抜けていったと聞きました。獣人国では術式が分からなかったので、ここなら調べられるかと思って」

「見せてもらえるかい」

「はい」


ローギュストは輪を受け取り、顔の近くまで持ち上げた。指先で紋様を辿り、裏返す。


「ふむ……」


しばらくして、目が細くなった。


「壊れているね。術式の流れが途中で焼き切れている」


輪を机へ置く。


「預からせてもらってもいいかい。少し時間をかけて見たい」

「お願いします」

「うん」


ローギュストは布ごと輪を自分の側へ寄せた。


「ミナト君は、しばらくこの街にいるのかな?」

「そのつもりです」

「なら、何か分かったら呼ぼう。受付にも話しておくよ。君ならいつでも通してもらえるようにしておく」

「ありがとうございます」

「礼はいらないよ。私も気になっているからねぇ」


その時、アカが湊の右肩から飛んだ。


「ぴぃ!」


ローギュストの頭へ着地し、白い髭へ嘴を伸ばす。


「おお、おお。そこは引っ張らないでおくれ」


ローギュストが笑いながらアカの頭を撫でた。アカは気持ちよさそうに目を細める。


「人懐っこい子だねぇ」

「すみません」

「いいよ、いいよ。賑やかなのは嫌いじゃない」


アカを頭に乗せたまま、ローギュストが湊を見る。


「ようこそ、アルカディアへ。ミナト君」


湊は頭を下げた。


窓の外では、五つの塔が朝の光を受けていた。


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