アカ
十四日目の夜。
火の谷を抜けると、灰色だった地面は途切れ、草の匂いが戻ってきた。夜風も涼しい。シロは真っ先に草の上へ転がり、銀色の背を何度も地面へ擦りつけた。
「よく頑張ったな」
湊が首筋を撫でると、シロは目を細めた。胸元から布で包んだ卵を取り出して掌へ乗せる。赤い殻はまだ温かかったが、火の谷にいた時より鼓動が弱い。
湊は焚き火のそばへ座り、両手で卵を包んだ。
「少し弱くなってる気がする」
「火口を離れたからな」
クロも肩から覗き込む。薪が爆ぜ、橙色の火が殻の金色を揺らした。湊は親指で表面を撫でる。
「もう少し頑張れ」
左手が熱を持った。テイム手袋の紋様が赤く灯り、掌の中の卵も応えるように脈打つ。さっきまで弱かった鼓動が、一度、強く返った。
「……お?」
卵が跳ねた。慌てて両手で支えると、殻の表面に細い亀裂が走り、その奥から赤い光が漏れる。
クロが身を乗り出した。
「来るぞ」
ぱき、と小さな音がした。亀裂から嘴が覗き、もう一度殻を突く。上半分が割れ、赤い羽根が見えた。小さな頭が出て、残った殻を蹴るようにして湊の掌へ転がり出る。
オウムほどの大きさだった。全身は深い赤。長めの尾羽の先だけが金色で、羽根の表面には薄い炎が揺れている。
湊は一瞬だけ手を強張らせた。
熱くない。
伝わってくるのは、湯に触れた時のような柔らかな温かさだけだった。雛が顔を上げ、黒く澄んだ目で湊を見る。
「ぴぃ」
高い声だった。
「……生まれたな」
次の瞬間、雛は湊の胸へ飛びついた。小さな翼をばたつかせ、服をよじ登って襟元へ頭を突っ込む。首筋へ頬を押しつけたかと思えば、顎から頬へ移り、嘴で甘噛みしながら鳴き続けた。
「おい、ちょっと待て」
「ぴぃ、ぴぃ!」
待つ気はないらしい。今度は湊の髪へ潜り込み、赤い羽根だけが頭の上から覗いた。
クロがじっと見ている。
「ずいぶん懐かれたな」
「生まれたばかりなのに?」
「今はお前しか知らんからな」
「……元気ならいいけど」
左手の光はまだ消えていなかった。赤い紋様が、雛の炎と同じ間隔で明滅している。
湊は手を差し出した。
「来るか?」
雛は髪の中から顔を出し、首を傾げた。やがて左手へ飛び移ると、そのまま指へ体を押しつける。
手袋の光が強くなった。
シロと繋がった時に似た感覚が、胸の奥へ触れた。細く、温かなものがこちらへ伸びてくる。
湊はその感覚を受け止めた。一瞬だけ赤い光が弾け、すぐに静まる。掌には、小さな命の温度だけが残った。
クロが目を細める。
「これで三匹目か」
「ああ」
雛は何も知らない顔で、湊の指を甘噛みしている。
「名前、いるな」
赤い羽根を見る。迷うほどでもなかった。
「アカ」
クロが目を閉じた。
「……やはりそうなるか」
「いいだろ」
「お前らしい」
アカは顔を上げた。もう一度、湊が名前を呼ぶ。
「アカ」
「ぴぃ!」
今度はすぐ返ってきた。
湊は笑った。
*
アカは、ほとんど湊から離れなかった。右肩に乗って首筋へ頬を擦りつけ、少し飛んでは頭へ戻る。湊が夕食を用意している間も、赤い影が視界の端を行ったり来たりしていた。
やがてクロの方へ興味を向け、左肩まで歩いていく。黒い耳へ顔を寄せ、そのまま頬へ体を擦りつけた。
「おい。私は止まり木ではないぞ」
「ぴぃ」
アカは聞いていない。もう一度寄っていくので、湊は笑いを堪えながら右肩へ戻した。
「そっちはクロの場所」
「最初からそうしておけ」
黒い尾が一度だけ大きく揺れた。
今度はシロが鼻を寄せてきた。アカも首を伸ばし、鼻先と嘴が触れそうな距離で互いの匂いを確かめる。
「ぴぃ」
アカはシロの額へ飛び移り、銀色の耳の間に収まった。シロが困ったように湊を見上げる。
——これ、なに。
「アカ。今日から一緒に来る」
シロはしばらく動かなかったが、やがて伏せた。アカはその背中へ移り、温かな羽根を丸くする。
——あったかい。
シロの尾が、草の上を一度掃いた。
「仲良くできそうだな」
「シロが優しいだけだ」
「それもそうか」
焚き火が小さく爆ぜた。
*
夜が深くなる頃には、アカも静かになった。シロの背中で丸くなり、赤い炎だけが呼吸に合わせて揺れている。湊の横ではクロが目を閉じ、腰元には無銘がある。
「おやすみ、アカ」
赤い頭が少しだけ上がった。
「ぴぃ」
今度の声は小さかった。
湊も目を閉じた。
*
十五日目の朝。
瞼に硬いものが触れた。もう一度つつかれて目を開けると、アカが額に乗っている。
「ぴぃ!」
「起きた。起きたから」
アカは構わず髪をつつく。隣でクロが薄目を開けた。
「朝から元気だな」
「元気すぎる」
湊が抱き上げても、アカはすぐ右肩へ戻って首筋へ頬を寄せた。
朝食を終え、荷物をまとめる。
「行くぞ。アルカディアまで、あと二日くらいか」
「ああ。順調ならな」
クロは湊の左肩へ収まり、アカは当然のように右肩を取った。シロが足元につき、無銘を腰へ差す。
湊は南東へ続く道を歩き出した。
アルカディアは、もうすぐだった。




