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影を纏う者

翌朝から、湊は歩きながら《影魔法》を試した。


日が高くなると影は短くなる。それでも輪郭ははっきりしていた。木の影、岩の影、道端の草が落とす細い影。進む先を目で確かめながら、一つずつ渡っていく。


最初は三歩ほどしか届かなかった。何度か繰り返すうちに五歩へ伸び、昼を過ぎる頃には十歩ほど先の影から出られるようになった。


「距離を伸ばすより、出入りを速くした方がいいな」


肩の上からクロが言う。


「戦いで使うなら、遠くへ飛ぶより近い影を細かく繋いだ方が扱いやすい。行き先を見失う危険も少ない」


「やってみる」


三歩先へ沈み、すぐに浮く。次の影を見つけ、また沈む。初めは一度立ち止まる必要があったが、繰り返すうちに歩調を崩さず渡れるようになってきた。


夕方には、歩いていた湊の姿が一瞬だけ消え、数歩先へ現れるところまで動きが繋がった。


「今度は《認識阻害》も重ねてみろ」


クロに言われ、湊は頷いた。


周囲の認識から滑り落ちる感覚を保ったまま影へ沈む。数歩先から出ても、そのまま《認識阻害》を切らない。


シロがきょろきょろと周囲を見回したあと、鼻をひくつかせた。少し迷ってから、湊がいる方へ顔を向ける。


「匂いでは分かるみたいだな」


「ああ。《音操》で足音は消せるけど、匂いは残る」


「なら、それは覚えておけ。目と耳だけ消して安心するなよ」


湊は頷き、もう一度影へ沈んだ。



五日目の夜は、攻撃に使う影を試した。


焚き火の前で足元の影を伸ばす。昨夜より動かしやすくなっていたが、黒い形を硬いまま保とうとすると、すぐに額へ汗が滲んだ。十秒ほどで集中が切れ、影が足元へ戻る。


「伸ばしている間まで固める必要はないだろう」


クロが炎越しに影を眺める。


「当たる瞬間だけ実体にした方がいい」


湊は影を柔らかいまま地面へ這わせた。五歩ほど先の石へ触れる。その瞬間だけ、先端へ意識を集める。


影が硬くなり、石の脇の土を抉った。


「……こっちの方が楽だ」


「だろうな。あとは動く相手に当てられるかだ」


その答えは、翌日に出た。



六日目。街道は深い森へ入った。


左右から木々が迫り、木漏れ日が足元へ複雑な影を落としている。歩くには涼しい場所だったが、しばらく進んだところで湊は足を止めた。


音が少ない。


《音操》で周囲を拾う。風が葉を擦る音はある。枝も鳴っている。


鳥がいない。


足元でシロが低く唸った。銀の毛が逆立っている。


「いるな」


クロの耳も前を向いた。


湊は短剣を抜き、《隠密》を使う。《マッピング》には、木々の間を動く匿名の光点が四つ映っていた。道の左右から、こちらを囲むように近づいてくる。


木の根元で、影が揺れた。


黒い狼のようなものが、地面の影から滑り出す。輪郭は煙のように揺らぎ、赤い目だけがはっきり見えた。


「影狼か」


クロが小さく息を吐く。


「影に潜る魔物だ。お前と似たことをするぞ」


四体の影狼が距離を詰めた。


最初の一体が木陰を蹴る。湊は足元へ沈み、三歩先の木の影から浮いた。そのまま背後へ回り、短剣を脇腹へ走らせる。


刃は通った。


だが、肉を切った感触が薄い。黒い体が大きく揺れただけで、影狼は倒れなかった。


「影にいる間は実体が薄い。出てきた瞬間を狙え」


二体目が横から跳んだ。


湊は身を捻って爪を避け、足元から影を伸ばす。黒い先端が影狼の影へ触れた瞬間だけ硬化させた。


影を縫い止められた影狼の四肢が止まる。揺らいでいた体の輪郭が濃くなった。


湊は踏み込み、首へ短剣を走らせた。今度は確かな手応えがあり、黒い体が崩れて影の染みのように消えていく。


残り三体が動いた。


二体が左右から同時に跳ぶ。湊は影へ沈み、離れた木陰から浮き上がった。


その瞬間、真横の影が膨らんだ。


さっき傷を負わせた一体が、同じように影を渡って追ってきていた。


湊は身を引いたが、爪が左腕を掠めた。熱い痛みが走り、皮膚に細い血の線が浮く。


「同じところを通れば、待たれるか」


一度、影の外へ出る。


日差しの当たる道へ立つと、三体は木陰からこちらを窺った。赤い目だけが暗がりに並ぶ。


湊は足元の影を見る。


三体は別々の木陰にいる。


なら、まとめて止める。


自分の影を三つに分けた。黒い筋が地面を走り、それぞれの木陰へ伸びていく。一本でも意識が逸れると形が崩れそうになり、こめかみの奥が鈍く痛んだ。


三本が届く。


同時に硬化させた。


三体の影が地面へ縫い止められ、黒い体が木陰から引き出される。湊の視界が狭くなった。拘束を保つだけで、ほかへ意識を向ける余裕がほとんどない。


その横を銀色が走った。


シロが一体目の喉へ食らいつく。振り向きざまに二体目の脚を噛み、地面へ引き倒した。


湊は残った一体へ踏み込んだ。短剣で首を断つと、すぐに影の拘束を解く。


二体目へシロがとどめを刺した。


最後の一体も、地面へ黒く滲むように消えていった。


森に静けさが戻る。


湊は息を吐き、左腕を見た。浅い傷だった。水で血を流していると、クロが肩からその手元を覗き込む。


「三体まとめては、少し欲張ったな」


「……周りを見る余裕がなかった」


「自分で分かっているならいい。一匹でいる時に同じことはするな」


湊は隣へ目を向けた。シロが得意そうに尾を振っている。口元には、黒い影の残滓が少しだけ付いていた。


「今日はシロがいたから試せた」


「なら、なおさらシロに礼を言っておけ」


湊はしゃがみ、銀色の頭を撫でた。


「助かった」


——うん。しろ、つよい。


「知ってる」


尾がさらに大きく振られた。


クロがその様子を見て、鼻を鳴らす。


「同じく影を渡る相手には、出る場所を読まれる。複数を縛れば、その分お前の意識も持っていかれる。今日分かったのは、その二つで十分だ」


「ああ」


湊は腕へ布を巻き、立ち上がった。



森を抜ける頃には、夕日が草原を赤く染めていた。


三人分の影が、長く道へ伸びている。


湊は歩きながら、自分の影を一度見た。朝までは移動の足場にしか見えなかったものが、今は距離を詰める道にも、相手を止める手にも見える。


「明日も少しやる」


「そのくらいでいい。慣れるのは早い方だ」


湊が肩のクロを見る。


「そうか?」


「ああ。だからこそ、出来るようになった時ほど慎重になれ」


「分かった」


クロは満足したように目を細め、肩の上で欠伸をした。


足元ではシロが軽い足取りでついてくる。


三つの影が、夕暮れの道を同じ方向へ揺れていた。


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