残された輪
ヨークたちが死に、追えるはずだった糸は切れた。
救出された獣人たちが家族のもとへ戻り、スラムにも少しずつ日常が戻っている。それでも、ルゥの両親を含め、すでに国外へ運ばれた者たちの行方は分からないままだった。
湊は廃農場へもう一度向かった。
「何か残っているかもしれない」
騎士団も地下を改めて調べていた。枷。鎖。汚れた毛布。水差し。人を閉じ込めていた痕跡が、湿った石の匂いの中にまだ残っている。
湊は《マッピング》で近くの空間を確かめながら、その後ろを歩いた。新しい部屋や抜け道は見つからない。
奥の部屋へ入ったところで、シロが足を止めた。
瓦礫の前へ鼻を寄せ、何度か匂いを嗅ぐ。それから前脚で石を掻いた。
「どうした」
湊がしゃがむと、シロは瓦礫の隙間へ鼻先を突っ込み、何かを咥えて引き出した。
黒ずんだ金属の輪だった。手のひらに乗るほどの大きさで、表面には細かな紋様が刻まれている。一部が歪み、亀裂も走っていた。
「……魔道具か?」
肩のクロが身を乗り出す。
「そうだな。だが、壊れている。魔力の流れが完全に途切れている」
「何の道具だ」
「分からん。見覚えのない刻み方だ」
湊は輪を裏返した。亀裂の奥に、焼けたような黒い跡が見える。
「持って帰る」
布で包み、マジックバッグへしまった。
*
城へ戻ると、ラグナとサダムが待っていた。
机の上へ布を広げる。ラグナは金属の輪を持ち上げ、しばらく眺めてからサダムへ渡した。
「見たことあるか」
「同じものはございません。ただ……」
サダムの指が、刻まれた紋様をゆっくりなぞる。
「この刻み方には覚えがあります。グランデル系の錬金技術に近い。断定はできませんが」
ラグナの眉間に皺が寄った。
「またグランデルか」
「まだ決めつけない方がいい」
湊が言うと、ラグナは短く息を吐いた。
「分かってる。——救出した奴らにも見せるぞ」
*
スラムの長屋には、救出された獣人たちが数人集まっていた。
顔色はまだ悪い。それでも、廃農場で見た時より目に力が戻っている。
サダムが布を開いた瞬間、鹿族の老婆の肩が強張った。
「……それは」
湊はその反応を見る。
「知ってる?」
「手足につけられていたものです」
老婆は自分の手首へ触れた。指先がわずかに震えている。
「同じような輪を、手首と足首に。つけられている間、ずっと体から力が抜けていきました。眠っても、起きても、戻らないんです」
隣の狐族の女性も頷いた。
「外そうとしても外れませんでした。人間たちが時々来て、輪を見ていました。光っている時と、光っていない時があって……」
「何をされていたか、分かる?」
老婆は首を振った。
「分かりません。ただ、あれをつけられている間は魔力が使えなかった。起き上がる力まで吸い取られていくみたいで……」
ラグナの顔から表情が消えた。
「魔力を吸う道具か」
サダムは壊れた輪をもう一度見た。
「少なくとも、そのための装具の一部でしょう。これだけ故障して、瓦礫の中に取り残されたのかもしれません」
「直せるか」
「我が国では難しいかと。術式の系統が違いすぎます」
部屋が静かになった。
湊は布の上の輪を見る。黒い金属は何も答えない。
それでも、昨日までなかったものが一つ残った。
手がかりだった。
*
城へ戻ったあと、ラグナが湊へ尋ねた。
「それで、どうする」
湊は机の上の輪を見た。
「これが何なのか調べたいです。何のために魔力を吸っていたのか。それが分かれば、連れ出された人たちを追う手がかりになるかもしれない」
ラグナは頷いた。
「なら、行く先は一つだ。アルカディア」
「魔道都市国家」
「ああ。大陸の南東にある。魔道具のことなら、あそこ以上の場所はねえ。壊れた術式を読める奴もいるはずだ」
湊は輪を布で包み直した。
次の行き先が決まった。
出発は三日後になった。
*
その日の夕方、湊はルゥのところへ行った。
路地の壁際に座るルゥの隣では、小さなシロが丸くなっている。湊が近づくと、灰色の耳が動いた。
「にいちゃん」
「ルゥ。話がある」
湊は前へしゃがみ、目線を合わせた。
「三日後、この街を出る」
ルゥの目が見開かれる。
「……おれも、いく」
「駄目だ」
「なんで」
「危ないからだ。行く先で何があるか、俺にも分からない。お前を連れていける旅じゃない」
灰色の耳が伏せられた。
「……にいちゃんが行ったら、おれ……」
「セドルさんたちがいる。ラグナ陛下にも頼んである」
ルゥは俯いたまま、膝の上で指を握る。
湊はその頭へ手を置いた。
「俺は、父ちゃんと母ちゃんを必ず連れて帰るとは言えない」
ルゥが顔を上げた。目に涙が溜まっている。
「まだ、何があったのか分からないから」
湊は手を離さなかった。
「でも、探す。何があったのか分かるまで、やめない」
「……ほんと?」
「ああ。約束する」
涙が一粒落ちた。
ルゥはそれを拭わず、唇を噛んで頷く。
シロが膝へ頭を乗せた。小さな尾が、土の上をゆっくり掃く。
クロは肩の上で何も言わなかった。
*
出発の朝、宿の前にはカイルたち五人がいた。
カイルがいつもの調子で片手を上げる。大盾の男、二人の魔術師、フード姿の斥候も揃っていた。
「見送りか」
「まあな。次はどこだ?」
「アルカディア」
「遠いな」
カイルは笑った。
「まあ、お前なら着くだろ」
湊も少しだけ笑う。
差し出された手を握った。
「またどこかで」
「ああ。またどこかで」
それだけで十分だった。
ほかの四人にも短く別れを告げ、湊は宿を離れた。
*
街を出る前に、ラグナが待っていた。
隣にはサダムと数人の近衛兵がいる。
「来たか」
「陛下。世話になりました」
「堅いこと言うな」
ラグナは懐から革袋を取り出し、湊へ押しつけた。受け取る前から、硬貨の重さが分かる。
「報酬だ」
「いりません。依頼を受けたわけじゃないので」
「馬鹿言え。お前がいなきゃ、助からなかった奴がいる。受け取れ。俺の顔を立てろ」
「でも」
革袋が胸へ押しつけられた。
「王の命令だ」
湊は少しだけ息を吐き、受け取った。
「……ありがとうございます」
「最初からそうしろ」
ラグナは笑い、大きな手で湊の肩を叩いた。
「また来い。今度はゆっくり酒でも飲もう」
「はい」
隣でサダムが深く頭を下げる。
「道中、ご無事で」
「ありがとうございます」
湊も頭を下げ、荷物を背負い直した。クロが肩の上で欠伸をし、シロが足元で尾を振る。
「行くぞ」
「ああ」
街を抜ける。
バルムの建物が少しずつ遠ざかり、やがて草原の道だけが前へ伸びた。風が吹くたび、青い草の匂いが流れてくる。
荷物の奥には、布に包んだ壊れた輪がある。
湊は前を向いたまま、アルカディアへ続く道を歩いた。




