闇の糸
ヨークへの尋問は、城の地下牢で行われた。湿った石壁に、鉄と油の匂いがこもっている。ラグナはヨークの正面へ椅子を置き、湊は少し離れた壁際に立った。立ち会え、とラグナに言われたからだ。
ヨークの両手は鎖で壁へ繋がれていた。いつもの穏やかな笑みは消えている。それでも、怯えた様子はなかった。
「手口を聞く」
ラグナが言うと、ヨークは静かに顔を上げた。
「私のスキルは《物品化》。生物を一時的に、物として扱うことができます。本来なら魚や小さな魔物程度にしか使えない、物流向けの地味なスキルです」
「それで人を攫ったのか」
「そのままでは無理です。魔力が足りない。ですから、魔力増幅薬を使いました」
ヨークの声は淡々としていた。薬を飲めば数時間だけ魔力が大きく増し、その間なら人間ほどの大きさにも《物品化》が通るという。
「物になった対象は魔法袋へ入れられる。争った跡も残らない。目撃されなければ、ただ忽然と消えたように見える」
湊は地下倉庫で消えたルゥの光を思い出した。人だったルゥが地図から消え、地下で再び人の姿へ戻された瞬間に光も戻った。
あれが《物品化》だった。
「薬はどこから手に入れた」
「グランデルの錬金術師です。名前は知りません。取引はすべて仲介人を通していました」
ラグナの声が低くなる。
「ギルドの地下にいた男か」
「ええ。私にとっても、あの男が窓口のすべてでした」
ラグナはしばらくヨークを見た。
「——動機を聞く」
そこで初めて、ヨークが少し首を傾げた。
「動機?」
「なぜ、俺の民を攫った」
一瞬の沈黙のあと、ヨークは本当に分からないという顔をした。
「……なぜ、と聞かれると困りますね。私は当然のことをしただけです」
ラグナの琥珀色の目が細くなる。
「当然?」
「獣人は人間ではない。人間に近い形をしているだけの別種です」
鎖が小さく鳴った。ヨークの声音は変わらない。
「害獣を処理することに、いちいち動機が必要ですか?」
地下牢の空気が冷えた気がした。ラグナは怒鳴りも殴りもせず、椅子に座ったままヨークを見ている。
湊の頭には、《マッピング》の緑の光が浮かんでいた。最初にギルドの執務室で会った時も、ルゥの光が消えた時も、地下倉庫で向き合った時でさえ、ヨークの印は緑だった。
緑は、無実の色じゃない。
善人だという意味でもない。ただ、あの時のヨークが湊へ敵意を向けていなかった。それだけだ。
目の前の男は、湊を敵と見る必要すらないまま、ルゥを物にして運んだ。背中を冷たいものが這った。
ラグナがゆっくり立ち上がる。
「もう一つ聞く。お前の後ろにいるのは誰だ」
ヨークの目が、初めてわずかに揺れた。
「後ろ?」
「薬の供給。仲介人の配置。前のギルドマスターの排除。お前一人で全部用意できる話じゃねえ」
ラグナが一歩近づく。
「誰がお前をここへ送り込んだ」
ヨークは口を閉じた。石壁のどこかで水が落ちる。一度。少し置いて、もう一度。
「……私は、自分の意志でここへ来ました」
「嘘をつくな」
低い声だった。
ヨークは目を伏せ、それ以上何も言わない。ラグナもしばらく待ったが、やがて背を向けた。
「明日、もう一度聞く。考えておけ」
*
地下牢を出ても、湿った冷気が服に残っている気がした。石の廊下を歩き、階段の前まで来たところでラグナが止まる。後ろの兵へ聞こえないよう、声を落とした。
「グランデルだ」
湊は顔を上げる。
「あいつの後ろにいるのは、おそらくグランデル王国だ。薬の出所もそうだ。だが、まだ証拠にはならねえ」
「ヨークが口を割れば」
「ああ」
ラグナの拳が固く握られた。
「明日、もう一度詰める」
湊は頷いた。
*
翌朝、宿で朝食を取っていると城から使いが来た。
ラグナの私室へ入ると、サダムがすでに立っていた。いつも以上に背筋が硬く、ラグナは机の前で黙っている。
「ヨークが死んだ」
湊が扉を閉めるより先に、ラグナが言った。
「牢の中で、今朝見つかった。外傷はねえ。今のところ毒も出てない」
机の上の紙が、ラグナの拳の下で皺になっていた。サダムが続ける。
「廃農場とギルド地下で捕縛した者たちも同様です。別棟へ分けて収監しておりましたが、昨夜のうちに全員死亡しました」
「全員?」
「はい。いずれも外傷はなく、同じ手口と見ております」
ラグナが机を叩いた。鈍い音が部屋に響き、積まれていた書類が崩れる。
「……口封じか」
サダムは答えなかった。答える必要もなかった。
ラグナは窓へ目を向ける。朝のバルムでは、いつも通り人が歩き、荷車が通りを進んでいた。
「糸を全部切りやがった。ヨークも仲介人も死んだ。売った先へ繋がる奴もいない」
「現時点では、すでに移送された方々の行き先を追う手段がありません」
サダムの言葉に、湊はルゥの灰色の耳を思い出した。父親と母親は廃農場にいなかった。
「……分かりました」
それしか言えなかった。
*
三日後、スラムの広場へ廃農場から救出された獣人たちが帰ってきた。
騎士に付き添われ、ゆっくりと路地を進んでくる。痩せた体も色褪せた毛並みもまだ戻ってはいない。それでも、担架ではなく自分の足で歩いている者が増えていた。
最初に鹿族の老婆を見つけた若い男が駆け寄り、そのまま抱きしめた。狐族の女性は二人の子供に飛びつかれ、膝をついたまま何度も背中を撫でている。言葉にならない声と泣き声が、広場のあちこちで重なった。
熊族の前ギルドマスターも杖をついて歩いてきた。身体はまだ細いが、目には前より力が戻っている。待っていたギルド職員たちが駆け寄ると、老婆は一人ずつ顔を見て、ゆっくり頷いた。
湊は広場の端から、その様子を見ていた。隣にはルゥがいて、小さな手が服の裾を握っている。
「にいちゃん」
「ん?」
「あの人たち、かえってきたね」
「ああ」
ルゥは再会する家族たちを見たまま、しばらく黙っていた。
「……おれの父ちゃんと母ちゃんも、かえってくる?」
答えは出なかった。二人は半年以上前に消え、廃農場にはいなかった。ヨークたちも死に、今は行き先すら分からない。
できない約束をすることはできない。
湊はルゥの頭へ手を置いた。
「探す」
ルゥが見上げる。
「ほんと?」
「ああ。約束する」
灰色の耳が震えた。ルゥは唇を噛み、泣かずに頷く。
肩の上でクロは何も言わない。シロだけがルゥの足へ寄り添い、小さな尾をゆっくり振っていた。
広場には、帰ってきた者と迎える者の声が重なっている。その中に、まだ帰ってこない者たちの分だけ、静かな場所が残っていた。




