王の裁き
ヨークは抵抗しなかった。
ラグナが近づいても、カイルが剣を向けても、逃げようとはしない。いつもの穏やかさを失った顔で、両手を前へ差し出した。
「縛れ」
ラグナが言った。
カイルが縄を取り出し、ヨークの手首を後ろで縛る。
壁際では、フードの男が手首を押さえて震えていた。湊の苦無が掠めた傷から、血が指を伝っている。
カイルの仲間の大盾使いが男を引き起こし、同じように拘束した。
ラグナが顎を向ける。
「こいつは」
「ヨークからルゥを受け取ろうとしてた」
湊が答えた。
「攫った獣人を、ここで引き渡してたんだと思う」
琥珀色の目が男へ向く。
「ひっ……俺は、言われた通りにしただけだ——」
「黙れ」
低い一言だった。
男の口が閉じた。
*
ルゥは、まだ湊の服を掴んでいた。
薬が残っているのか、腕にも脚にもほとんど力が入っていない。灰色の耳は伏せられ、細い体が小刻みに震えている。
「にいちゃん……こわかった。なにも、みえなくて……」
「もう終わった」
湊は頭を撫でた。
手のひらの下で、小さな耳がさらに伏せられる。
「大丈夫だ」
足元ではクロが黙ってルゥを見ていた。
——間に合ったな。
——ああ。
シロが顔を寄せ、涙で濡れた頬を舐めた。
「くすぐったい……」
ルゥの口元が、ほんの少しだけ動いた。
それを見てから、湊は息を吐いた。
*
ヨークたちを連れて地下から上がると、ギルドの一階は騒然としていた。
正面扉は壊れたまま大きく開き、冒険者たちは壁際へ寄っている。受付の職員たちも、拘束されたギルドマスターを声もなく見ていた。
ラグナがヨークを床へ座らせる。
「お前には聞くことがある。だが、ここじゃねえ」
それからカイルを見る。
「城に使いを出せ。サダムに伝えろ。騎士団を動かす」
「分かりました」
カイルが走り出した。
ラグナは、今度はフードの男の前へしゃがむ。
「お前も、詳しい話は牢で聞く」
男の肩が跳ねた。
「ただし、一つだけ今答えろ」
琥珀色の目が、まっすぐ男を射抜く。
「攫った奴らはどこにいる」
男の目が泳いだ。
ラグナの手が襟首を掴む。
「もう一度だけ聞く。どこだ」
「……南門の外……」
声が掠れた。
「街道沿いの、廃農場だ……地下に部屋がある。そこに……」
ラグナは手を離した。
立ち上がる。
「聞いたか」
「ああ」
「来るか」
湊は腕の中を見る。
ルゥが、まだ服を握っていた。
「……ルゥ。少しだけ離れる」
「やだ」
即答だった。
湊はしゃがみ、目線を合わせる。
「すぐ戻る」
「……ほんと?」
「ああ」
小さな指が、ゆっくり服から離れた。
シロがルゥの横へ寄り添う。子犬ほどの銀色の体を、ぴたりと脚へつけた。
——しろが、いる。だいじょうぶ。
ルゥはシロの毛へ顔を埋めた。
湊はその頭を一度撫でてから立ち上がった。
*
騎士団が動いたのは、その日の夕刻だった。
サダムの手配は速かった。南門には精鋭二十人が集まり、ラグナ自身が先頭に立つ。
街道を南へ進む。
古い柵と、崩れかけた納屋が見え始めたところで、湊は《マッピング》を開いた。
近くの地形が半透明に浮かぶ。
納屋。
その床下へ続く階段。
地下には、地上より広い空間があった。
「地下がある。入口は納屋の中」
「人は」
意識を寄せる。
地下の奥に、七つの光点が固まっていた。ほとんど動いていない。
入口の近くには、別に三つ。
名前のない光点だった。
「奥に七人。ほとんど動いてない。入口近くに三人いる」
ラグナの顔から笑みが消えた。
「囲め」
騎士たちが散る。
足音を抑え、廃農場を包むように配置についた。
「行くぞ」
ラグナが納屋の扉を蹴り開けた。
乾いた板が割れ、古い干し草とかびの匂いが流れ出す。
床の一部が開き、地下へ続く階段が露出していた。
中から男たちが飛び出してくる。
「何者——」
最後まで言わせなかった。
ラグナが一歩踏み込む。
空気が押されたように感じた。
一人の膝が落ちる。
二人目が剣を振り上げたが、先頭の騎士が受け流した。そのまま斬り伏せられ、男は石床へ倒れる。
三人目は背を向けた。
すぐに別の騎士が追いつき、地面へ組み伏せた。
短い抵抗だった。
「奥だ」
ラグナが階段を下りる。
湊も続いた。
*
地下には、石造りの部屋が三つあった。
鉄格子で区切られている。
その向こうに、人影があった。
獣人たちだった。
七人。
男も女もいる。年寄りも、子供もいた。
全員が痩せていた。
目には力がなく、手足には枷が嵌められている。服は汚れ、毛並みは荒れ、露出した腕や脚には痣が残っていた。
湊は足を止めた。
湿った石と、古い汗の匂いが鼻につく。
誰も、すぐにはこちらへ反応しなかった。
拳が勝手に固くなる。
ラグナが鉄格子の前へ立つ。
鍵を探さなかった。
両手で二本の鉄棒を掴む。
金属が軋んだ。
腕に力が入り、太い格子が外側へ曲がっていく。
やがて、人一人が通れる隙間が開いた。
「出ろ」
中にいた何人かが、ゆっくり顔を上げる。
ラグナの声が少しだけ低くなった。
「もう終わりだ」
「……ラグナ、様……?」
老いた鹿族の女性が、掠れた声を漏らした。
「ああ」
ラグナが答える。
「迎えに来た。——遅くなった」
声が、わずかに震えていた。
騎士たちが中へ入り、枷を外していく。
立てない者は背負った。
泣き出す者がいた。
声も出さず、騎士の腕へ崩れ落ちる者もいた。
部屋の奥に、大きな体が横たわっている。
熊族の老婆だった。
体はひどく痩せ、毛並みも灰色に褪せている。
それでも、胸は動いていた。
ラグナが膝をつく。
「……こいつ」
湊も気づいた。
「前のギルドマスターだ」
カイルから聞いた話を思い出す。
「半年前、本部に呼ばれたってことになってた人」
ラグナが老婆の顔を覗き込んだ。
薄く、瞼が開く。
「……おう、さま……」
「喋るな」
ラグナの太い腕が、老婆の体を抱き上げた。
「今は休め」
大柄なはずの熊族の体が、その腕の中では軽すぎて見えた。
*
廃農場から、七人の獣人が運び出された。
担架に乗せられた者。
騎士に背負われた者。
支えられながら、自分の足で歩いた者。
一人ずつ、夕暮れの街道へ出ていく。
湊は農場の前に立ち、最後の担架が南門の方角へ進むのを見送った。
肩の上で、クロが静かに言う。
「七人。全員生きていた」
「ああ」
「だが、これで終わりではない」
湊も分かっていた。
半年の間に消えた獣人は、もっと多い。
ここにいなかった者たちは、もう別の場所へ運ばれている。
どこへ。
誰のところへ。
まだ何も分からない。
「……まず、ヨークだ」
「ああ」
「あいつから聞く」
夕日が、崩れた納屋を赤く染めていた。
道の先では、七人を乗せた一団がバルムへ帰っていく。
湊は、その姿が見えなくなるまで立っていた。




