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数日が過ぎた。


湊は毎朝スラムへ通った。水を汲み、薪を運び、セドルの炊き出しを手伝う。昼前にはギルドで依頼を受け、夕方にはまた戻って子供たちと飯を食った。


日ごとに、顔見知りが増えていった。


鹿の獣人の女性はミーラといった。長くセドルを手伝っているらしく、口数は少ない。湊が水を運ぶと、いつも小さく頭を下げた。


路地の奥には、犬の耳を持つ老婆が一人で暮らしていた。足が悪い。湊が薪を届けると、礼だと言って干し肉を一切れ押しつけられた。


猫の獣人の少女もいた。ルゥより少し年上で、名前はティナ。最初は湊を遠巻きに眺めていたが、三日目にシロの頭を撫で、四日目には自分から話しかけてきた。


「ルゥのにいちゃん?」


「ルゥのにいちゃんじゃない。湊だ」


「ルゥがそう呼んでるもん」


湊は《マッピング》を開いた。


広場の中に緑の光点が浮かぶ。ミーラ。老婆。ティナ。セドル。ルゥ。子供たち。


知っている名前が、少しずつ増えていた。


——この中から、誰も消えるな。



五日目の朝。


冒険者ギルドへ入ると、依頼板の前に人だかりができていた。


「おい、聞いたか。銀狼だってよ」


「銀狼?」


「スラムのガキが見たらしい。でっかい銀色の狼を、人間の冒険者が連れてるって」


「馬鹿言え。銀狼なんて伝承の話だろ」


「でも、南の草原で見た奴もいるぞ。角猪を一撃で仕留めたって」


湊は少し離れたところで足を止めた。


肩の上でクロが囁く。


「広まったな」


「ルゥか」


「だろうな。あの子は黙っていられる性格ではない」


湊は小さく息を吐いた。


足元のシロは子犬ほどの姿で尻尾を振っている。誰も、噂の銀狼が目の前にいるとは思っていないらしい。


「まあいい。噂は噂だ」


「今はな」


クロの尾が一度揺れた。



その日の依頼は、街の北にある丘陵地帯へ出る毒蜥蜴の駆除だった。


五匹。銀級相当。


街を離れて《マッピング》を開くと、低い丘と岩場、乾いた窪地が半透明の地図に浮かんだ。岩陰に赤い光点が三つ。少し離れた窪地に二つある。


「分かれてるな」


「毒蜥蜴は縄張り意識が強い。群れで固まる魔物ではない。一匹ずつやれ」


湊は《隠密》で気配を沈め、《音操》で足音を消した。


最初の一匹は、岩の上で陽を浴びていた。体長は湊の腕ほど。紫がかった鱗が光を鈍く返している。


間合いへ入る。


一歩。二歩。


毒蜥蜴はまだ動かない。


三歩目で踏み込み、短剣を首へ走らせた。硬い鱗の隙間を刃が抜け、頭が岩の上へ落ちる。


「一匹」


二匹目は岩の裏にいた。


顔を出した瞬間、口が大きく開く。湊は横へ跳んだ。飛んできた紫色の液が岩へ散り、じゅっと嫌な音と匂いを立てる。


腰から苦無を抜き、そのまま投げた。


刃が眉間へ刺さり、毒蜥蜴が岩陰へ崩れた。


三匹目は逃げた。


《マッピング》の赤い光点が丘を駆け上がる。


——シロ。


小さな銀色の体が草を蹴った。


子犬ほどの姿でも速い。丘の上で追いつくと、シロは毒蜥蜴の背へ前脚を乗せ、そのまま押さえ込んだ。


湊が追いついた時、シロは得意そうに尻尾を振っていた。


——みなと。つかまえた。


「ああ。ありがとう」


三匹目を仕留める。


窪地の二匹を相手にする時は、シロを元の大きさへ戻した。銀の巨体が斜面を駆け下りると、二匹は反対へ逃げようとしたが間に合わない。


一匹を前脚で押さえ、もう一匹の首へ牙が入る。


ほどなく、地図から二つの赤い光も消えた。


「終わりだ」


毒腺と鱗を回収し、マジックバッグへしまう。


帰り道、クロが口を開いた。


「戦うたびにシロを戻していれば、いずれ目撃者は増えるぞ」


「分かってる」


「分かっていて戻すのか」


「必要なら」


「……まあ、そうなるな」


クロはしばらく黙り、草原の先へ目を向けた。


「それに、噂が広まるのも悪いことばかりではない。この国には昔から、銀狼や『大いなる狼』を神獣として語る伝承がある」


「シロが?」


「それは知らん。私は伝承の話をしている」


足元を歩く小さなシロへ、クロの視線が落ちる。


「だが、銀狼を連れた人間という噂が広がれば、お前を見る目は変わるかもしれん」


「どうでもいい」


「お前自身にはな」


クロの声が少しだけ低くなった。


「行方不明者を探すなら、話を聞いてくれる者が増えるのは悪くない」


湊は返事をしなかった。


ただ、その言葉だけは覚えておいた。



スラムへ戻ると、広場の空気がいつもと違っていた。


子供だけではない。見覚えのない大人の獣人が何人も集まり、湊の方を見ている。


ルゥが駆けてきた。


「にいちゃん! みんなが聞きたいって!」


「何を」


「神獣さまのこと!」


湊は眉間を押さえた。


広場の隅に、熊の獣人の男が立っていた。大きな腕を組み、こちらを睨むように見ている。


「あんたが、銀狼を連れてるっていう人間か」


「……犬だ」


「犬?」


男の視線が、湊の足元へ落ちた。


小さな銀色のシロが尻尾を振っている。


「これが銀狼? 冗談だろ」


「冗談じゃないよ!」


ルゥが声を張った。


「おっきくなるんだよ! すっごくおっきくて、銀色で、かっこいいんだよ!」


「ガキの話をそのまま信じられるか」


男が鼻を鳴らす。周囲の大人たちも半信半疑の顔だった。


湊はシロを見る。


青い目が見上げてくる。


——みなと? おおきく、なる?


「いや。そのままでいい」


男へ向き直る。


「信じなくていい。証明する気もない」


「じゃあ、何しにここへ来てる。人間が」


「炊き出しの手伝い」


男が黙った。


周りも静かになる。


鍋の前から、セドルが声を上げた。


「この子は毎日来てくれとるよ。水汲みも薪運びも、嫌な顔一つせんでな」


熊の男はセドルを見て、それから湊を見る。


「……ふん」


腕を解いた。


疑いはまだ残っているようだったが、それ以上は何も言わなかった。


湊も水を汲みに向かった。


いつも通り、井戸から鍋まで桶を運ぶ。ルゥが薪を抱え、ティナが野菜を洗っていた。



炊き出しが終わり、人が減り始めた頃。


さっきの熊の男が近づいてきた。


「……ゴルツだ。俺の名前」


「湊」


「ミナト。——悪かったな、さっき」


「気にしてない」


ゴルツが頭を掻く。


「スラムに人間が来ること自体、珍しいんだ。しかも毎日だ。何か裏があるんじゃないかと思った」


「裏はない」


「……みたいだな」


ゴルツは湊の隣へ腰を下ろした。古い椅子がぎしりと鳴る。


少し黙ってから、低い声で聞いた。


「行方不明の件、調べてるって本当か」


「ああ」


「セドルじいさんから聞いた」


大きな手が膝の上で握られる。


「俺の女房も、三ヶ月前にいなくなった。買い物へ出て、そのまま帰ってこなかった」


湊は何も言わず、続きを待った。


「ギルドにも届けた。自分でも探した。でも、何も分からん」


ゴルツの拳に力が入る。


「俺は力ならある。だが、どこを探せばいいのかも分からない」


湊は《マッピング》を開いた。


目の前に、ゴルツの名がついた緑の光点が一つ増える。


「まだ、何も分かってない」


「ああ」


「それでも調べてる」


ゴルツはしばらく湊を見ていた。


やがて立ち上がる。


「何か手伝えることがあれば言ってくれ。力仕事なら任せろ」


「ああ」


大きな背中が路地へ消えていく。


肩の上でクロが言った。


「また増えたな」


「何が」


「お前に手を貸す奴だ」


湊はゴルツの消えた路地を見る。


「頼んでない」


「まだ、な」


クロが小さく欠伸をした。



その夜。


宿の寝台に腰を下ろし、《マッピング》を開いた。


バルムの街が半透明の光に浮かぶ。スラムの広場を中心に、名前のついた緑の点が以前より増えていた。


「消えた者のことを整理するぞ」


枕元のクロが言った。


「全員、獣人。全員、スラムの住人。仕事や買い物へ出たまま戻らない」


「ああ」


「人の少ない場所で攫われているなら、相手はこの街を知っている。道も、人通りの薄い時間もな」


湊は地図を動かした。


細い路地。建物の裏。水路。行き止まり。


人の目から外れやすい場所はいくらでもある。


「全部を見るのは無理だな」


「お前一人ではな」


クロの尾が寝台を一度叩いた。


湊は地図の中の緑の点を見た。


ルゥ。セドル。ミーラ。ティナ。ゴルツ。


昨日までは、知らなかった名前ばかりだった。


シロの小さな寝息が、床の毛布から聞こえてくる。


「……明日、話してみる」


クロは誰に、と聞かなかった。


ただ金色の目を細めた。


「そうしろ」


湊は地図を閉じた。


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