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バルムの街

商隊がバルムへ着いたのは、草原に出てから二日目の夕方だった。


街道の先に、少しずつ建物が増えていく。


荷車。家畜。行き交う獣人たち。グランデルの関所のように列を止められることもなく、草原を進んでいたはずの馬車は、気づけば街の中へ入っていた。


「ずいぶん開けてるな」


「獣人の国だからな」


クロが肩の上で目を細める。


「グランデルとは考え方が違う。見れば分かる」


通りへ出ると、その意味が少し分かった。


犬の耳を持つ男が荷車を引き、鷹の翼を背に畳んだ女が屋台で串を焼いている。虎の縞模様が腕に走る大男は、道端で子供と腕相撲をしていた。向かい合う子供にも同じ虎柄がある。


声が大きい。


笑い声も多い。


エルダは多種族が混じり合う街だった。ここは違う。獣人たち自身の暮らしの中へ、人間や他種族が混ざっている。


足元で、小さなシロが鼻を上げた。


——いいにおい。にく、やいてる。


「後でな」


——いまでもいい。


「後で」


カイルが横へ並んだ。


「俺たちはここで解散だ。ミナト、ギルドには行くか?」


「ああ。護衛の完了手続きがある」


「なら一緒に行こう。場所は分かる」



バルムの冒険者ギルドは、街の中心に近い広場へ面していた。


木と石を組み合わせた大きな建物だった。扉は広く、天井も高い。中へ入ると、酒と汗、それに革の匂いが混じっていた。


冒険者のほとんどは獣人だった。


熊の獣人が卓で酒を飲み、狐の耳を持つ女が依頼書を眺めている。人間の姿もあるが、数は少ない。


カウンターの向こうでは、兎の獣人の女性が書類を整理していた。薄茶色の髪の上で、長い耳がゆらゆら動いている。


「いらっしゃい。護衛依頼の完了手続き?」


「ああ」


湊が依頼書を出すと、兎の耳がぴくりと立った。


「グラーツからの商隊護衛ね。お疲れ様。報酬は銀貨十五枚。ここで受け取れるわ」


受け取った革袋が、掌へ重みを返す。


隣ではカイルも手続きを済ませていた。


「冒険者登録はエルダね。ラグナ国内でもそのまま有効よ。ランクも引き継がれるから、依頼はいつでも受けられるわ」


「分かった」


受付嬢の目が、湊の肩と足元へ動いた。


「猫と犬も一緒なのね。可愛い」


シロの尻尾が勢いよく振れた。


——また、ほめられた。


クロは欠伸をした。


カイルが笑う。


「その犬、褒められるの好きだな」


「調子に乗るから、あまり言わない方がいい」


——のってない。


「乗ってる」


受付嬢がくすりと笑った。


カイルは手続きを終えると、肩越しに手を振った。


「俺はしばらくこの街にいる。何かあったら声かけてくれ」


「ああ」


「……相変わらず短いな」


そう言って、今度こそ仲間たちの方へ戻っていった。



ギルドの近くで宿を取った。


二階の角部屋。窓を開けると広場が見え、下から獣人たちの声が上がってくる。


荷物を置いて、街へ出た。


夕暮れの通りには屋台が並んでいた。


炭火で焼ける肉の匂い。香辛料。煮込み料理の湯気。エルダやグラーツより、鼻に残る香りが強い。


湊は一軒の屋台で足を止めた。


鷹の翼を持つ女が、太い串へ肉を刺して焼いている。炭へ脂が落ちるたび、じゅっと音がして煙が上がった。


「一本ください」


「あいよ。銅貨三枚」


受け取った串は熱かった。


一口齧る。


肉汁と一緒に辛味が広がった。舌が少し痺れる。それでも旨い。


足元から、視線を感じた。


——にく。


「見れば分かる」


——シロも。


「従魔肉があるだろ」


——あれはあれ。これはこれ。


「駄目」


——けち。


肩の上でクロが鼻を動かした。


「……確かに悪くない匂いだな」


「食べる?」


「一口だけなら」


少しちぎって差し出す。


クロは慎重に匂いを嗅いでから口にした。


「辛い」


「だろ」


「だが悪くない」


シロの耳が立つ。


——シロも。


「駄目」


——ずるい。


騒ぐシロを連れて、また歩き出した。


体格の大きい獣人が多かった。熊族や牛族は、湊より頭二つほど大きい。それでも、すれ違えば自然に肩を避ける。目が合えば軽く顎を引く者もいた。


誰も、湊が人間だからと足を止めなかった。


「いい街だな」


「言っただろう。お前には合うと思う、と」


夕日が通りを橙色に染めていた。


湊は残った肉を齧った。



賑やかな通りから一本外れた。


少し進んだだけで、匂いが変わった。


焼いた肉や香辛料の匂いが遠のき、湿った木と古い土の匂いが強くなる。


建物も古い。崩れかけた壁。板で塞がれた窓。細い路地には日が届かず、さっきまで聞こえていた笑い声も遠かった。


「……こんな場所もあるのか」


「どの街にもある」


クロの声が低くなる。


「獣人の国だからといって、皆が同じ暮らしをしているわけではない」


路地の奥に、子供が三人いた。


痩せた獣人の子供たちが、壁際にしゃがんでいる。湊を見ると、すぐに目を逸らした。


湊も足を止めずに歩いた。


その時。


小さな影が、横から飛び出した。


肩が腰へぶつかる。


右手が急に軽くなった。


「——あ」


肉串がない。


振り向いた時には、影はもう路地の奥へ入っていた。


クロの尻尾が跳ねる。


「湊。ポーチも見ろ」


腰へ手をやる。


口が開いていた。


さっき受け取った釣りの銅貨も消えている。


「……速いな」


「感心している場合か」


クロが暗い路地を見る。


「シロ」


小さな銀の耳が立った。


「追え」


——うん。


シロが駆け出した。


子犬ほどの銀色の影が、路地の奥へ消える。


湊も走った。


左。


右。


また左。


建物の隙間を抜け、垂れ下がる洗濯物を避ける。


角を曲がった先で、シロが止まっていた。


行き止まりだった。


壁を背にして、小さな子供がうずくまっている。


灰色の毛並み。頭の上に尖った狼の耳。ぼろぼろの服に裸足。七つか八つくらいの、痩せた男の子だった。


右手には、半分ほど齧られた肉串。


左手には、銅貨が握られている。


シロはその前に立ち、尻尾を振っていた。


追いついただけで、唸ってもいない。


子供の目がシロへ向く。


その時、シロの体が膨らんだ。


「シロ」


止めるより早かった。


子犬ほどだった体が一気に大きくなり、銀色の毛皮が狭い路地を埋める。肩は湊の腰を越え、青い目が薄暗がりの中で光った。


——あ。


シロ自身が固まった。


追いかけることに夢中で、戻してしまったらしい。


子供の顔から血の気が引く。


肉串が落ちた。


銅貨が地面へ散る。


「ぎ……」


唇が震えた。


「銀、狼……?」


そのまま膝をつく。


次いで、額まで地面へ押しつけた。


「大いなる狼の……神獣、さま……!」


クロが小さく息を吐いた。


「……やってくれたな、馬鹿犬」


——みなと。このこ、こわがってる。シロ、なにもしてない。


「分かってる」


湊はしゃがんだ。


「顔を上げろ」


子供は動かない。


「シロは噛まない」


ようやく、灰色の耳が少し動いた。


恐る恐る顔が上がる。涙が頬を伝っていた。


シロが鼻先を近づけ、匂いを嗅ぐ。


——このこ、おなか、すいてる。


湊は地面へ落ちた肉串を拾った。


砂がついている。


もう食べられない。


「……名前は」


「……ルゥ」


掠れた声だった。


「ルゥ。これは返してもらう」


手の中の肉串を見せる。


「もう食べられないけどな」


ルゥの目に、また涙が溜まった。


「ご、ごめんなさい……おなか、すいて……」


湊は散らばった銅貨を拾った。


一枚。


二枚。


砂を払って、小さな手へ戻す。


「これで新しいのを買ってこい」


ルゥが目を丸くした。


「……いいの?」


「腹、減ってるんだろ」


小さな指が銅貨を握る。


その横で、シロがまだ大きいまま立っていた。


路地いっぱいの銀色だ。


ルゥが見上げる。


「……神獣さまは、この人の……?」


「犬だ」


「犬……?」


クロが溜息をついた。


「犬ではない。……まあ、今はそういうことにしておけ」


ルゥには聞こえないくらいの声だった。


湊はシロの首へ手を置く。


「小さくなれ」


——せまい。


「そこで縮めるだけだろ」


——……うん。


銀色の巨体が小さくなる。


子犬ほどのシロへ戻ると、路地にようやく隙間ができた。


ルゥが口を開けたまま見ている。


「ち、縮んだ……」


「肉、買ってこい」


ルゥが我に返った。


銅貨を握りしめ、路地を走っていく。


「走るなよ」


もう遅かった。


裸足の足音が遠ざかる。


クロが言う。


「戻ってこないかもしれないぞ」


「かもな」


「……お前は甘い」


「知ってる」


しばらく待った。


シロは小さな姿のまま、道の先を見ている。


——もどるよ。


「分かるのか」


——におい。まだ、ちかい。


やがて、足音が戻ってきた。


ルゥだった。


肉串を二本抱え、息を切らしている。


「か、買ってきた……! お釣りも……!」


差し出された銅貨を、湊は受け取った。


肉串も一本だけ取る。


「もう一本はお前の」


「……え」


「食え」


ルゥはしばらく肉串を見ていた。


それから、大きく齧った。


頬が膨らむ。


目から涙が落ちた。


今度は、さっきとは違う涙だった。


湊も肉を齧る。


辛い。


さっきと同じ味がした。


足元では、シロがルゥのそばへ座っている。


ルゥが恐る恐る手を伸ばした。


小さな銀の頭へ触れる。


シロの尻尾が揺れた。


「……ほんとに、神獣さま……?」


「犬だ」


「でも、さっき、おっきくなって……銀色で……伝承の、大いなる狼と……」


肩の上で、クロの尾が一度だけ動いた。


「広まるな、これは」


湊は答えず、肉串をもう一口齧った。


夕日が細い路地へ差し込んだ。


古びた壁と、灰色の耳と、小さくなった銀の毛を、同じ橙色に染めていた。


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