鉱山
北東の道は、半日ほどで森へ入った。
街道を外れると道は細くなり、木の根が地面を割っている。先を歩くシロの銀毛が木漏れ日に光り、濡れた草が脚へ触れるたび、耳が不満そうに動いた。
——くさ、おおい。あし、ぬれる。
「我慢しろ」
——やだ。
肩の上でクロが欠伸をする。
「鉱山はこの先だ。森を抜ければ岩場に出る」
「どのくらいだ」
「歩いて二刻。ただし、岩蜥蜴の縄張りに入ったら気配を消せ」
湊は頷いた。
森が途切れると、目の前に灰色の岩肌が広がった。草はまばらになり、湿った土の匂いも乾いた石の匂いへ変わる。
斜面の中腹に坑道の入口が見えた。木の支柱は黒ずみ、ところどころ朽ちている。三年間、まともに人が入っていない場所だった。
シロが鼻先を上げた。耳がぴんと立つ。
——におい。いきもの。いっぱい。
「何匹くらいだ」
シロは首を傾げた。
——……いっぱい。
「数えられないか」
——かぞえる、わからない。でも、いっぱい。
クロの耳も前を向いた。
「群れだな。巣があるなら十は下らない。まず中を見る。隠密を使え」
湊は《隠密》を発動し、続けて《音操》で足音を消した。
シロが青い目を丸くする。
——みなと、きえた。
「消えてない。ここにいる」
——でも、けはい、うすい。
「それでいい。シロはここで待て」
銀の耳が倒れた。
——いっしょに、いく。
「先に中を見る。戻ってくるから」
しばらく見つめ合ったあと、シロは渋々その場へ伏せた。尻尾だけが岩を叩いている。
坑道へ入った。入口から十歩ほど進むと、外の光はほとんど届かなくなった。壁へ手を添えると、岩肌はざらつき、ひやりと冷たい。
完全な闇ではない。壁のところどころを、青白い鉱脈が淡く照らしていた。
クロの金色の目が暗がりに浮かぶ。
「左に分岐がある。右は行き止まりだ。匂いは左から来ている」
「見えるのか」
「猫だからな」
左へ進むと、坑道は緩やかに下っていた。湿り気が増し、空気が少し重くなる。
壁に太い爪痕が三本残っていた。岩そのものが抉れている。
「岩蜥蜴だ。新しい」
湊は足を止め、《音操》で前方の音を拾った。
遠くで、ざり、と硬いものが擦れる。しばらく置いて、また同じ音。鱗が岩へ触れているようだった。
「いるな」
「ああ。この先だ。戻れ。一人で突っ込むな」
湊は来た道を引き返した。
入口へ戻ると、シロがすぐに跳ね起きた。
——みなと、もどった。よかった。
「大丈夫だ」
湊は足元の土へ枝で線を引いた。入口から直進、左へ曲がって下り。その先に岩蜥蜴の気配が複数ある。
クロが簡単な地図を見下ろす。
「坑道は狭い。シロは動きにくいが、岩蜥蜴も同じだ。数で一気に囲まれることはない」
「一匹ずつ相手にできるか」
「できる。問題は鱗だ。ガルドが言っていただろう。普通の武器じゃ傷がつかない」
湊は短剣を抜いた。蛍石の光が刃を青白く撫でる。
「普通の武器じゃない」
クロの目が細くなった。
「……それもそうだ」
一人と二匹で坑道へ入った。
シロの肩が壁へ擦れるほど狭い。それでも文句は言わず、耳を立てて前方を探っていた。
——いる。ちかい。
湊は《隠密》を維持し、《音操》で近くを歩く一人と二匹の足音を抑える。シロの爪が岩を掻く硬い音も消えた。
下り坂の先で、坑道が大きく開けた。
古い採掘場らしい。高い天井の下に、朽ちた木箱や錆びた鶴嘴が散らばっている。
その中央に、岩蜥蜴が三匹いた。
体長は湊の背丈ほど。全身を覆う灰色の鱗は岩肌とほとんど同じ色で、じっとしていれば石の塊にしか見えない。
一匹が頭を上げ、細い舌を出した。空気を舐めるように何度か動かす。
湊は息を潜めた。
岩蜥蜴の目はこちらを捉えていない。ただ、鼻先と舌だけがゆっくり動いている。
クロの意志がパス越しに届く。
——三匹。左が一番大きい。あれを先に仕留めろ。
湊は短剣を握り直した。
——首の付け根。前脚の付け根。関節は鱗が薄い。
左の一匹を見る。首の付け根に、鱗と鱗の細い隙間があった。
十歩。
シロへ意識を向ける。
——俺が左を斬る。シロは残りを押さえてくれ。動きを止めればいい。
——わかった。
湊は地面を蹴った。
《隠密》と《音操》が解け、足音が採掘場へ響く。三匹の岩蜥蜴が同時に頭を上げた。
それより早く、湊は左の懐へ入った。
短剣を突き上げる。狙いは首の付け根。
硬い抵抗が手へ返った。それでも刃は鱗の隙間へ入り、その奥の肉まで届く。
岩蜥蜴が暴れ、太い尾が横へ振られた。湊は刃を抜いて後ろへ跳ぶ。尾が目の前を通り、風圧が頬を打った。
その横を、シロが駆け抜ける。
銀の巨体が右の一匹へぶつかり、岩蜥蜴を壁へ叩きつけた。坑道が震える。前脚へ噛みつくと、硬い鱗がぎし、と鳴った。
——かたい。でも、かめる。
砕けなくてもいい。シロの顎に捕まった岩蜥蜴は、前脚を引こうともがくばかりで前へ出られない。
残る一匹が湊へ突っ込んできた。
大きく開いた口を横へかわす。岩蜥蜴はそのまま壁へぶつかり、体勢を崩した。
湊は首の付け根へ短剣を振り下ろす。
甲高い音がした。
刃が鱗に弾かれる。
「っ」
角度が悪かった。正面からでは隙間へ入らない。
岩蜥蜴が振り返り、尾を横薙ぎに振る。湊は身を伏せた。頭上を風が抜け、髪が揺れる。
——腹だ。
クロの意志が飛んだ。
——腹側は鱗が薄い。下から突け。
湊は床へ手をついたまま踏み込み、岩蜥蜴の下へ滑り込んだ。
見上げた腹は、背中より鱗が細かい。
短剣を突き上げる。
今度は、すんなり入った。
岩蜥蜴の体が大きく痙攣する。湊は刃を抜き、転がるように腹の下から抜けた。
一匹が倒れる。
最初に刺した大きな個体は、首から血を流しながらまだ立っていた。湊は側面から近づき、開いた傷へ短剣を深く差し込む。
体から力が抜けた。
残る一匹は、まだシロに押さえ込まれている。
シロが前脚を噛んだまま首を振った。鱗が軋み、ひびが入り、とうとう一枚が砕ける。
——われた。
露出した場所へ牙が食い込んだ。
岩蜥蜴の抵抗が止まった。
三匹とも動かなくなった。
湊は壁へ背を預け、息を整えた。短剣を握る手が震え、指先が白くなっている。
「……硬かった」
クロが肩へ戻る。
「だが斬れた。あの短剣でなければ無理だっただろう」
「シロは」
銀の巨体が寄ってきた。口元に血がついている。それでも尻尾は揺れていた。
——かった。
「ああ。勝った」
——シロ、つよい?
「強い」
尻尾がさらに大きく揺れた。
クロは岩蜥蜴の死骸へ目を向ける。
「こいつらは前に出ていた個体だ。奥にまだいるだろう。だが、ここを抜ければ採掘場に近い」
「何匹いる」
「分からん。群れの中心を倒した。残りは逃げるかもしれない」
湊は立ち上がり、短剣の血を拭った。
「行こう」
奥へ進む途中で、さらに二匹の岩蜥蜴を見つけた。
だが、血の匂いを嗅いだのか、こちらを見るなり坑道の奥へ逃げていく。クロの読み通りだった。
その先で、坑道がもう一度広がった。
壁の色が違う。
灰色の岩に、深い青の筋が走っていた。蛍石の青白い光とは違う。濃い青の奥に、金属の光沢がある。
「これか」
湊は壁へ触れた。冷たく、硬い。指の背で叩くと、澄んだ音が返る。
「蒼鉄鉱だ」
クロが言った。
マジックバッグからガルドに借りた鶴嘴を取り出す。短い柄を両手で握り、青い筋へ打ち込んだ。
硬い。
火花が散る。
二撃目で細い亀裂が入り、三撃目で拳二つ分ほどの石が落ちた。
持ち上げると、見た目以上に重かった。
「いい色だ。ガルドが喜ぶ」
湊は石をマジックバッグへ入れた。
さらに掘る。
戦うより単純な作業なのに、腕にはすぐ重さが溜まった。額から落ちた汗が、岩の上で黒い点になる。
横で伏せていたシロが顔を上げる。
——みなと、がんばる。
「ああ」
——シロも、ほる?
「お前が掘ったら壁が崩れる」
——……そう。
耳が倒れた。
湊は少しだけ笑い、また鶴嘴を振った。
拳大の蒼鉄鉱を七つ掘り出したところで、クロが止めた。
「十分だ。欲張るな。岩蜥蜴が戻る前に出るぞ」
「ああ」
鶴嘴をマジックバッグへ戻した。
坑道の外へ出ると、空はもう赤くなっていた。
乾いた風が頬を撫でる。重かった坑道の空気が、肺から押し出されていくようだった。
湊は近くの岩へ腰を下ろした。戦った時より、鶴嘴を振り続けた右腕の方が重い。
シロが隣へ座り、大きな体を寄せてくる。銀の毛皮が温かかった。
——つかれた?
「少し」
——シロ、つかれてない。
「お前は掘ってないからな」
——ほりたかった。
膝へクロが乗り、丸くなる。
「今日はここで野営だ。この時間から街へは戻れん」
「ああ」
岩陰へ寝床を作り、マジックバッグから毛布を出した。以前なら荷物になるから持てなかったものだ。
火は焚かない。坑道から岩蜥蜴が戻ってくる可能性がある。
干し肉を齧り、シロにも分けた。
一口でなくなった。
——すくない。
「明日、街で買う」
——いっぱい?
「……少し多めに」
尻尾が岩を叩いた。
その時、右手の甲が淡く光った。
湊は紋様へ意識を向ける。
何も現れない。
代わりに、温かなものが右腕へ流れ込んだ。鶴嘴を振り続けて残っていた重さと痛みが、ゆっくりほどけていく。
「……また、これか」
クロが目を開ける。
「直接効果か」
「ああ。腕が治った」
「便利な能力だな。持ち主に甘い」
湊は光の消えた手の甲を見る。
甘いのかは分からない。それでも、今は助かった。
空には星が出始めていた。坑道の入口が、少し離れた闇の中で黒く口を開けている。
シロが湊へ寄りかかって目を閉じた。クロも膝の上で丸くなる。
一人と二匹で、岩場の夜を過ごした。




