報告と鉄の音
翌朝、宿を出た。
昨夜は部屋を探すだけで三軒断られた。大型従魔は無理、他の客が怖がる、馬小屋もない。四軒目でようやく、裏口に面した一階の部屋を出してもらえた。
シロはその部屋の窓枠へ顎を乗せ、朝の通りを眺めていた。
「顔を出すなって言っただろ」
——そと、おもしろい。
「面白くても駄目だ」
銀の耳がぴくりと動き、シロは鼻を鳴らした。反省しているようには見えなかった。
ギルドの受付には、昨日の従魔登録を担当した眼鏡の職員がいた。
「レイヴン街道の安全確保依頼について、報告があります」
「はい。エルダ支部からの依頼ですね。街道沿いの魔物対処」
「街道に出ていた魔物は処理しました。ゴブリンの群れを二つ、森狼を数体。それと、銀狼が一体いました」
職員の手が止まる。
「銀狼……ですか」
「討伐はしてません。テイムしました」
視線が湊の横へ落ちた。シロは床に伏せ、尻尾だけをゆっくり動かしている。首輪の金属板が朝の光を返した。
「……昨日、従魔登録した子ですね」
「はい。街道にいた個体と同じです」
職員は依頼書を取り出し、内容を確かめた。
「依頼は『レイヴン街道における魔物の脅威排除および安全確保』。銀狼も従魔になって脅威ではなくなったのなら、目的は達成されていますね」
「報酬はどうなりますか」
「確認します。少々お待ちください」
職員が奥へ消え、しばらくして革袋を手に戻ってきた。
「討伐素材の提出がないため、満額にはできないとのことです。ただ、脅威を排除した事実が確認できれば七割。銀貨十四枚をお支払いします」
満額なら二十枚だったらしい。
湊は差し出された革袋を受け取った。銀貨の重みが手に沈む。
「それで大丈夫です」
「それと、もう一点」
職員がシロを見た。
「ミナトさんはエルダ支部で銅三つ星ですが、銀狼をテイムできる冒険者なら、通常は銀級以上です。こちらからランクの見直しを推薦することもできますが」
肩の上で、クロの耳が動く。
湊は少し考えた。
「……今はいいです」
「承知しました。必要になったら、いつでもお申し出ください」
ギルドを出ると、クロが肩の上から覗き込んだ。
「断ったのか」
「目立つ」
「銀狼を連れて歩いている時点で十分目立っている」
「……それ以上はいらない」
クロが小さく笑った。
「相変わらずだな」
足元から青い目が上がる。
——おかね、もらった?
「ああ」
——にく、かえる?
湊は手の中の革袋を見る。
「……買える」
シロの尻尾が大きく揺れた。
鍛冶通りへ向かった。
グラーツの中心部を東へ抜けるにつれ、空気が熱を帯びていく。槌が鉄を叩く硬い音が、あちらこちらの店から重なっていた。炉の煙と焼けた鉄の匂いが、通りまで流れてくる。
武器屋、防具屋、金物屋。軒を連ねる店の奥で、赤い火が揺れていた。
シロが鼻をひくつかせる。
——あつい。くさい。
「鉄の匂いだ。我慢しろ」
——いや。
「すぐ終わる」
シロが湊の脚へ体を寄せた。嫌ではあるが、離れる方がもっと嫌らしい。
クロが通りの先へ顔を向ける。
「鍛冶の街だけはある。質のいい店が多いな。……あの看板を見ろ。ドワーフの鍛冶屋だ」
木の板に、槌と金床だけが彫られている。店名はなかった。
「ドワーフ」
「鍛冶なら、この世界でも指折りだ。腕はいいが、気難しい者も多い。金を積んでも、気に入らなければ追い返されるぞ」
湊は狭い入口を見る。中から一定の間隔で槌の音が続いていた。
「入る」
「……止めはしない」
店内は薄暗かった。
奥の炉だけが赤く燃え、熱気が肌にまとわりつく。金床の前では、湊の胸ほどの背丈の男が槌を振るっていた。太い腕。赤い髭。額には汗が光っている。
男は湊たちを一度見たが、手を止めなかった。
湊も声をかけずに待った。
槌が三十回ほど落ちたところで、男は鉄を水へ沈めた。じゅう、と音を立てて白い蒸気が上がる。
「何の用だ」
低い声だった。
「装備が欲しい」
「見ての通り鍛冶屋だ。何が要る」
「防具。軽くて、動きを邪魔しないもの」
男の目が、湊の頭から足元まで動く。
「冒険者か」
「ああ」
「ランクは」
「銅の三つ星」
目が細くなった。
「銅三つ星が、うちに来るのか」
「いい店だと聞いた」
「誰に」
湊は肩を見る。クロはそこで欠伸をしていた。
「……猫に」
男は湊を見た。それから黒猫を見て、足元の銀狼まで見た。
「変な奴だな」
「よく言われる」
鼻を鳴らした。笑ったのかもしれない。
「今の装備を見せろ」
湊は短剣を鞘ごと渡した。
男が抜いた瞬間、目つきが変わった。刃を炉の光へかざし、背を指でゆっくり撫でる。
「——これは、どこで手に入れた」
「……もらった」
「誰に」
「答えられない」
長い沈黙のあと、男は短剣を鞘へ戻した。
「俺が打ったものじゃない。俺の知る誰の仕事でもない。だが、いい刃だ」
短剣が返される。
「名前は」
「湊」
「俺はガルドだ。——防具だったな」
「ああ」
ガルドは奥の棚から、薄い革の胸当てを取り出した。表面には小さな金属の鱗が細かく縫い込まれている。
「鱗革だ。軽いが、銀級の魔物の爪くらいなら止める。お前は重い鎧を着る動きじゃない。腕当てと脛当ても合わせろ」
「頼む」
胸当てを着ける。新しい革は少し硬く、体温が移るまでは冷たかった。それでも腕を振り、腰を落としてみても動きはほとんど邪魔されない。
腕当てと脛当ても同じだった。
短剣を一度振る。
「——いい」
「当たり前だ。俺が作った」
ガルドは腕を組んだ。
「三点で銀貨十二枚」
さっき受け取った革袋が、急に軽く感じた。
それでも装備は命に関わる。
「払う」
銀貨を数えて渡す。十四枚あった重みが、ほとんど消えた。
ガルドは受け取った銀貨をしまい、湊の腰の短剣を顎で示した。
「その刃、大事にしろ。あれに見合う使い手になれ」
湊は頷いた。
店を出ると、新しい革の匂いに鍛冶通りの熱が混じった。胸当ての重さはほとんど感じない。それでも、服一枚だった時とは違う硬さが胸にある。
シロが鼻先を寄せた。
——あたらしい。かわ、におい。
「ああ。新しい防具だ」
——かたい?
「少しだけ」
鼻で胸当てを押される。
——まもる、もの?
「そうだ。俺を守るものだ」
——シロも、まもる。
湊は銀の頭へ手を置いた。
「ああ。知ってる」
クロが肩の上で、静かに目を閉じた。
「……悪くない街だ」
鍛冶通りの鉄の音が、三人の背中に響いていた。




