従魔登録
次の街が見えたのは、シロをテイムしてから二日後の昼だった。
丘の上から、石壁に囲まれた街が見える。エルダより大きく、門の前には荷馬車の列が伸びていた。遠くからでも、鉄を打つ音が風に混じって届いてくる。
「グラーツだ」
肩の上でクロが言った。
「交易と鍛冶の街だ。ギルドの支部もある。ここで銀狼討伐の報告ができる」
「討伐じゃない。テイムだ」
「……だから面倒になると言っている」
湊は丘を下りながら、隣を歩くシロを見た。肩の高さは湊の腰を超えている。陽を受けた銀の毛皮が、歩くたびに揺れた。
——おおきい、まち。ひと、いっぱい。
鼻先が上を向く。風に混じった匂いを拾っているらしい。尻尾も落ち着きなく左右へ動いていた。
「シロ。街に入ったら、俺のそばを離れるな」
——なぜ。
「人間は、大きな狼を怖がる」
——こわい? シロ、こわい?
「お前は怖くない。でも、向こうはそう思わない」
シロは首を傾げた。よく分かっていないらしい。
クロが小さく息を吐く。
「行けば分かる」
門の前で、荷馬車の列の最後尾についた。
前にいた商人が何気なく振り返り、シロを見た。顔から血の気が引く。慌てて荷台へ逃げようとして足を滑らせ、その拍子に馬がいなないた。
列が一気に乱れた。
「魔物だ!」
「銀狼だ! 銀狼が街に来たぞ!」
門の上で警鐘が鳴る。甲高い金属音に続いて、四人の門番が槍を構えながら走ってきた。
「止まれ! 魔物を連れて何をしている!」
湊は短剣から手を離し、両手を見せた。
「従魔だ。テイムしてある」
「テイム?」
隊長らしい男が湊とシロを交互に見た。シロは湊の横へ座っている。それでも座った肩が門番の腰近くまであり、槍の穂先は下がらない。
「従魔登録は」
「してない」
「識別用の首輪は」
「ない」
男の眉間に皺が寄った。
「それでは街へ入れられん。大型の魔物を連れ歩くなら、従魔登録と識別用の首輪が必要だ。どちらもなければ、こちらには野生の魔物と同じだ」
槍がシロへ向く。
銀の耳が伏せ、喉の奥から低い音が漏れた。
——てき? あぶない?
体が強張るのが、パス越しにも分かった。
「シロ、動くな」
青い目が湊を見上げる。
——でも、とがったもの。こわい。
「大丈夫だ。俺がいる」
シロの唸り声が止まった。しばらくして体から力が抜け、湊の脚へ脇腹を寄せる。
門番たちが顔を見合わせた。
湊は左手を少し上げた。
「テイム用の手袋がある。ギルドの人なら、契約を確認できるか」
隊長は少し考えてから、部下を一人走らせた。
待っている間、商人たちはかなり離れたところからこちらを見ていた。
その中で、一人の子供だけが親の手を振りほどこうとしている。シロを見る目は、恐怖より好奇心の方が強かった。
シロがそちらへ顔を向ける。尻尾が揺れた。
——ちいさい。ひと。
「見るだけだ。近づくな」
——なぜ。
「今は怖がらせる」
シロは鼻を鳴らした。不満らしい。
「本当に子供だな」
クロが小さく笑った。
やがて、ギルドの職員が門まで来た。眼鏡をかけた中年の女性で、革の鞄を抱えている。
「テイム手袋を見せてください」
湊は左手を差し出した。黒い革の手袋。その手首にある銀の留め金へ、女性が指を触れる。
目を閉じたのは短い間だった。
「確認できました。従魔とのパスが通っています」
「間違いないのか」
門番の隊長が聞く。
「はい。ただ、従魔登録がまだですね」
女性はシロを見上げた。
「この大きさですと、街中では識別用の首輪も必要です。まずギルドで登録してください」
「そこまで連れていける?」
「私が同行します」
門番の隊長は渋い顔をしたが、最後には槍を下げた。
「主人のそばから離すな」
「分かった」
門が開いた。
石畳の向こうに、人の声と鍛冶の音が重なっていた。露店からは焼いた肉や香辛料の匂いが漂い、その奥には煤を吐く煙突が何本も見える。
湊とシロが通ると、人の流れが割れた。壁際まで避ける者もいる。
シロの耳が忙しなく動く。
——うるさい。におい、いっぱい。ひと、いっぱい。
「すぐギルドに着く」
——みんな、にげる。
足取りが少し遅くなった。
——シロ、わるいこと、した?
湊は歩きながら、銀の首筋へ手を置いた。
「してない。お前は何も悪くない」
尻尾が一度だけ動く。
三軒ほど先の窓から、小さな顔が覗いていた。さっきの門前とは別の子供だった。目を輝かせ、窓枠へ身を乗り出している。
クロがそちらへ耳を向ける。
「怖がらん奴もいるようだぞ」
隣を歩いていた職員の足が、一歩だけ遅れた。
「……そちらの黒猫、喋るんですね」
クロの耳が職員へ向く。
「喋って何が悪い」
「いえ。発話できる魔獣もいますから、そこまで珍しいことではありません。ただ、見た目が普通の黒猫だったので」
「私は普通の猫だ」
「従魔では?」
「……」
湊が答えた。
「従魔です」
「湊」
クロの声が低くなる。
職員は何事もなかったように頷いた。
「では、ギルドでこちらも一緒に従魔登録をお願いします」
「何故だ!」
シロも気づいたらしい。青い目が窓へ向き、尻尾が今度は大きく揺れた。
——ちいさい、ひと。こわくない。
「ああ。怖がらない人間もいる」
その後の足取りは、少しだけ軽くなった。
ギルドへ着くと、そのまま従魔登録の手続きへ回された。
用紙には、主人の名前、従魔の名前、種族、契約した日を書く欄が並んでいる。
職員がペンを取った。
「では、まずシロさんから。種族は……銀狼ですね」
先ほどの職員がシロを見上げる。
「通常の銀狼より、かなり大きいですが」
肩の上でクロの耳が動く。
「……個体差だろう」
湊にだけ聞こえる声だった。
「ランクも測ります。首輪の等級が変わりますので」
職員は鞄から水晶板を取り出し、シロの額へ当てた。
淡い光が水晶の中を走る。
女性の眉が寄った。
「……銀級、ですね」
「何かある?」
「測定値が少し安定しなくて。通常の銀狼なら銀級の下位で収まるんですが、この子は上限に近いところまで出ています。ほとんど金級との境ですね」
クロが何も言わず、シロを見る。
職員はもう一度水晶を確かめたあと、首を傾げた。
「体格も大きいですし、個体差でしょうか。登録は銀級にしておきます」
金色の目が細くなった。
湊はそれを見たが、クロは口を開かなかった。
「では、次はこちらの黒猫ですね」
職員が新しい欄へペンを移した。
クロの毛が、わずかに膨らむ。
「待て。私は登録などせんぞ」
「従魔ですよね?」
「形式上はそうだ」
「では登録が必要です」
「私は見ての通り猫だ。街中を歩いても誰も逃げん」
「首輪は必要ありません。小型の従魔ですので」
「なら登録もいらんだろう」
「それとこれは別です」
即答だった。
クロが湊を見る。
「お前からも言え」
「登録しよう」
「馬鹿!」
職員は口元を押さえた。笑ったのかもしれない。
「お名前はクロ。種族は……黒猫型の小型魔物でよろしいですか?」
「よくない」
「クロで」
「湊!」
ペンが紙の上を走った。
「はい。クロさんも登録完了です」
クロの尻尾が、ばん、とカウンターを叩いた。
用意されたのは、シロ用の幅の広い革の首輪だった。表面には登録番号を刻んだ小さな金属板が付いている。
「こちらを装着してください。街中では外さないようにお願いします」
湊はシロの前へしゃがみ、首輪を見せた。
鼻先が近づく。匂いを嗅いだ途端、鼻に皺が寄った。
——くび、しめる。いや。
「締めない。ゆるくする」
——いや。
湊は首輪を持ったまま待った。
「これがあれば、お前が俺の従魔だって分かる。さっきみたいに、いきなり槍を向けられにくくなる」
——まもる?
「ああ」
シロは湊を見つめた。
——みなと、が、つける?
「ああ。俺がつける」
しばらくして、大きな頭が下がった。シロは首を伸ばし、目を閉じる。
湊は銀の毛を挟まないように首輪を回した。指が二本入るだけの余裕を残して留める。
シロがぶるぶると首を振った。金属板が小さく鳴る。
——へん。
「すぐ慣れる」
——へん。
「二回言わなくていい」
肩の上でクロが鼻を鳴らした。
「私は首輪なしだぞ」
「はい。小型従魔には首輪の義務はありません」
クロの尻尾が立った。
「当然だ。せめてそこだけは話が分かる」
シロが横目で見る。
——ずるい。
「ずるくない」
——ちいさいから。
「……小さいは関係ない」
湊は少しだけ口元を緩めた。
従魔登録証を受け取った。薄い金属板には湊の名と、その従魔としてクロとシロの名が刻まれている。
クロが覗き込んだ。
「……消せ」
「無理だろ」
「削れ」
「駄目です」
職員に先回りされ、クロは黙った。
湊は従魔登録証を懐へしまい、ギルドを出た。
シロの首には革の首輪がある。銀の毛に埋もれかけているが、歩くたび金属板が小さく揺れた。
——まち、あるける?
「ああ。もう大丈夫だ」
——やった。
尻尾が大きく振れる。
クロが見下ろした。
「……犬か」
——いぬ、じゃない。おおかみ。
「知っている」
夕日が石畳を赤く染めていた。一人と二匹で、街の通りを歩いた。人々はまだ遠巻きにしていたが、首輪を見て、少しだけ距離が縮まった気がした。




