表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/61

白銀の剣聖

三週間が経った。


朝は図書室へ行き、リーネに文字を教わる。昼から依頼を受け、夕方には宿へ戻る。リーネが隣にいる時間が増え、夜になればクロと二匹だけになる。


そんな日々が、いつの間にか形になっていた。


《受奪》は引かなかった。右手の甲には毎朝紋様が浮かんだが、今ある力を使いこなす方が先だと思った。それに、毎日リーネの前で新しい力が増えていけば、さすがに目立つ。


文字もだいぶ読めるようになった。


全部ではない。それでも依頼書の大まかな内容はわかる。看板も、値札も、地図の地名も、以前ほどただの模様には見えなくなった。


「違う」


図書室の朝。リーネの白い指が、湊の書いた文字の横を叩く。


「そこ、線を一本飛ばしてる」


湊は自分の字を見直した。


「……本当だ」


「今気づいたなら、次は大丈夫」


リーネはすぐに答えを直してくれない。規則だけを教えて、あとは湊が自分で気づくまで待つ。そのやり方は、妙に頭へ残った。


「ミナトは教え甲斐があるね」


そう言って、いつも少し楽しそうに笑った。


戦い方も変わった。


三週間で、ゴブリンの群れを三度。森狼を二度。丘陵の大蜥蜴を一度。リーネは毎回、少し離れた場所から見ていた。


手は出さない。


帰り道に、一つだけ言う。


「右に避けた時、軸足が浮いてたよ」


別の日には、


「最後の一匹、焦ったでしょう。息が浅くなってた」


また別の日には、


「音は、もう少し遠くへ置いてもいい。あいつらなら聞こえるから」


それだけだった。


次の依頼で試すと、確かに違った。


湊が一歩を変えるたび、リーネは何も言わず見ている。うまくいけば笑う。失敗すれば、その帰りにまた一言だけ落とした。


三週間で、冒険者証の星も一つ増えた。


銅二つ星。


受付の眼鏡の女性は、証を渡しながら何度も湊の顔を見た。


「三週間で二つ星……。本当に早いわね、ミナトくん」


「リーネのおかげだ」


「リーネ様の……。ええ、そうね」


その名前を口にした時だけ、女性の声が少し変わった。


湊は理由を聞かなかった。


リーネが強いことだけは、もう十分にわかっていた。



三週間と一日目の朝。


一階へ降りると、いつもより声が多かった。


依頼板の前に冒険者が集まり、紙を指さして話している。酒の匂いが残る空気の中に、朝から妙な熱があった。


「今日、三つ星の昇格試験だってよ」


「午後から訓練場だろ」


「審査官、ギルドマスター本人らしいぞ」


湊も掲示板を見る。


読める。


三週間前には形しかわからなかった文字が、今は意味を持って並んでいた。


——銅三つ星昇格試験。本日午後。訓練場にて実施。

——審査担当、ギルドマスター。


「ミナトくん」


カウンターから呼ばれた。


眼鏡の女性が手招きしている。


「あなたも受験資格が出てるわ」


「俺も?」


「討伐実績が基準を超えたの。登録から一か月も経ってない人に出るのは、あたしも初めて見るけど」


湊はもう一度、掲示板を見た。


「試験は?」


「訓練場での実戦審査よ。技術と判断、それから状況への対応を見る。審査はギルドマスターがするわ」


「対戦相手は?」


「当日まで非公開。ギルドマスターがその場で指定することになってる」


湊は頷いた。


「受ける」



図書室へ上がると、リーネはいつもの窓際にいた。


銀色の髪に朝の光が透けている。


扉を開けただけで、こちらを見た。


「おはよう、ミナト。なんか顔が違うね」


「午後、ランクアップ試験がある」


「ふうん」


分厚い本が閉じられる。


「受けるの?」


「ああ」


「じゃあ、今日は文字はやめよう」


リーネが椅子から降りた。


「見に行く」


「来るのか」


「当たり前でしょ。あたしが育てたんだから」


湊は少しだけ眉を上げた。


「育てた?」


「三週間も見てたんだよ?」


言って、リーネは笑った。


肩の上で、クロの爪が革を掴んだ。



午後。


ギルド裏手の訓練場には、思ったより人が集まっていた。


石畳の広場を木柵が囲み、その向こうに冒険者たちが並んでいる。汗と革、防具に染みついた油の匂い。あちこちから低い話し声が聞こえた。


湊は広場の端で短剣を確かめた。


クロは肩の上。


リーネは柵の外で壁に背を預け、腕を組んでいる。


反対側から、大柄な男が歩いてきた。


禿頭に顎髭。厚い胸板。革鎧の上には、ギルドの紋章を刻んだ外套を羽織っている。


周囲の声が少し下がった。


「ギルドマスターのバルガスだ」


男は湊の前で止まった。


見上げるほど大きい。


「お前がミナトか」


「はい」


「登録一か月未満で三つ星試験。話は聞いてる」


バルガスの視線が、柵の外へ向いた。


「リーネ殿が毎日ついて回ってるともな」


リーネが軽く手を振る。


バルガスは小さく鼻を鳴らし、外套を脱いだ。


「試験は実戦形式だ。武器は自前。能力も好きに使え。降参するか、俺が止めるまで続ける」


「相手は」


「俺だ」


湊は目を瞬いた。


柵の外がざわめく。


「ギルドマスター本人が?」


「三つ星だぞ?」


バルガスは腰から幅広の剣を抜いた。片手で軽く構える。


隙が見えない。


「来い、小僧」


低い声が広場に響く。


「お前の三週間を見せてみろ」


湊も短剣を抜いた。


正面からは無理だ。


体格も、剣の長さも、力も違う。


《隠密》。


自分の気配を沈める。


続けて《音操》。足音と衣擦れが消えた。


バルガスの目が細くなる。


「ほう」


湊は横へ回る。


足音はない。気配も消えている。


背後へ入った。


短剣を突き出す。


金属音が鳴った。


バルガスは振り向いていない。それでも幅広の剣だけが後ろへ回り、短剣を弾いていた。


衝撃が腕まで抜ける。


湊はすぐに距離を取った。


「気配はない。音もない」


バルガスが振り返る。


「だが、お前が動けば風も動く」


剣先がゆっくり湊へ向く。


「そこまでは消えん」


隠密だけでは届かない。


湊は呼吸を整えた。


左へ足音を置く。


同時に、自分は右へ回る。


バルガスの目が左へ動いた。


一瞬。


湊は踏み込んだ。


短剣が脇腹へ届く寸前、手首を掴まれた。


「一度目なら悪くない」


景色が回った。


「だが、二度は食わん」


背中から石畳へ落ちた。


肺から息が抜ける。口の中に鉄の味が広がった。


湊は転がって立つ。


バルガスは追ってこない。


剣を下げたまま、こちらを待っていた。


「もう一度来い」


隠密は見抜かれた。


音も、一度使った。


力では勝てない。


なら。


湊は正面から走った。


バルガスが剣を構える。


三歩手前。


《音操》。


足元へ、叩きつけるような轟音を置いた。


どん、と石畳が割れたような音が響く。


実際には何も起きていない。


それでもバルガスの視線が、一瞬だけ下がった。


湊はその懐へ入った。


短剣を喉へ。


肩を掴まれた。


体が止まる。


それでも刃先は、バルガスの喉元へ触れていた。


広場が静かになった。


バルガスは短剣を見て、それから湊を見る。


「……合格だ」


肩から手が離れる。


湊も短剣を下ろした。


「技術はまだ荒い。体力も足りん」


幅広の剣が鞘へ戻る。


「だが、通じないと分かった後に、手持ちのものを組み直した。三つ星なら十分だ」


柵の向こうから、ざわめきが戻った。


「受かったぞ」


「ギルドマスターの喉まで届かせた……」


バルガスは歩きかけ、ふと足を止めた。


「リーネ殿」


「ん?」


「あんたが見込んだだけはある。いい弟子だ」


リーネは壁に寄りかかったまま笑う。


「弟子じゃないよ。暇つぶしの相手」


「白銀の剣聖の暇つぶしに付き合える新人か」


バルガスが鼻を鳴らした。


「大したもんだ」


白銀の剣聖。


その言葉だけが、湊の耳に残った。


柵の外で、冒険者たちの顔が変わる。


「白銀の剣聖……?」


「あの子が?」


「白銀のリーネだよ。三十年前の勇者パーティーの——」


「大陸最強の剣士だぞ」


声が広がっていく。


湊はリーネを見た。


いつもの銀髪。いつもの薄い紫の瞳。


本人だけが、何も変わっていない。


「ばれちゃったね」


軽い声だった。


リーネはいつものように笑った。


三週間の朝が浮かんだ。


文字を指す白い指。戦いの後に落ちた短い助言。六体のゴブリンを見ても驚かなかった顔。受付の「様」。バルガスの「リーネ殿」。


勇者パーティー。


魔王討伐。


三十年前。


湊には、その重さがまだわからない。


ただ、周囲が彼女を見る目だけは、三週間前とはまるで違っていた。


肩が痛んだ。


クロの爪が、革越しに食い込んでいる。


見ると、小さな黒い体が震えていた。毛が逆立ち、金色の瞳はリーネだけを見ている。


まただ。


あの図書室を出た時と同じ震え。


「ねえ、ミナト」


「……なんだ」


「三つ星、おめでとう」


リーネが笑う。


子供みたいな、いつもの顔だった。


湊は肩へ手を上げた。


クロの背に、指先が触れる。


震えは止まらなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ