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7話「京都」

7話「京都」


 春休みに入る前に、私は逃げ出した。一足早く春休み突入。

 うじうじと家にいて、外に出なくなった。


 そういう時が昔からあったから、親も何も言わず、放っておいてくれる。

 そのためのお小遣いとも言える。

 化粧をするのが億劫になり、外に出る気がしなくなる。


 ちょっと鬱っぽいけれど、母親も鬱はあるから、別に気にならないらしく、「家系かねえ」とかなんとか。

 私も大ごとにされないから、しばらく寝て、風呂キャンして、ちょっと匂うなというくらいになって、ザッパンと湯船に浸かると思い立つ。


「あー、京都行くか」


 京都には中学生の修学旅行以来だから、結構楽しみになってきた。

 家族のグループLINEには「京都に行ってきます」と書いて、兄に連絡をつける。


 兄の仙くんは「忙しいから構えないけどいい?」と、半分容認。

 とか言ってたくせに、京都駅まで迎えにきてくれる。


 ぴょんぴょん飛んで手を振ると、身内の贔屓目かもしれないけど、なかなかのイケメンで気分は悪くない。


「学校は?」

「サボった」


 ぽりぽり頭を掻いて、何か言いたげだったけれど、言っても無駄だと思ったのか、無言で私の重たいスーツケースを奪い取る。


「何ヶ月分入れてんだよ」

「一週間分だよ」

「お前、七日も俺の下宿占領する気なのかよ」

「悪い?」

「悪いだろ!? 普通に考えろよ。ホテル取れよ」

「どうして親戚が部屋持ってるのに、わざわざホテル取んなきゃいけないの?」

「俺のプライバシーはどうなる?」

「ちゃんとエロ本隠したでしょうね?」

「そんなことするか? 隠したってどうせ家探しするんだろうが! 俺は無駄なことはしない」

「デリカシーなさすぎ、最低」


 と、まあ、ごろごろとトランクを引きながら歩いていくから、どこにいくのかと思ったら、タクシー乗り場だった。


「バスじゃないの?」

「バカか? お前はお客様だろう」


 タクシーのトランクにトランクをぶち込むと、不機嫌そうに行き先を告げた。


「すみません。本当は七条まで歩いて、京阪で行くのがいいとは思うのですが、出町柳の方までお願いします」

「出町ですね」

「近づいたら、細かい道をお伝えします」

「ご兄妹ですか?」


 仙くんが息を詰まらせる。


「似てます?」


 私が割って入った。


「そっくりですね。韓国から?」


 冷ややかな目でメーターを見る仙くんは、実際はどこもみていない。


「いえ、東京です」

「失礼しました」

「お前の日本語が変なんだよ」


 仙くんは苛立ちをあらわにして、言った。


「なんでそんなにイラついているの?」

「なんでだと思う?」

「研究が進んでない」

「それはいつものことだから関係ない」

「彼女との約束がふいになった」

「お前が京都に来ることになってから、母親から息子へのわけわからんLINEがじゃんじゃかくるの。全部未読無視だけど、通知で一文字見るのもエネルギー使う。わかるか?」

「一番可愛いお兄ちゃんだものねえ」

「他人事かよ」


「仲良いですねえ」


 タクシーの運転手さんのその発言は、極めて巧妙に偽装された煽りだった。

 川端通をタクシーは北上していく。川端通を知っていたわけではなく、ただ道の標識を読んだだけ。川端通って言うんだー。と言うと、仙くんは私の口を塞いだ。


「恥ずかしいから、マジで黙っててくれ」


 出町柳が近づいてくると、仙くんは私には聞き取れない地名で、家の前までつけた。


「結構綺麗なマンションだね」

「一応稼いでるからな」


 車のトランクから荷物を取り出して、タクシーの運転手さんにお礼を言う。


 タクシーがすすっと離れると、仙くんは大きなため息をついて、私のトランクを引きずって、家に入れてくれた。


***


 手を洗って、兄の部屋に入る。

 兄は几帳面だから、ものはよく整頓されていて、勉強の跡も色濃い。

 エロ本もエロ本でまた手の取りやすそうなところに挿してあって、なんとなく香ばしい匂いがしてくる。気がする。


「彼女はいるの?」

「いない」

「嘘、なんで???」

「忙しい」

「じゃあ、どうやって性欲を処理するの?」

「公佳、お前の彼氏はお前の性欲を処理するためにいるのか?」

「私ちょっとわからないな。彼氏いないから」

「支離滅裂だ」

「お昼ご飯〜」

「駅弁食べてきたんじゃないのかよ!??」


 私は首を振った。


「生協でいいか? ルネ行くぞ」

「ルネって何?」

「本一冊買ってやるから黙ってろ」

「はあい」


 私は少ししょんぼりして、仙くんについていった。


「如月さん」


 声をかけられて、仙くんはすごい嫌そうな顔をした。


「彼女?」

「妹」

「こんな小顔の妹さんがいるんだ」


 私がえへへ、と頭を掻くと、仙くんは私に蔑視を向ける。「松沢さん」と紹介してくれた。


「如月公佳です」

「こんにちは。東京から来たの?」

「そうです」

「高校生、に見えるけど?」


 松沢さんは、私にではなく仙くんに聞いた。

 黒髪で体が大きく、背が高い松沢さんは、頭がすごい良さそうだ。


「年の離れた妹だよ。それより下にもう一人いる」

「へえー。東京でそれは珍しいね」

「意外とそうでもないんだよ」

「そっか。妹さん、邪魔してごめんえ」

「いいえ」

「美人な妹さんだ」


 そう独りごちる松沢さんに、仙くんは何かを言いたげにしていたが、うまく言葉にできなかったみたいで、私に「行くぞ」と言った。


 生協食堂ルネでケバブを食べて、一階の書店で本を一冊買ってもらうと、私は傲慢にも観光をねだった。


「お前、それは無理だ。俺はとても忙しい。夕飯の相手はしてやるから、一人で見回ってこいよ」

「ええー。来た意味ないじゃん」

「来る意味がないんだよ。最初からな」

「いい。じゃあ勉強してる」

「それがいい。おすすめは共南の大講義室だ。じゃあ6時に正門前集合ということで」

「はーい」


 私は言われた通り、共南に行き、授業に潜った。

 大概の授業は面白くなかったけれど、京大生の雰囲気は結構面白かった。

 恋愛とかしそうにないのは、偏見だろうか。


 私は、生協で筆記用具を買うと、カリカリメモを取っていった。

 地理学概論と霊長類学の講義を受けて、感化されるなんてこともなく、タリーズでココアを嗜みながら、買ってもらった本を読んでいた。

 少し寒かったけれど、頭が冴えて、逆に良かった。


 あっという間に6時になったので、正門で待っていたが、一向に仙くんは姿を現さない。

 何回かチャットを送ったが、それも返事がなかった。


「すっぽかされちゃったのかな」


 ちぇーっと空を仰いでいると、仙くんの声がした。


「悪かった。ゼミが長引いてしまって」

「言い訳するの?」

「事実だ」

「で、ご飯は?」

「お前、お母さんからお金預かっているとかそういうことないの? 全部俺が負担するのか?」

「ない。いいんだよ、可愛い妹を自慢してくれても」

「その自意識の傲慢なまでの過剰さに、驚きあきれるな」


 と言いつつ連れていかれた中華料理屋では、何人かが仙くんを待っていた。


 おおーという感嘆と意外さの表明。

 松沢さんがいる。


「妹さんという名の彼女」

「草」

「それは最強」

「可愛すぎる」


 思い思いに、感想を述べる。

 その集まりは、年齢の感じからすると、学部ではなくて大学院の雰囲気。


「春休み?」


 大皿を頼んでバクバクと食べる面々。

 特に集まりの趣旨を話さない。

 サークルとか研究室とかのグループなのかとも思ったけど、私に情報を開示する気は、全くないみたいだった。


「自主休講です」

「高校は?」

「戸山です」


 私は、松沢さんに聞かれて、答えた。


「あれ、衣笠さん戸山だったっけ」

「ああ、そうだったかも」


 松沢さんの投げかけに、兄が答えた。


「如月くんも美形だから、初めて見た時はびっくりしたけど、公佳さんだっけ、本当にかわいいね」


 松沢さんは、そういうことをさらっと言っても問題のない立ち位置の人らしい。


「化粧で誤魔化してんだよ」


 私はグーで兄の二の腕を殴った。


「それ、殴ってくるってことは図星ってことだからな?」


「えー、こんな妹さんがいるから、如月くんは恋愛しないの? 理想が高くなっちゃうね」


 おじさんみたいなことを言う男性。名前はついぞわからなかった。


「京都にはいい女がいない」

「この前京女にこっぴどく振られたもんね」


 松沢さんの情報漏洩に、クッと俯く仙くん。


「お兄ちゃん、振られたの?」

「松沢さん」

「少しくらい自己開示してあげないと。せっかく兄を頼って京都まで来たんだから」

「松沢さん」


 松沢さんは、気にしなーいというふうに、ビールを口にした。


 宴会は、酒の勢いもあって、どんどん深化していった。

 ご飯は美味しくて、たくさん食べた。


 折に触れて、兄が私を庇ってくれた。

 好奇の目に晒されることもあった。

 大体八人くらいの席だったけれど、誰もがお互いを信頼しているとかそういうわけではないみたいだった。


 声をかけてくる男性の大学院生に、適当な冗談ではぐらかしてくれるのは、本当に頼もしかった。

 帰りに、私は聞いた。


「なんで、あの宴会に混ぜてくれたの?」

「前もって企画されていた。お前が来る予定より先にスケジュールされていたから」

「断ってくれても良かったんだよ?」

「あの中華は、みんなで楽しむのが、正解なんだよ」

「変な人はいなかったけど、仙くんは私を自慢してくれたの?」

「お前、幸せなやつだな」


 そう言うと仙くんは話を切り上げた。

 マンションに入ると、寝床の話になった。


「この布団」

「あ? なんか文句あんのか?」

「女の人の香りがする」

「気のせいだ。早くシャワー浴びてこい」

「仙くん!」


***


 朝、お化粧をしていると、仙くんがのそっと起きて、何も言わずにシャワー室に入った。

 シャワーの音を聞きながら、丁寧に化粧をし、ちょっと時間ができたので、冷蔵庫に入っているパンをトーストして、牛乳をコップに入れ、お盆に載せた。


 仙くんは何も言わずにパンを食べると、私に「準備はいいか?」と聞いた。

 私がうなずくと、いかにも京大生らしいリュックサックを背負って、私に外に出るように言った。


「京都に来たことあるんだっけ?」

「中学の修学旅行以来」

「そん時はどこ回ったんだ?」

「金閣寺、三十三間堂、二条城、銀閣寺、平等院」

「よく覚えているな」


 そう言うと、仙くんは、しばらく思案した後「京セラ美術館でも行くか」と言った。

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