15話「形式と内容」
15話「形式と内容」
「なあ、咲島。お前の価値観は、どうやって形成されたんだ?」
西谷さんが、小夜威さんを送り出した後聞いた。
「どういうこと?」
「なあ、咲島。ずるくないか? 小夜威はお前の質問に、どういうこと? とは聞かなかった。お前は、そうやって自分のロジックに寄せて寄せて、それから自分の価値観をロジカルだという期待を前提に話す。私が聞いたのは、お前の価値観はどうやって形成されたんだ? という質問だよ。本を読んだりして、形成されたんだろ?」
「それが?」
「西谷、そういう時、お前は『そうだ』とは答えない。ずるくないか? まあいい。でも小夜威の読んでいる本を読んでいるわけではないだろ?」
「だから何?」
「価値観を説明するのは、経験だ。ロジックではないだろ?」
「ロジカルであればその説明はより強固にならない?」
「強固になったら、自分の説がより説得的になると?」
咲島さんはうなずいた。
「それは、世界の中心が自分であればそうだけれど、実際は、星の数ほど意見があり、星の数ほど納得の仕方がある。それに、誤解を恐れずに言えば、お前のは単なる本の受け売りだよ。憲法に矛盾があるから、日本に軍隊がいるから、その法理上の矛盾を整合的にするために、どうして、ロジックがいる? そんなことは中学一年生でもわかる。お前は中学一年生と同じ議論をしている人の仲間なのか? 保守的な動画を見て盛り上がっているだけにしか見えない」
西谷さんは、小夜威さんが好き。だから、この議論を小夜威さんの前ではしなかった。誰かのためであっても、小夜威さんは武器は使わない。
西谷さんは悔しかったはずだ。
優しさのために負けるなんて許せないのだ。
「さっきの議論聞いてた? 論理的じゃなくて首尾一貫していない人だって、自信満々に言うの、おかしいと思わない? 矛盾があるのは放っておいていいってこと?」
「矛盾を解消すると、より状況が悪くなる場合のことを、小夜威は聞いていたと思うけど」
「日本国憲法に軍隊を規定することで、どんなふうに状況が悪くなるの?」
「想像力の世界だな。悪くならないと思うのか?」
「また、おんなじ感じになっちゃうけど、今、現行憲法の下で軍拡が進んでいるのは、憲法が自衛隊を軍隊と認めていないからじゃないの?」
「どうしてそう思う?」
「法律で規制できる形になっていないじゃない」
「憲法を改正して、軍備を認めると、軍拡はおさまるのか?」
「少なくとも、現状のダラダラ軍拡するという動きはなくなるでしょ?」
「核兵器がある時代に、通常兵器を軍備化するのに、一体どんな意味がある?」
「高坂正堯読んだことある?」
「あるよ。その上でだ」
「通常兵器は、立派な抑止力じゃない」
「まあ、待て。話は、それが論理的かどうかということだっただろ?」
西谷さんは、水筒を開けて、水を飲んだ。
「リアリストなんだな」
西谷さんは、そう言うと、もう一度喉を湿らせて、チラリと周りを見渡した。「高坂正堯読んだ? って聞いたっけ」
「……」
「つまり、同じ本を読んでいても意見が違うってことは、少なくとも小夜威の読んでいる本を読んでいないお前に、小夜威の意見が非論理的だと言うことは、できない」
「お前って言うなよ」
「咲島。悪かったな」
「論理的な説明は、全然していなかったと思うけど」
「その論理は、経験に裏打ちされている。咲島には、小夜威の経験を追体験することができない」
「あんな支離滅裂なことを言う人の経験の追体験なんて、する意味あるの?」
「私に聞くなよ。意味がないならどうして、『論理的じゃない、首尾一貫していない』って言ったんだ?」
「どういうこと?」
西谷さんは強い口調で、言った。
「そんなこと、小夜威じゃなきゃ怒っているよ。甘えてんだよ。何言ってもいいわけじゃねえぞ?」
「は? 別に人格攻撃したわけじゃない。発言内容が支離滅裂だっていう、事実の指摘に過ぎない」
「事実の提示だとしたら、何を言ってもいいのか?」
「どういうこと?」
「うるさい隣の席の客に、咲島は正義感か何かは知らないけど、うるせえよって言うのか? あるいは、友達が気分でつけてきたツインテールを、事実として似合っていなかったら、最悪の髪型だねって言うのか? まあ、何が言いたいのかっていうと、さっきも言ったけど、小夜威じゃなきゃ許されない。小夜威に甘えているって言いたいだけ。咲島の感覚だと、私の小夜威に甘えているっていうせりふは、事実の提示ではないと思っているんだろ? 主観的で、合理性のない感覚的な指摘だと思うんだろ?」
「だとしたら何?」
「それこそが、この話で最も重要なポイントだ。人は主観的な価値観の表明しかできない。価値観を説明するのはその人の人生だ。それは決して論理ではない。私が小夜威を弁護する理由はそこにある。小夜威の言葉を否定するな。それは人格の否定ではないと言ったが、百歩譲ってその言い訳が通じるとしても、言葉の否定は人生の否定だ。小夜威の人生を否定するな」
西谷さんは、卓越した弁護士だ。
小夜威さんを守るために、あの時間の間に理論武装したのか、それとも咲島さんに対して前々から言いたかったことなのか。
それはわからない。
「わからない。論理を無視してまで言うべき意見なんてないでしょ?」
「小夜威の意見を徴するなら、小夜威に思いの丈を全て述べてもらうべきじゃないのか?」
「どういうこと?」
「価値観の違いを説明するのは、その人の人生だってさっき言ったけど、咲島は、何も聞かずに首尾一貫性を否定した。私と話す時の小夜威は、とても豊かに具体例を述べて、自説を補強する。140字の世界で完結した人の感覚で、小さなリプライを重ねて、説明に説明を求めて、最初から言葉の揚げ足取りをすることに、小夜威の頭脳を使わせないでほしい」
「説明が不首尾だから、説明を求めているだけだけど」
「最初から最後まで聞いたら、膝を打つよ。はっきり言って、人間的にどうかと思うよ。小夜威は優しいから咲島を否定しない。でも、私はお前を否定する。どうしてかって気になる?」
「ならない」
「まあ、言わせろよ。お前、頭悪いだろ?」
怒りの顔をあらわにした咲島さんは、西谷さんに殴りかかる寸前で男子に止められた。
「お前の人生観は、こういうことなんだろ? 嫌なことがあったら、嫌なことで返していい。もし先に相手がそうやってきたら、それを理由に暴力を振るっても許される。小夜威は? 決してお前を傷つけない。お前が傷つけた時も、小夜威は決して言論的な暴力を振るわない。暴力を否定せず、言論的な暴力も肯定するのだったら、お前は単なる都合のいい論理そのものだ。論理に踊らされて、論理を有効に使おうともしない」
時坂くんは背の高い運動部の男子。
時坂くんは、咲島さんの手首を的確に捉えて掴むと、片方の腕が西谷さんに届かない距離に咲島さんを釘づけにした。
それは、時坂くんの立ち位置の男の子しかできない。「放せよ」とは言えない。
「咲島、西谷が言いたいのはこういうことだ。人の話は聞け。言論上の戦いは、勝利することが目的ではない。そういうことは論理的ではないとしても、常識として備わっているべきだ。小夜威が苦しそうに話していたのを見なかったのか? あれは、お前の説に苦しめられていたわけじゃなくて、お前をどうすれば傷つけないかと言葉を選んで苦慮していただけだ。それは、普通わかると思うけれど、わからないのか?」
咲島さんは言った。
「わからない」
「論理を使う以前の問題だ。咲島、自分の論理にないことはわからないと言って退けて、自分のわかる言葉で話を進めるのは、ずるいだろ。ちなみに、小夜威や西谷には悪いけど、俺は憲法改正派だ」
「……」
「これは意見ではなく、意見を表明する方法の話だ」
***
ガラガラと扉が開いて、下級生が顔を覗かせた。
「公佳ちゃん。彼氏ー」
笑い声で沸いた。
私はカバンを掴むと、みんなの哄笑を浴びながら、顔を隠して廊下に出た。
「うわ、年下」
「受験大丈夫かねー」
ひどい言われようだったので、私は扉を叩きつけて閉めた。
「ごめんなさい。全然待ち合わせ場所にいらっしゃらなかったので」
「尊敬語使わないで」
「すみません」
「悪いのは私だから、ごめん」
「なんかあったんですか?」
「喧嘩」
「へ?」
***
「意見が違ったら、徹底的に言論を戦わせるって方法は、正しいと思う?」
「暴力によらずに紛争を解決するという意味では」
「じゃあ、私と夜湖くんが喧嘩したら?」
「うーん。関係によりますよね」
夜湖くんの話は、咲島さんを擁護している。
少なくとも、咲島さんは、関係の上で効果的な言論運用をしていた。
「それは、言論の形式によるの? それとも、言論の内容によるの?」
「内容は人によりけりなところがあるので、まずは形式じゃないですか?」
「形式って共有できるの?」
「たとえば、常識と話し方が相互に規定し合っているみたいなことを言っているんですか?」
夜湖くん、さては頭がいいな?
「形式は、箱ですから。でも、箱の形や大きさは、人によって違う気がします。大きすぎる人は、小さい人の気持ちがわからない」
「私が、支離滅裂なことを言っていたら、夜湖くんは私のことを嫌いになる?」
「なると思いますよ」
夜湖くんの答えは、とても意外だった。
「それはなんで?」
「人格は言語に宿りますから」
そういう本質的な説明をすぐにしてしまうのか。
「言語を否定するなら、人格も同時に否定しているってこと?」
「というか、人格を好きになるのではなくて、言語を好きになるんですよ」
「顔じゃなくて?」
「なくて」
私はしばらく考えた。
「言語によって私は規定されるの?」
「それが一番人を好きになる上で誠実かと」
「うわー、怖いな」
「僕の友達には、聞いたことのない話をする人が好きという子がいます」
「いてもおかしくないよね」
「その子が言うには、雰囲気なんだそうです。どんな言葉を使いそうかという雰囲気が、実際のキャラクターや個性の深部に見えるんだそうです」
「だから?」
「つまり、その子は、自分の感覚器の快楽というか、センシティビティみたいなものを重要視していて、意見の中身とか、言論の形式とかそういうものは、正直どうでもいい」
「へえ」
「僕は、結構理屈が好きなので、言語に寄っていますが、その子の感覚器の友達の話は結構好きです。だから、デートとかすると、すぐ意見が衝突するらしいですよ。でも好きだから、しょうがないんですって」
私は、しばらく考えた。
「言語情報の損耗率って、どう思う?」
「あー、それ。結構本質的ですよね」
「意見の違いは、損耗率が関係していると思うけど」
「要約好きは、人の話を聞いていないですよね。僕は、要約は苦手なので余計そう思いますけど。でも、如月さんは、要約するタイプですよね」
「そういう教育を受けているから。だから、今日の喧嘩は個人的には……」
***
私は、小夜威さんに連絡を取った。
小夜威さんは、とても疲弊していた。
「論理的なタイプに、感情に訴えかける方法は、うまく通じないよな」
しょんぼりしたメッセージに私は、とりあえずありとあらゆる慰めスタンプを押した。
「あの後西谷は、戦ったんじゃないか?」
「お察しの通りです」
「ありがたいけど、ああいうタイプは、ずっとああなんだよ。私が、違う意見をそっと置いたことがよくなかった。いらない土産だったよ」
「時坂くんが、珍しく」
「うわぁ。西谷、言い過ぎたんだな」
私は、そのメッセージスレッドを、更新しながら、塾に行った。
糸葉ちゃんが、私を見て、手を振ってくれた。
「遅かったですね」
「喧嘩の見物をしていて」
「池袋ですか?」
「ううん。高校の教室で」
「? なんか複雑そうな顔ですね」
「実は、流れに反して、友達と喧嘩していた人の方の気持ちの方がよくわかるから」
「あー、そういうのありますよね」
「形式と内容って言うの?」
「公佳さんは形式」
「なんでわかるの?」
糸葉ちゃんは、しばらく考えてから言った。
「形式というより、構造ですかね」
「構造?」
「姉弟がいるっていうのは、本質的に関係を扱うものですから」
「関係?」
「喧嘩したら、友情は壊れます。でも喧嘩しても兄弟関係は崩れません。でも」
「ふん。でも、友情が壊れる以上の、破壊的な関係崩落が起こるって言いたいわけね」
「そうです。お姉さん」
授業が始まって、さっきまで一体「何を話していたのか」忘れてしまったけれど、今日も夜の池袋で、糸葉ちゃんと油そばを食べ、スタバでコーヒーを飲み、別れた。




