14話「矛盾をめぐる喧騒」
14話「矛盾をめぐる喧騒」
珍しく小夜威さんが怒っていた。
クラスメイトの咲島さんと、口論の体だった。
「小夜威は、矛盾している。首尾一貫していないし、論理的に破綻してる」
「だからなんだ?」
「そんな人と話せないよ」
小夜威さんは、しばらく黙った。
その間も、咲島さんは、小夜威さんの組み立てたロジックを詰った。
小夜威さんさんは、経験豊かで、とても技巧的にロジックを組み立てる人だ。
それは、多くの人が知っている。
咲島さんと意見が衝突したのは、憲法や法律の矛盾についてだった。
文学部志望の小夜威さんと、法学部志望の咲島さんは、時々意見が対立する。
それは、大概、小夜威さんが咲島さんを侮って、軽く扱うことに端を発する。
小夜威さんは丁寧に議論を追うことができないわけじゃない。
ただ、そういうのはつまらないと経験的に思っているから、議論が一足飛びになる。
咲島さんは、それをいつもなじる。
「矛盾している人と話せないのは、狭量と言わざるを得ないけど」
小夜威さんは、冷えた顔で、目線を落として、咲島さんに言った。
「矛盾しているのは認めるんでしょ?」
咲島さんが、駒を進めて攻撃の態勢を作る。
「だからなんだというんだ。人の話を『矛盾している』と言って攻撃することに、何の意味がある?」
小夜威さんもきちんと迎撃の布陣を組む。「私のことを馬鹿だと言いたい? そうしたら、それを言語化する意味がどこにある?」
「小夜威は馬鹿じゃないから」
「……私が言った、憲法上の矛盾が問題じゃないという話を、あれだけ丁寧に論駁しておいて、その理由が、私を蒙昧から救うためだと?」
小夜威さんは、照準を合わせる。
「というか、どうして矛盾しているのに生きていられるの?」
「矛盾については私も考えるけれど、世の中は矛盾だらけだ」
「それを最小化するように働きかけるのが、市民の役割なんじゃないの?」
「市民の役割は、矛盾を包摂することだ」
「だから矛盾したままでいいってこと?」
小夜威さんは、守るものがある。そういう戦い方だ。
咲島さんは気づいていない。小夜威さんは咲島さんを気遣いながら戦っている。
「解決できない矛盾はどうする」
私たちはハラハラしながらその戦いを見ていた。
小夜威さんは、クラスでも随一の穏健派で、政治信条もマイルド。
一方の咲島さんは、小夜威さんとはタイプが違う。正しいこと、正義が「ある」という立場で、論理的首尾一貫性を重視する。
「咲島は、首尾一貫していることが何よりも説明責任を果たす上で、重要と考える」
「そう」
「私の話は、首尾一貫していない」
「そう」
「じゃあ、私はこの世界でどうして生きていけるんだ?」
「みんな馬鹿なんじゃない? 小夜威みたいな人の話をありがたがって」
小夜威さんは、しばらく考えるふりをした。ふりというのは、みんながわかった。考えているのは、自分と咲島さんの両方を傷つけない方法。
「もし、完成された意見があるのだとしたら、それを標榜するだけで事足りる。でも、私には残念ながら歩きながら作ることしかできない」
「何それ、文学ぶっちゃって」
「意見というのが生成的に語られることを、咲島は禁止するのか?」
「生成的? つまり思いつきってこと?」
「すべての意見は思いつきだ」
「一貫した意見と、散漫な意見というのは、あると思うけど」
「一貫した意見が優れている理由っていうのは、何かあるのか?」
「よく考えられている。直感とか、思いつきで、よく生きていけるね」
咲島さんの意見は、意外とこのクラスの半数以上の賛同を得ている。小夜威さんは少数派だろう。
「矛盾しているように聞こえたり、矛盾しているように見えるのは、確かにマジョリティからするとそうだろうね」
「自分が特権的少数者のつもり?」
「そうだね」
「そうだね?」
「そう。少数派っていうのはいつも傲慢なものさ」
小夜威さんは、防御網を組み立てている。
クラスの真ん中が土俵になったような、異様な光景だった。
「もし法理に矛盾が生じて良かったら、法の下の平等はどうなるの?」
「法っていうのは、常に少数派の被る不利益から、進化していった。咲島は、私をなじることで、私を守るための法理の形成に寄与している」
「どういうこと?」
「咲島の言葉は、法理上の平等を追求しているけれど、私の気持ちは踏み躙る。私の『気持ち』が法理上の矛盾に優先されないと、本気で信じている」
「小夜威が矛盾を擁護するから」
「憲法9条が、矛盾をはらんだ条文であることは、誰もが知っている。その上で、その矛盾を矛盾だと指摘することは、中一でもできる」
「小夜威は、じゃあ6歳なのね」
小夜威さんは笑った。
「言葉の上での矛盾をつくことは、どんな意味がある?」
「その言語上の無矛盾の上に、小夜威の福利は成り立っていると思うけど」
「それは、最低条件だよ。その上」
「最低条件が満たせない小夜威に、その上はない」
小夜威さんは、言葉を探して、うめいた。
小夜威さんの求める世界秩序は、他の人には理解されないところがある。
私は小夜威さんが、土俵際まで追い詰められるのを、ただ見ていることしかできなかった。
「法の下の平等は、私たちの福利を最大化してくれるわけじゃない」
「それも、最低条件でしょ?」
「矛盾がない文章が、咲島にとっての最高なのか?」
「それは最低条件でしょって、言っているよね?」
「最低条件が満たされないと、その上は目指しちゃいけないのかよ」
「ご自由にどうぞ。小夜威の福利を整えた最低条件を、小夜威は当然視しているけれど、小夜威にそれを享受する資格がないんじゃないかって言っているのだけど。だって、小夜威はそこで使われている論理を、当然視していないんでしょ?」
「論理は、あくまで道具だ」
「道具がうまく使えない人に言われても」
それは嘘だった。小夜威さんは論理的だし、論理をうまく使っている。ただ、なんというんだろう、小夜威さんは「中身」を重視している。
「咲島。自分が納得するためだけに使っている論理を、他の人に使って、それが受け入れられなかったら、その人の論理の使い方がおかしいというのか?」
「どういうこと?」
「自分のロジックが、限定的なところでしか働かないことに気づかないのか?」
「ロジックって、世界に一種類しかないと思うけど」
小夜威さんは、深く息を吐いた。
「いわゆる理性の信奉みたいなやつか?」
「理性の信奉?」
「いや、たとえば、言葉が話せない人のロジックを、考えたことはあるのかというような意味だ」
「宇宙人ってこと?」
「そういうことだよ。自分の意見を認めてくれる人しかロジカルじゃないってこと?」
「私を差別主義者みたいに言うのね」
「少なくとも私はバルバロイなんだろ?」
小夜威さんは、しばらく俯いた後、咲島さんに向き直った。それから、何かを言おうとして、また口を閉ざした。咲島さんのためになることを言おうとしたのかもしれない。でも、咲島さんの耳は今、小夜威さんには開いていない。
教室は多くの生徒がまだ残っていたのに、二人の声以外しなかった。
静止している空間は、二人を真に仲間だと思っているクラスメイトの気持ちで満たされていた。
小夜威さんのことを非論理的だとなじるのは、正直簡単なことだ。
小夜威さんはロジックに強いというより、そもそも世界の理解が複雑で、難しい課題を抱えている。
咲島さんが小夜威さんに対して強く出れるのは、小夜威さんがその柔らかい部分を庇ったまま戦わざるを得ないことを、咲島さんが本能的に知っているからだった。
「小夜威は、何のためにロジックがあると思ってるの? 共通項を見出して、合意するためじゃないの?」
「もしそうならどれだけいいことか」
「どういう意味?」
「ロジックが通じない時は、数限りなくある。わからないことはたくさんあるし、それに一つずつスタンスを決定しなきゃいけない。ロジカルでも間違っていることだってたくさんある」
「それは、法がロジカルだけど間違っていると言いたいの? 小夜威は法からどれだけの福利を得ていると思っているの?」
咲島さんの意見は、確かにロジカルだった。でも、何となく違和感がある。その違和感を、小夜威さんは言葉にした。
「そういうふうに、話すのは私を信頼しているからか?」
「へ?」
「それとも、誰にでもそういうふうに話すのか?」
「こういう話題だからでしょ」
小夜威さんはまた考え込んだ。
しばらく考えて、答えが出なかったらしく、それから咲島さんを見た。
「私は嫌じゃないけど」
咲島さんは言った。
二人は仲のいい友達で、でもたまに、こういうふうな会話になることがある。
「私は嫌だな」
「なんで?」
「そういうふうには話さない」
「小夜威こそ、こういうふうに話すでしょ?」
私は、また小夜威さんが口ごもるのを見た。
咲島さんの綺麗な技だった。
咲島さんは、小柄で強気な女の子だった。
私は咲島さんと話すこともある。小夜威さんとこういうふうなやりとりがある時以外は、実に話しやすい人だ。友達も多くて、さりげない気配りもある。
だから、小夜威さんと口論になる時は、周りも一目置く。
小夜威さんはクラスの親分で、大きな象みたいな強さがある。
その小夜威さんとやり合うのだから、とても挑戦的だ。
小夜威さんは、ところどころ口ごもり、うまく伝えられないことを悔しそうにしていた。
たぶん、小夜威さんの言いたいのはこういうことだ。
自分の意見を伝えたいなら、その意見に反対意見があることくらい、織り込んでおけよ。
それくらい織り込んで、会話を進めろよ。
小夜威さんは、そうは言わない。
「つまり私に何をして欲しいの?」
咲島さんはそう言った。
それが言えないのが小夜威さんの苦しいところだ。
小夜威さんには言えないだろう。小夜威さんの強さは、言外の雰囲気で相手に好意を伝えるところだ。言外のコミュニケーションを封じられ、言語上の意味伝達にのみ手段が限定されると、小夜威さんにできることは少ない。
小夜威さんは、言葉少なに言った。
「咲島が、私とのやりとりで困難を感じないんだったら、問題は私にあると思う」
咲島さんは、少し黙った。
「お互い様、なんだろ?」
小夜威さんは聞いた。「意見が一致しないのは、お互いが歩み寄らないからだ。そうだろ?」
「そう」
「私の意見は、何を言っているかわからない」
「ええ」
「それが見かけ上の対称性であっても」
「見かけ上ってどういうこと?」
「わからない?」
「内実は非対称だということだ」
「内実? 結局都合のいいように、解釈しているだけじゃないの?」
咲島さんの方に軍配をあげる人もいるだろう。私も、言語運用上は咲島さんが優れているように見える。でも、よくよく考えると、小夜威さんは、咲島さんを誘導している。
そういうふうに返すだろうことを、小夜威さんは予期して話している。
つまり、小夜威さんは、常に咲島さんのメンツを気にしている。
「私の言っていることがわからない」
「ええ。ほとんど」
「どうしてだろうな」
「さあ」
小夜威さんは、うまく説明できないことを恥じているわけではなかった。
でも、小夜威さんのことをきちんとわかっている人は、私を含めてほとんどいなかった。
小夜威さんは、小夜威さんの生活で得た知見と、独自に行なっている読書で、その人格を形成した。それは、とても孤独だと思う。
「小夜威」
後ろにいた西谷さんが、声をかけた。「疲れるだろ」
「いや」
「無理するな。そこの女は、疲れを知らない健常者だ」
ふ、と笑った。西谷さんが小夜威さんを健常者ではないカテゴリーにしたのが、小夜威さんにはとても面白く聞こえたらしい。
「西谷」
「おいおい。私まで敵にするな咲島。小夜威は、今日は早く帰るって言っていたんだ」
小夜威さんは座っていた机から降りると、机のフックにかけていた荷物を取って、西谷さんに軽くアイコンタクトした。礼を伝えたものと見られる。




