13話「雰囲気」
13話「雰囲気」
一人一人のコンパートメントがしっかりしている高校。
それが都立戸山。
中高一貫ではないから、変な馴れ合いがなくて、キャラとかそういうのを気にする必要もなく、各自が好きなことをやる。
私は結構ぬるい方だから、厳しい感じの女の子とあまり絡みがないけれど、厳しい人は結構厳しい。
体育会系という範疇ではなくとも、雰囲気とすると、そういうタイプがいる。
冗談が通じないタイプというか、先天的に自分に厳しいタイプ。
そういう人は、自分に厳しい代わりに、きちんとやっている人を適正に評価する。
その人の笑顔を見ると、報われた感じがする。
戸山から東大とか京大に行く人は、そういう人が多い。
「勉強って表面的に問題を解く上では、複雑になり得ようがないから」
伊藤さん。仲のいい男の子と話している。
嗜虐的というわけでもないのに、なぜか笑顔が不気味に見えるけど、聞いた話では、あの笑顔も需要があるらしい。
それも、マゾヒストからの被虐心から来るというより、サディストが美的に見えるという意味で、伊藤さんは評価が高い。
独特の怖さだ。
私とは接点がないのだけど、私も御多分に洩れず、伊藤さんのファンで、あの幅広の口の端がクッと上がるのを見ると、たまらなく元気が湧き出てくる。
学力では、天才とは言い難い私たち(私なんか底辺だし)は、人間の複雑さで、日本や世界に打って出る。
***
大学受験が本格化の様相を呈してきた。
私には関係ないと、白を切るのも大変になって、塾でも夏期講習なんかが開講する。
塾にいると気が滅入るので、たまに戸山まで来て勉強することがある。
休みの教室に人がいることは珍しいのに、その日は二人、先客がいた。
伊藤さんと駒形くん。
仲がいいとは思われていない二人だ。
駒形くんは、結構流暢なコミュニケーションを取るタイプで、伊藤さんはどこかで「軽薄」と切って捨てていた。
伊藤さんのことを「ただの偏屈さんじゃん」と評する駒形くんとは、相性が悪いような気がする。
その二人が、結構明るく談笑しているところに、私がガラガラと教室の扉を開けた。
「お疲れー」
駒形くんが、手を振ってくれたので、私も手を振り返す。
「如月さん。珍しいね」
「ちょっと塾で煮詰まって」
「ちょうどよかったよ、この偏屈おばさんの説教を聞くのも飽きてきたところだったんだ」
私はその一言で凍りついたけど、当の伊藤さんが何にも気にしていないみたいに笑っているのに、戦慄した。どういう関係だよ。
「誰でも美人は好きよね」
「負け惜しみになってねえけど?」
「大丈夫、あなたをイケメンだって言ってるわけじゃないから」
二人のコミュニケーションはもはやどういう次元なのかわからない。
「最近、成績上げてるよね?」
「いや。全然最初と変わらず底辺ですけど?」
「この前までバカ枠だったじゃん」
私がなんとか説明しようとしていると、伊藤さんが鋭く「駒形くんは何も見ていないのね」と言った。「小夜威さんと楽しそうに数学の教科書開いてたよ? お喋りに夢中で、美人の動向もわからないのね」
よく見てるなー。それで見てるだけでわかっちゃうもんなのかよ。私は、顔には出さなかったけれど、少し怖かった。
「小夜威親分の教科書で全てを突破していくやつでしょ?」
「そう。本当にため息が漏れるくらい練れた人よね。誰かさんの軽薄を思うと、ぜひ見習ってほしいけど」
「同じ人にはなれない。俺は俺、伊藤は伊藤。親分は親分。韓国美女は韓国美女だ」
「そういえば、如月さん」
とても雰囲気良く、伊藤さんが切り出した。水筒のお水を飲みながら、目線だけ反応する。
「年下の彼氏とはうまくやっているの」
盛大に吹いた。
「え、な、なんの、なんのこと?」
「え、」
したり顔とはこういう顔だ。駒形くんにマウントを取るためだけに、この話題を選択したみたいだ。本当によく見ている。
しかし、放課後というか、授業のない夏休みにふわふわした雰囲気で教室にいる伊藤さんは、いつもと雰囲気違くない?
よく見ると、いつも結んでいる髪を下ろしている。
昨年の運動会のクラスTシャツを着ている。
「ああ、これ?」
伊藤さんがTシャツを引っ張って見せた。
「さっき、雨が降ったでしょ。ちょうど降られちゃった」
スカートとTシャツのコンビネーションは、なんというか、ちょっとエロい。
エロいのは下ろした髪とか、濡れた髪とか、うねった髪とか諸々だけど、挑戦的で自信に満ちた視線を、こういうふうに受けるのが、気持ちいいなんて、ちょっと違う趣味に目覚めてしまいそうだ。
というか、えっちしたら楽しそう。
本心でそう思ってしまった。
「まあ、いいけど。如月さんって、彼氏がいないと頑張れないタイプだろうから」
「どういう人間観察ですか」
私は、はあっとため息をつく。
「え、彼氏を甘やかすために、強くならなきゃいけないんでしょ?」
「伊藤は甘やかすタイプじゃないのに、よくわかるよな」
駒形くんはさし挟んだ。
「駒形、あなたに私の評価をしてほしくない」
「甘やかすタイプなの?」
私は聞いた。
「違うけど」
「ん? いや? 意外に……?」
「余計な想像はやめて」
「すまんね」
私は、とりあえず吹いたところをティッシュで拭いて、それから教科書を取り出して、勉強を始めた。
「やるかね」
駒形くんは、後ろを向いていた体を前に向けて、赤本をやっていた。
赤本? え、もう?
ちょっと不安になって伊藤さんの方を見た。
なんかよくわからない薄い冊子を読んでいる。同人誌ではないんだけど、どこに興奮要素があるのか、ニタニタ笑っている。
私の気持ちを読んだのか、駒形くんが「ほんと気持ち悪いよな」とこぼした。
ちょっといじめっぽいせりふだけど、正直その言葉以上の感想はない。
***
雷が鳴り、積乱雲が立ち上り、空が暗くなり、閃光が走った。
5時くらいのことで、私たちはそこそこ集中して勉強していたから、顔を上げるなんてこともなかった。
雷が落ちて、停電した。
「休めってことなのかね」
「駒形、あなたは休んでいい。あなたが浪人している間に私たち一年早く大学に行っているから」
「そういうー」
「冗談よ」
キッパリ言うものだから、駒形くんは追及できなくなった。
荷物から財布とスマホだけ取って、ポケットに入れると、伊藤さんは何も言わずに廊下に出た。
「自意識過剰だろ」
そう言う駒形くんもスマホをポケットに入れて伊藤さんを追いかけた。
さては仲良いな?
私は駒形くんの赤本「早稲田大学法学部」と伊藤さんの薄い本をチラッと見た。
駒形くんの赤本は、すごい書き込みがしてあって、伊藤さんの薄い本は中にA4の白いコピー用紙が入っていた。
噂によると数学好きはみんなこういうふうにやるらしいのだけど、私は受験に関してはにわかなので、なんというか、ちょっと気持ち悪いなと思った。なんで大学ノートじゃダメなのか、さっぱりわからなかった。
ぱちっと電気がつく。
私は自席に戻って、古典の4択問題集に手をつけた。
今日は集中できたので、古典の4択問題集が終わった。
あとはわからない単語を辞書で調べて、ノートにまとめてっと。
「カタツムリか?」
なんか特級の罵倒が飛んできた。
油断した。
やっぱ駒形くんは嫌なやつだ。
「カタツムリに悪いわよ」
伊藤さん。やっぱ仲良いでしょ。
***
気づいたら9時だった。
「飯行くけど、如月さん」
「悪いけど駒形。如月さんと行くのは私」
「いいじゃん。三人で行こうぜ」
「あなたとご飯食べたくないから」
「じゃあ伊藤が外れろよ」
「二人はどっち方向なんだっけ?」
「俺は飯田橋」
「私は目白」
「別々じゃん。どこで食べるの?」
「馬場」
「みんなで行こうよ」
雨が降っていた。
風はないけど、ザアザアと。
伊藤さんは傘を忘れたからシャツと髪が濡れていたわけで。
「伊藤さん、入る?」
伊藤さんは、こくんとうなずいた。
馬場までの長い道のりを鞄を庇いながら狭い折り畳み傘に入る。
伊藤さんの肌のいい匂いが漂うので、役得という感じ。
伊藤さんは歩きながら道路の方をずっと見ている。
いつも女の子とこういうふうに歩く時は、腕を組んだりするのに、そういう隙もなく、もちろんそういう気もさらさらないみたい。というかそんなこと考えたこともないのかな。
私の二の腕に伊藤さんの胸が当たっているけど、気にしてないのかな。
戸山の雰囲気は好きだけど、私全然馴染めてないのかな。てか高校生活5/6終わっているし。
ご飯を食べると、私たちは解散した。
入った定食屋さんでは、駒形くんも伊藤さんも、大人みたいな空気感で話していた。同級生というより、同僚と言った方がしっくりくるような。
でも、二人、学期で話しているの見たことないんだけど、本当は仲がいいのかな。




