回想3「全世界が敵になってほしい」
入学式の前の日、傘折の父親を見かけて話したことがある。
あいつの見た目はそこまで変わっていなかったからすぐ分かった。
だから遠巻きに聞いたんだ。
「傘折さん、ですか?」
「はい、そうですけど」
バイトの帰りに偶然、スーツ姿の男を見た。
そいつは多少老けて見えるくらいで面影はハッキリ残っていて、お父さんが泣き縋っていた相手の「傘折さん」だとすぐ分かった。
「父がお世話になっていたんです。あなたと話をするのを見たことがあります」
「そうですか」
「傘折さんって銀行員なんですか?」
こちらを怪しんだのか、目を細めてこちらを見ただけで返答はなかった。
「……なにか用ですか?」
ただ冷たいを言葉を投げつけられる。
「いえ、さっき言ったみたいに父がお世話になっていて顔を見たことがあったのでそうなのかなって思って……」
私がとっかかりを探しながら喋っているとそれを察したのか、傘折は時計をチラリと見、こちらに社交辞令のような張り付いた笑顔を見せた。
「そうでしたか、またなにかあればよろしくお願いしますと、お父様に伝えてください。私は次がありますので」
お父様はいない。貴様が融資を打ち切ったせいで死んだんだ。
そもそも「お世話になっていた」で十分皮肉として通じるかもしれないと思ったけど、そんなことを歯牙にもかけずこの場から離れようとしている。
「あ、あの! 宇津木金属って覚えてますか。10年くらい前なんですけど」
今は瀬波だけど、旧姓は宇津木。それを知っているか聞いた。
もし知っていて、罪の意識を感じているなら多少なり自分の溜飲は下がる。
しかしそう簡単には行かなかった。
「宇津木金属……? 覚えてないですね、どんなことしてました?」
彼は眉間に一瞬皺を走らせ、こちらの目を見て聞いた。
「いや……よく知らないんですけど、金属加工の工場で新しい技術の開発をしてたとか」
「……はぁ」
「なのに、途中でお金を借りれなくなって、土地もなくなって……何か悪いところがあったのかなって。私小さかったからよくわからないんです。だから理由とか、聞きたくて」
「あぁなるほど、社員の娘さんですかね? まぁ部外者に詳しくは話せませんが1つ言えることがありますよ」
「え……っ?」
何を言うつもりなのだろうと黙って聞いたけれど、今思えば聞くべきじゃなかった。
「融資が打ち切られたということは、会社に価値がないと言うことです」
そして、重い何かを吐き出すように息をつく。
口角を片方だけ引き上げて、こちらを見下ろすように言ったのだ。
「銀行というものは無価値なものに金を貸さないものですよ」
突如として小馬鹿にするような視線をこちらに向け、傘折は笑いながらそう言った。
愚かな存在を笑うような軽蔑が乗った視線に、私は視界が真っ白になった。
そして嘲笑うって言葉の輪郭を、その時に私は知った。
「はっきり言うと10年前なんて覚えていません。潰れた工場のことなんて思い出したくもありませんが、事実としては融資に値しないから切ったということですね」
そしてあいつはさよならと言って打ち切った。
謝罪もなかった。思い出すことすらしなかった。
何も言えずに呆然とする私を不快そうに見た傘折に、私の心は踏み躙られている。
「なんでそんなことが言えるんですか……」
そう口にすると、今度は嫌悪を込めた視線がこちらに向いた。
「なんで……? 無価値なものは雑草のように引き抜かなければならない。それに足を取られる人間がどれほど迷惑を被るか……君にはわからないでしょうね」
理解ができなかった。
怒りと嫌悪で頭がおかしくなりそうだった。
「……お父さんはお前のせいで死んだんだ」
「死んだ……? あぁもしかして社長の娘さんですか、なら覚えておいてください。工場が潰れたのは私のせいじゃなく無能な経営者のせいです。お墓の前で伝えてください『死ぬなら人の迷惑にならないようにしろ』と」
唾を吐き捨てるような言い草。
許せなくて、腹が立って、苛立って、悔しくて、憎くて、内臓を焼かれてるような不快感と言葉にならない嫌悪感に胃液が逆流してしまいそうだった。
全世界が敵になってほしい。
不幸になって残忍な死を迎えてほしい。
人間が到達してはいけない考え方にまで至りそうになる。
ただ私の中の倫理が必死に衝動や憎しみを堰き止めている。
「あんたが……融資を打ち切ったから! お父さんの自殺でお母さんも心の病気になった……! 私の家族をめちゃくちゃにしておいてなんでそんなことが言えるんだ!」
心の中で恨みを押さえつけながら、しつこく食い下がった。
しかし大人の傘折は、子供の癇癪をいなすように辟易した様子で嘆息した。
そんな一言にも「そうですか、大変ですね。そんな親の子供だと」と明らかな悪意を込めて言い残し、私の前から姿を消した。
傘折は私の中に憎しみだけを残していなくなったんだ。
△
あの時のやりとりを思い出す。
無価値。
お父さんの宝だった工場と社員のみんなをそんな風に切り捨てた傘折が許せなかった。
それが一番私の体を熱くさせていた。
しかし、そうやって娘の方の傘折をいたぶる日が続いたけれど流れが突如変わった。
私は別に殺す気はなかった。
その時の私は傘折抜きにしても機嫌が良くなかった。
だからそのガス抜きに傘折の腹を蹴った。
衣替えが終わり夏服になって、肌の見える場所が増えるから確実に隠れる部分。
すると彼女は呻きながら言葉を投げつけてきた。
「お父さんは、本当に瀬波先輩の……お父さんを……?」
今更そんなことを聞いてきた。
そうだ。だからお前は私に蹴飛ばされているんだ。
「あいつはお父さんの工場を無価値って言ったんだ。雑草を抜くみたいに……」
思い出して、あの時の不快感と怒りと嫌悪が湧き上がる。
「本当に……?」
嘘なわけないだろ……!
私の怒りに反して傘折は憐れむような瞳をこちらに向けた。
それが酷く私の内臓を掻き回して、機嫌が悪かったのもあって黒くて熱い感情が一気に噴火したんだ。
「本当だよ……お前の父親がお父さんとお父さんの宝物の工場を壊した……! このネックレスだってお父さんの形見なんだ。お前の父親が潰した工場の宝なんだよ! 技術も気持ちも、お父さんやみんなの心がこもってる……!」
声を荒げる。
お父さんが誕生日プレゼントとして作ってくれたネックレス。
私のネックレスは三角と四角形が複雑に入り組んだ模様のチャームがトップになっている、どこにもないオリジナルの一点物。
右手で胸ぐらを掴みながらネックレスを左手で握りしめると、傘折は私の左手を見つめてくる。
この期に及んでまだ余裕があったのか、彼女は少し微笑みながら口を開く。
「そうなんですね……お父さんにそんな素敵なものを貰えるなんて、羨ましいです」
そしてそう言われた瞬間に、頭の血管が切れるほど怒りが湧き上がったと思う。
すぅーっと視界が白く晴れて、全てがどうでもよくなった。
大切なネックレスを彼女が褒めた瞬間、もう我慢がならなかった。
工場のみんなで協力して作ってくれたって言っていたお父さんの形見。
たった1つしかないお父さんとあの工場のみんなが生きた証。
それを、お前みたいなのが羨ましい……?
「でも私のお父さんは壊しちゃったんですね……」
言葉は耳に入らなかった。
ふざけるな。
その整った顔が、その丁寧な口調が、憎い男にそっくりで皮肉にしか聞こえないんだよ。
父親が無価値と言った工場で生まれたものだ。なにが分かるんだ。
あいつと血が繋がってるお前に……!
そしてあまりの怒りに首を絞めた。
窓から差し込む夕焼けの赤さが私の殺意を増長させたのかもしれない。
殺してやろうと思った。
そして首を絞めたんだ。




