24
その言葉に私の心臓は飛び跳ねた。
燕ちゃんからそんなことを言われたら流石にドキドキする。
ビックリしたのを隠すように無言で首を縦に振ると手を引かれて流れるように観覧車に乗車、当然のように私は燕ちゃんの隣に座った。
彼女はそれを咎めることなく、ハァとため息をついて一瞬外を見る。
……キス、するのかな。
頻繁に部屋に遊びに行って、2人きりの空間に慣れているはずなのにこの密閉された小部屋にいると、自然とそんな気持ちになる。
「あのさ、傘折」
観覧車の扉に鍵をかけられながら早々に燕ちゃんは口を開く。
「は、はい! なんでしょう」
「私のこと……好き?」
燕ちゃんはゆっくりと感情をあまり込めずそう言った。
当たり前です。すぐに言葉に出来るはずが緊張で唇が重くなる。
「はい、好きです。ずっと一緒にいたいです」
その重い唇をゆっくり持ち上げ、伝わるように声にして気持ちを言葉にする。
観覧車が無機質に上昇して、見ていた景色が小さくなるように、隣に座る燕ちゃんの言葉は力強くなる。
「私も、同じ」
その瞬間、私は耳を疑った。
ラブかライクか。
でも同じならラブってことだよねって時間差で頭が理解し始める。
涙が出そうだった。嬉しくて。
嬉しさで爆発しそうなその気持ちに、体中の血液が忙しなく全身を巡っているのを感じる。
けれどなぜか燕ちゃんは悲しそうな表情でこちらを見つめていた。
「でも私は、あなたとは一緒にいられない」
「えっ?」
彼女は静かに、唇を噛んで私から目を逸らした。
赤みがかった西日が金髪を照らしてキラキラと輝く中で、その少し辛そうな表情が私の瞳に焼き付く。
「私は、あなたに酷いことをしたから……」
燕ちゃんは罪を告白するように重く、地面にぶつけるように言葉を投げた。
そんなことを気にしなくていいのに。
そんなところで躓いていたのかと私は笑う。
「そんなの……大丈夫ですよ」
私は燕ちゃんに安心してもらうために笑って見せる。
本当に大丈夫なんです。
暴力を振るわれようと殺されようと、燕ちゃんが私のことを見てくれたのは変わらない。
理解してくれて、話しかけてくれた。
あなたと一緒にいるだけで私は私として生きられて幸せなんだ。
それでも燕ちゃんは辛そうに、悲しげに口を開いた。
「ダメなんだって……!」
語気が強くなる。
本気で罪の意識を感じている。
「なんでそんなこと言うんですか……? 私は許してますよ……?」
私は最初に好きと言われた時に全身を駆け巡った熱がゆっくりと冷えていく。
「傘折が許しても、私が許せない」
「でも……」
「復讐に失敗してあなたと一緒に過ごした時間、最初こそ嫌悪感でいっぱいだったけど、だんだん傘折のことが分かっていくと楽しかった。穏やかな時間が過ごせた」
「ならなんで……」
「だからこそ、優しくて、可愛くて、孤独なあなたのそばにいるのは私じゃないんだ」
孤独。
そう突きつけられ私は言葉を返すのに時間がかかった。
————嫌だ。また1人になりたくない。
私を1番に見つけて、私がいいと言ってくれた燕ちゃんがいい。
————あなた以外にもう私の心は埋められない。
目でそう主張しても燕ちゃんは目を逸らしてしまう。
「私は、こんなに好きなのに」
「それもおかしいんだよ」
燕ちゃんは吐き捨てる。
「おかしくないです。私は何をされても燕ちゃんが好きなんです。別に捌け口でもいいんですよ。あなたが私を見てくれれば……」
「それだよ」
それ。
その言葉の引っかかりを手繰るように目の前の悲しそうな顔をした人は、嘆くように吐き捨てる。
「それがおかしいんだ。何をされても好きなんて、私みたいな最低の人間に……!」
「最低じゃないです。燕ちゃんは素敵な人です」
「そんなことないって言ってるでしょ!」
燕ちゃんの自己否定が強くなると同時に、何か恐ろしいものを見るように息を切らして自分の体を抱きしめている。
「誘拐事件とかで、被害者が加害者のことを好きになってしまうことがあるの知ってる?」
「……何が言いたいんですか」
「ストックホルム症候群。事件の被害者が自分の心の安定を保つために、辛い現状を辛くないと書き換えるために加害者に好意的な印象を持つようになるんだ。そうやって適合しないと心のバランスを崩しかねないから」
DVされてる人が「本当はいい人」なんて言うのと同じ。
燕ちゃんは自嘲気味に付け足す。
彼女はそんなことを言いながら目に涙を浮かべて、私の目を見た。
そして、ポツリと言葉を発する。
「密季。ごめんね」
下の名前で私を呼んで涙ながらに謝罪する。
「密季……密季、密季。密季」
何度も何度も私の名前を確かめるように声に出す。
蝋燭の火を吹き消すような息の多い静かな声で。
その度に私の心臓はバクンと跳ね上がりそうになるけれど、状況がその感情に冷水をかける。
「名前で呼びたかった」
燕ちゃんは俯いて言った。
どこかへ消えてしまいそうな悲しそうな声色が私には痛い。
「呼んで……いいんですよ……?」
「でも、これで最後。あの時の勝負のお願いを聞いて」
夏休み、舞浜先輩とした勝負。
その権利だと燕ちゃんは言った。
「あなたが好きになった。だからもう……終わりにして」
好きって言ってくれたことも、終わりって言った事にも。きっと嘘はない。
言い方で伝わる
私を好きになってくれたのも本当で、だからこそ私に暴力を振るったことが許せてない。
……私はストックホルム症候群なのかな。
あの暴力の日々、首を絞められてからスイッチが入ったような気がするけれど気持ち自体は変わってない。
元から好きでそれが前向きになったかの違い。
きっかけが少し歪だっただけ。
歪なきっかけを利用して、燕ちゃんに近づいた。
ただ私は暴力には正当性があると思ってる。
お父さんが燕ちゃんの家族をめちゃくちゃにして、その復讐に私を使いたいなら使えばいい。
私だってきっと燕ちゃんの立場ならそうしてる……かもしれない。
やり方の違いはあれ、父親への復讐は娘に。
家族の罪は家族に、だからお父さんの罪を背負う気でいた。
それで殺されちゃったりしたら燕ちゃんを人殺しにしちゃうけど、望みなら仕方ない。
バカな女でもなんでも燕ちゃんの印象に残ってくれたら私はそれで嬉しい。
燕ちゃんの心の中に私の名前があればいい。
復讐に使ってやった女でも構わない。
誰かの心に残りたい。
「本当に、本当にごめんなさい」
「やめてください……」
そんなつもりない。謝らなくていいんです。
一緒にいれればそれでいいのに。
「いいんです、私は気にしてないんです……! その前から燕ちゃんのことは好きだったから、そんなの関係……」
「それもきっと、そう思い込んでるだけだよ」
「そんなことないです!」
いつの間にか観覧車が頂点を超えて降下している。
ゆっくりと降りていくその感覚に私の気持ちは逸る。
「なんでそんな自分を罰するんですか……? 私はもう気にしてないんです。燕ちゃんの気持ちも分かります。私でもそうすると思います」
「でもその子を好きになったから、じゃあ一緒にいようとはなれない。私が私を許せない。きっとこんな私に都合のいい状況を許せない」
「なんでそんなこと……」
こちらの目を見ずに、ずっと俯いて膝の上で拳に力を入れて何かを堪えている燕ちゃんに私は何を言ったらいいか分からない。
なんて言葉をかけたら彼女は自分を許せるのだろう。
涙腺が熱くなって、どこかへ行ってしまいそうで寂しくて、どうにも出来ないやりきれなさに胸を締め付けられる。
「嫌です……嫌です。燕ちゃんと別れたくない。ずっと楽しかったのに。寂しくなくて、温かくて、どんなに邪険に扱われても私は嬉しくて……」
少しでも考え直して欲しくて思いつく限りの幸せな瞬間を言葉にした。
出会いのこと、ゲームセンターで遊んだこと。
どれもこれもが私にとって刺激的で、自分だけが感じ取れる楽しさで、誰かに与えられたものじゃない喜びで……。
なのに一言一言、本当に好きなんだってことを伝えようとすると、その度に燕ちゃんは苦しそうな顔をする。
観覧車の中で隣り合ってるのに、心では決定的な距離があることを感じているようだった。
そして、ハァと息を吐くと燕ちゃんは付けているネックレスを外して、私の首につけた。
「これあげる……あなたが持ってて」
「これ……燕ちゃんのお父さんの」
「うん。私の1番大切なもの。これで本当に終わりにしよう。私の初恋も、1番大切なものも全部あなたにあげる。それが私の罰」
「……貰えません」
「じゃあ宿題勝負のお願いに追加。私からこれをもらって離れて」
生きるための指標を失うことが、傷つけたあなたへの贖罪だから。
そう言って切なげに笑って見せた燕ちゃん目からは一筋の涙が溢れていた。
「ここから出たら恋人のフリも終わり。なんとなく名前は知ってる学校の先輩後輩になる」
「いや、あっ! ダ、ダメです! 暴力の件、許しませんよ私! だから――――」
けれどそのことを口に出そうとしても、先回りされてしまう。
「許さなくていい、許してほしいなんて思わない」
「それでも……」
「これは罰じゃない、贖罪にならない。だって……こうしていることが幸せに感じちゃってるから」
ただポツリと言いこぼす燕ちゃんに私は言葉を返せない
自罰的で、こうと決めたら真っ直ぐ進んでしまう愚かしくも素直な燕ちゃんを、私はどう肯定していいか分からない。
外の景色が大きくなる。
観覧車が回り切る。引き止める時間がない。
「好きって言ってもらえて嬉しかった……」
ポツリポツリと呟く言葉は本音そのものだってこちらに伝わる。
「けどさ、私……どこで間違えちゃったのかな」
……間違えてない。少なくとも私はそう言いたい。
間違えたのは私のお父さんなんだ。
燕ちゃんの家族を壊したお父さんが悪い。
けれど一度その話は終わってる。
苦しんで、きっと忘れたいであろう燕ちゃんに、私のお父さんの話をするのは酷すぎる。
その復讐として私を殴ったり蹴ったりしたことを、世間は燕ちゃんを悪いと言うかもしれないけど、私は理解出来たから理不尽とも許せないとも思わない。
悪くない悪くないと叫んであげたい。
でも心はドンドン距離を取っていく。
観覧車が地面に近づくたびに離れるのを感じる。
「なんで苦しい方向に行っちゃうんですか」
「それが罰だから……」
最後にふと、燕ちゃんは外を見た。
「もう終わりだね……うん、これで終わり……なんだよ……終わらなきゃ……」
何度も自分に言い聞かせるように、唇を振るわせながら燕ちゃんが呟く。
まるでお別れをしたくないと言うように、何度も。
すると無機質に動いていた観覧車のドアが開いた。
「お疲れ様でしたー、ここ……から気をつけて降りてくださいね」
目を腫らした燕ちゃんを見て一瞬言葉を詰まらせるものの、笑顔でプロの仕事に戻る係員さんを見ながら私たちは観覧車を降りた。
燃えるような茜空に背中を焼かれて、私はもう何も言えなくなってしまった。
「……行こう」
よそゆきの表情に私は頷くしか出来ず、その帰り道は一回も目が合うことがなかった。
一足一足、泥にハマったように足取りが重くなる。
それはきっと……見る限りだと燕ちゃんも同じで、お互いに苦しい帰り道だったのだろう。
夜の入り口にさしかかっていても空気に残る熱はまだ温かい。
そんな夏休みの終わりの出来事だった。




