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密季と帰路につき、時々立ち止まって2人で花火を眺めた。
黒い空を背に遠くで咲く花火なのに、音も光も私に焼きつくほどの綺麗と激しさで、きっと会場で見てる人たちはもっとロマンチックな気分にでもなっているだろう。
「燕ちゃん、好きです」
ただそれよりも強く焼きつく一言が私の耳に花火の爆ぜる音より早く届く。
破裂音に紛れることなく密季の隙間風のような囁き声。
「それは会場でやるものだよ」
「聞こえてました?」
私は答える気にならずまた歩き始める。
いや正確にはどう答えたら良いか分からなかった。
結局「好き」というのは真実なのだろうか。
一応今は贖罪として恋人を演じているわけだけど、結局それが分からない。
密季には私を好きになる理由がない。
なのに真実味を持たせながらそんなことを言う彼女に心を乱される。
なぜ執拗に私に伝えるんだろう
沸々と答えの分からない疑問が湧き上がり、1日の最後に花火を眺めながら密季を駅まで送る。
「聞こえてたならよかったです」
「……性格悪いね」
「燕ちゃんにはそう見えるだけですよ」
そうかな。そうかも。
彼女の楽しそうに笑う顔はきっと出会った時と変わってない。
けれど、その笑顔の見え方は出会った時の私と今の私とでは全然違う。
だからそんな密季の笑顔や思わせぶりな仕草が、今の私にはとても意地が悪く見えている。
それはきっと私が傘折密季を知らないから。
知りたい。知りたい。胸の奥からそうやって衝動が登ってくる。
「ねぇみつ……傘折」
「なんですか?」
「花火、やらない?」
だから……だから今度は自分から彼女の手を引いて距離を縮めようと歩み出した。
△
自宅アパートのそばにある公園で花火をやろうと提案して、コンビニで蝋燭とライター、特設コーナーにあった線香花火を買った。
ここからでも河川敷の打ち上げ花火は綺麗に見え、空から降る花火の炸裂音や破裂音、気持ちのいい音を聞きながら2人で線香花火に火をつける。
「線香花火でよかったの?」
「線香花火が一番好きなんです」
形や音を変えて光る線香花火を楽しそうに見つめて密季は笑みを浮かべる。
「なんで? なんで線香花火が好きなの?」
「そんな私のこと知りたいんですか?」
またふふっと息を漏らして笑った。
チラチラと花火の揺れに気をつけながら彼女の顔を見る。
「うん、知りたい」
私は普段持たせないようにしている真剣味を言葉に滲ませると、それを察した密季も花火を見つめながらゆっくり口を開いた。
「……線香花火は自分が好きなものだからです」
……好きな理由を聞いてるんだけど。
そう言おうとしたら、密季も察したようで一瞬だけこちらを見つめて笑う。
そして彼女は線香花火に見つめ直すけれど、その視線は弾ける光の玉を見るというよりもっと遠くを見てるようだった。
「お母さんやお父さんに与えられたものじゃない、好きなものなんです」
お父さん。
傘折さん。と父が呼んでいたあの男。
一度だけ会って会話をしたあの男。
私の持っている線香花火がその言葉を聞いて一瞬震える。
「どういうこと」
「お父さんもお母さんも、私のこと好きじゃないんです。いや、きっと愛してくれてはいるんですけど」
両親は娘という枠組みにいる人間を愛しているだけで、傘折密季を愛していない。
密季はそう言い直した。
「私は自分で選びたいんです。好きなものも、嫌いなものも」
初めて彼女の中にある言葉をフィルターなしで聞いている気がした。
これは私が好きだという建前とか、そんなものの一切を除いた本音だと分かる。
「音楽をやりたいと言ったらお父さんはヴァイオリンを買ってくれました。私はピアノを習いたかったけれど、そっちのほうが上品だからって説得されました」
それでもお願いを聞いてもらえることなら幸せじゃないかと私は思ったけれど、密季の顔を見ればそんなことはないのだと伝わりはする。
「私は青色が好きです。黄色は……両親が好きな色です。今日は浴衣を着てきたかったんですけど、先にお母さんが黄色の浴衣を買っていたようなのでやめました」
密季は残念そうな顔で、悲しさを声に溶かしこんで、ポツリとつぶやく。
私はそれを聞いて、先ほどの考えを即座に改めた。
その一言で私にもなんとなく経験がある子供の抱える窮屈さを感じ取ったから。
親が子供の意思を無視して先回りする感覚。
事の大小はあれ同じような経験があるけれど、きっと隣にいる彼女は今もそんな状況に置かれている。
それに銀行員の父ならお金もあるだろう。
より先回りする範囲は広いはずだ。
「線香花火も?」
「はい、線香花火は地味で楽しくないでしょって言われたことがあるんです」
きっと両親は私が線香花火が好きだって知らないですよ。
なんて笑って見せた彼女の線香花火はチリチリと音を立て始める。
そんな過去を空気中に投げ捨てるように言う彼女の手元はそれでもブレることはなかった。
「けど、線香花火って趣があって楽しいんです。だから田舎に引っ越した時はこっそり1人でやったりしました。深夜に家を抜け出して線香花火をやるのは楽しかったな」
そうやって切なげに花火を見下ろす彼女に、私は見覚えがあった。
入学式を終えて、私は「傘折密季」を探すため彼女の教室に向かった。
周囲が固まって話をする中、キョロキョロと周りを見てまた俯き直す女子生徒。
私はその姿を見た時「ラッキーだ」と思った。誰にも興味を持たれてないなら、私が1番信頼できる相手になれると思った。
そしてそれを裏切れば彼女は絶望するんだと、足取りが軽くなった。
引っ越しが多く、定住することがあまりなかったから友達が出来なかった女の子。
だからか……。
「友達になってくれて嬉しい」
「友達になろうとしてくれて嬉しい」
傘折密季は私に何度も言っていた。
そんな喜びを私は裏切った。
それを改めて認識した瞬間、私の胸の中は見えない有刺鉄線で強く締め付けられた。
罪悪感と後悔で、自分を包丁で切りつけたいほどの自己嫌悪が心の底から湧き出した。
「そう……なんだ……」
「だから私が好きなものは私が選ぶし、燕ちゃんも私を選んでくれたから嬉しかったです」
そんなんじゃない。
あいつを地獄に落とすための存在で、私のそれも『傘折の娘』というカテゴリで見ていたにすぎない。
背骨の奥が熱く、私を焼き焦がす。
「お父さんもお母さんも私自身を見てくれなかったけど、燕ちゃんは私自身に価値を感じてくれた。それがたとえ復讐の道具でも私は嬉しかったんです」
さらにそう笑う密季。
苦しく息すらもままならなくなりそうで、私は何に苦しめられてるのかも分からなくなる。
ただの罪悪感じゃない。それだけならまだ抱えられる。
でもそれ以上の何かが、私の心の中で沸々と湧き上がっていて結論がつかず、言語にできない感情に心が焼かれていく。
パチリパチリと音を立てて光る鉛玉はクライマックスを迎えて大きく爆ぜる。
そして密季は私の耳元で囁いた。
「今でも私は燕ちゃんが好きです。本気です」
意味も、願いも、力も、感情全てが乗った視線がこちらを掴んだ。
その真剣味に解像度が伴い、それが心からの言葉なのだと理解できてしまう。
私は目を合わせられず俯く。
2人の持つ線香花火はまだ大きく膨らみ光の枝を伸ばしている。
河川敷の大きな花火の炸裂した音に混じって、耳元で「好き」と言われた瞬間に私の全身の血が沸騰する。
神経に電気が通うような痺れに襲われた。
何キロも走れてしまえそうなくらい、突き動かされるような感情を全身で押さえつける。
そして、私は今までずっと溜め込んでいた感情の名前を理解した。
偽装カップルとして、彼女を知るたびに罪悪感と一緒に湧いていたあの感情。
湧いたと思えばどこかに消えている感情。
密季の言葉や表情によって私の中で生まれて、名前をもらえず沈んでいく感情。
その感情の名前、その感情の表すものは。
「密季のことが好きなんだ……私は……」
もう一発。河川敷の花火の炸裂音が聞こえた瞬間、私の胸からも零れるように言葉が飛び出した。
「……えっ? なんて言いました? すいません、花火で」
音に置き去りにされた花火の光で橙色に照らされた密季。
彼女が花火より眩しく見えた。
「燕ちゃん? ごめんなさい、もう一度お願いします」
けれど、もう言えない。
花火の光と音のような時間差で何を言ったかを私も遅れて理解したから。
「いや! な、なんでもない……あっ」
「落ちちゃいましたね」
私の持っていた線香花火の光がポトリと地面に落ちる。
密季はそれを見てまた息を漏らすように笑う。
彼女の線香花火の光の玉はまだパチパチと祝福のような音を鳴らしている。
「好きっていうのが本音だってわかって……びっくりしました?」
ビックリしたよ。私も同じだって気付いて。
ただ、私は声が出なかった。
密季のふふっと吹き出すような照れ笑いにどういう言葉を返すべきか、瀬波燕と傘折密季の関係で適切なものが思い浮かばなかった。
気づく前の私だったらどういう反応をしただろう。
怪訝な反応をすると思う。本当に?
こんな嬉しいことなのに、そんな反応ができるものなのだろうか。
「今まで伝わってるか分からなかったですけど、今ので本心だって伝わったならよかったです」
伝わった。
それはきっと嬉しいことで、自分も同じ気持ちだと気付かされた。
密季の気持ちに応えるだけの感情は、いつの間にか自分の中に芽生え育っている。
しかしながらそれと同時に、私は自分のことがこの世の何よりも許せなくなった。
————戦争よりも、差別よりも、私は瀬波燕という小さい人間が嫌いだ。
「あっ……終わりましたね」
彼女の線香花火は落ちることなくシューっと音を立てて火が消える。
私も消えてしまいたい。
彼女の愛した線香花火のように。
どれだけ彼女を傷つけてきたか、こんな孤独で無垢で優しい女の子を一方的な理由で貶めてきたか。
それが私に返ってくる。
首を絞めたきっかけを思い出した。
「羨ましい」
お父さんがプレゼントにくれたネックレス。
あの言葉も、自分を見てもらえなかった密季なら思って当然だ。
この子はそういったものを貰えず、ただ娘という立場の存在で家庭でも1人きりだったんだ。
父がいなくなった灰色の孤独を、もしかしたら密季も味わっていたのかも。
そんな子を私が痛めつけていた。
セメントのようなカチカチの罪悪感で脳内を塗り固められ、身動きが取れなくなる。
私は全てが傲慢で、自分勝手で、簡単な言葉で言えば人間性が終わってる。
人間じゃなければ何も感じずに傘折のそばにいれたんだろう。
けど残念ながら、私は人間だった。




