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結局宿題についてはそこまで進まず、傘折が来たことにより少し早めの昼食を取ることになった。
傘折謹製の焼きうどんに舌鼓を打つ。日に日に料理は上手くなっている。
「美味しかったね! そりゃあ燕も健康になるわけだ」
「由希……さっきから誰目線なの」
「いやいや、でも傘折さんのおかげよ? 感謝した方がいいわ」
由希に呆れていると、香織も行儀良く箸をおいてこちらを見つめる。
「ほら、ありがとうっていいな!」
「……ありがとう」
強いられて感謝するのは少し不服だったけれど、実際ありがたい。
だから言葉に詰まりながら、私は伝えた。
「……っ! いえ、好きな人に元気になってもらいたいですから」
すると一瞬だけ顔に力が入って喜びを噛み締めた傘折は、まっすぐな瞳でこちらを見つめる
その視線が妙にゾワゾワして私は目を逸らす。
なんでこんなに、曇りのない瞳を私なんかに向けられるんだ。
「ほら、好きだってさ」
「答えてあげなさいな」
目の前の2人も煽るようにこちらを見ている。
「っ! あー、はいはい。私もす……」
ただ、言葉に詰まった。
今までも2人に何度か言わされる流れになって「好きだ」と言ってことがある。
吐き捨てるように「好きだ」と言って「照れ隠し?」なんて由希から煽られるのがいつもの流れ。
だから人前でそういうことを言うのは、もう演技として受け入れてる部分があったはず。
だけど、今は「好き」という言葉を形にすることに抵抗がある。
傘折の目の前だから?
いや違う。
形にしたら……何かが変わってしまう気がしたからだ。
「ほら燕!」
「い、言わない」
顔を背けてもうお腹がいっぱいなのにうどんを口に運んだ。
「えー?」
「言ってあげればいいのに」
傘折の顔は見れなかった。
夏休みに入ってプールで遊んだり、たまに家に来れば宿題の面倒を見たりしていたが、彼女の表情は私の心を奥底から攪拌する。
悪い感情で嫌な気分になるわけじゃない。むしろ穏やかで心地良いんだ。
けど彼女の表情によってこちらの感情がいい方向に作用していることへの不安が募り、モヤモヤと積み重なっている。
自信満々に答えたテスト問題で、真ん中の選択肢が連続した時のような確証のない不安に支配される。
何を正しく受け取ったらいいのか分からなくて、自分の挙動によって彼女が喜んでいるのか悲しんでいるのか。
そしてそれを見ることによって、自分がどんな気分になるのか。
それを知るのが怖い。
傘折の前では冗談でも「好き」と言葉にできない。
それで彼女が悲しんでいたら、きっと今までの私だったら「ざまあみろ」とでも思っていた。
私の中の認識ではそれが私の心の正常な動きなはず。
ただ彼女が悲しんでいて「ごめん」という気持ちが強まったらどうだろう。
私は傘折が友人を作るまで、人間関係を構築する練習として付き合ってるだけ。
これは私の贖罪で、もう傘折に対して強い感情を持っているわけでない。
なのに自分の預かり知らぬところで心が変化していくことが怖くて、胸の奥がズキズキと痛む……。
今「好き」と言えなかったことで彼女がどんな顔をしているのかを見るのが怖かった。
「別にいいんですよ。私は燕ちゃんといれて幸せなので」
心がざわつく、加速する。
寂しそうに言わないでほしい。
いつものように無遠慮に、こちらの都合を無視してそう言えばいいのに、なんで今回はそんな寂しそうな声で言うんだ。
自分の中で抱くはずのないものが生まれては消えていく。
言語化できない何かが、使ってないアプリのキャッシュファイルのように積み重なる。
もうそれは消せないほど多くて、自分自身をリセットして再起動しないと新たに始められない気がする。
アプリなら消せばいいけど、心のそれは簡単には消せない。
だからもうこれ以上……訳の分からない感覚に支配されたくない。
自分の中で定義づけられない感情をこれ以上溜めたくない。
「あっ! 分かった。じゃあさ、勝負しようよ燕!」
大きな声でそう言って、割り箸を勢いよく置き由希は私の目を見つめる。
「勝負?」
「宿題、まだ残ってるのあるでしょ?」
「数学は少しだけ残ってるけど」
「じゃあその中の問題をどっちが速く終わらせるかの勝負! あたしが勝ったら好きって言ってあげて」
「はぁ?」
ついつい私も声をあげてしまう。
その提案を聞いた傘折は戸惑ってるし、香織は目を丸くしてる。
「舞浜先輩……?」
「いいわね……私が審判やるわ」
「香織も何言って……」
言葉を最後まで続けるのをやめた。
もうこの2人がセットになると何言ってもダメだ。多数決的にも勝てない。
「……もういい、分かった。でも私が勝ったら傘折が私の命令をどんなものでもひとつだけ聞いて」
私は付け加える。正直、それくらいしないと割に合わない。
由希自身も黎明の入試に合格してるわけだし頭は決して悪くない。
速解きなら普通に負ける可能性がある。
「勝負関係なくお願いしてくれれば別に聞きますよ?」
「うるさい。嫌がるやつにするから」
「いかがわしいこと頼む気? うわぁ燕ちゃん大胆……痛い! いだだ……っ!」
由希がヘラヘラと指を差してきたから、その指を掴んで逆方向に軽く曲げた。
「茶化さないで」
「まぁいいんじゃない? その代わり燕も心を込めて『愛してる』って言うのよ」
自分の唇に人差し指を当てて香織は上品に笑う。
と言うか『好き』から『愛してる』に変わってるんだけど。
同じアイラブユーでも重みが違うでしょ。
心の中で抗議する。
「おっけーじゃあ早速やろ! 傘折ちゃんありがと。美味しかった!」
「あっはい。口にあったみたいでよかったです。片付けますね」
すると傘折はスタスタと大皿と取り皿を片付ける。
その光景はもう日常の一部かのようで、私はまた何かを急かされる気分になる。
「さて、やろう。この大問にしよ」
そしてペラペラと数学のワークブックをめくってシャーペンで差し示した。
「図形……」
苦手じゃないけど好きじゃない分野……。
由希はそれを分かって選んでる気がする。
「これにしよ。図形なら私得意だし、燕のお願いのが強いからハンデ」
「……いいよ。この大問を速く解いた方が勝ちね」
「じゃあ終わったら私が確認して、間違えたところは解き直しね」
「「分かった」」
「じゃあよーい、はい」
香織の掛け声で一斉に問題に向き合った。
△
勝負は割とあっさりついた。
圧倒的に速く解いたのは由希だったけれど、途中式のズレを見落としたのか解き直し。
1つズレたことでその後の問題までもやり直しになり、手間取っている隙に解いた私の方が正確で速かった。
「はい、私の勝ち」
「くっそー」
「途中でズレなければ勝ってたのになー」
「ズレに気付かなかった由希の負けね」
「えー」
力なく突っ伏す由希の頭を香織は整えるように撫でる。
「あれ? どうなったんですか?」
カチャリという食器を洗う音が止まると共に、タイミングよく傘折が扉を開けて言う。
「燕の勝ちよ」
「えっ、そうなんですか」
「燕の言うこと、聞いてあげてね」
「はい、分かりました。なにすればいいですか?」
彼女は私の隣に正座してこちらを覗き込む。
エアコンの届かないキッチンで少し汗ばんだ顔が、視界を埋めつくす。
妙に整っている男子ウケの良さそうな顔になぜか私の鼓動はまた速まる。
「……また、命令があったら言う」
「分かりました」
やりにくい。なんでだろう。
顔を背けてなんとか外面だけでも整えようとするも、妙に落ち着かない。
なんかおかしい。
「……何見てんの」
ただそんな様子を他の2人は眺めてニヤついている。
「いや?」
「仲良いねって思ったのよ」
「別に仲良くは……」
ない。とは言えない。客観的事実。
付き合ってるフリとはいえ、もう険悪とはいえない。
とはいえ傘折がグイグイくるから、普段使わない脳みそや感情の一部を動員されていて落ち着かない。
脳が汗をかいてる気分だ
「えー付き合ってるのに仲良くないのー? 嘘だー?」
「仲良いですよね? この前も出かけましたし」
「……うるさい」
確認をするな。
今の私は傘折に対して、どう接したらいいか分からないんだから。
自分の中の感情を定義づけられていないのに、傘折の押し付けで「恋だ」なんて思い込みをしてしまったらどうする。
「ほら、残りの宿題。さっさと終わらせよう」
「はーい。あっ、傘折ちゃんはどうする?」
残って話す? なんて由希が言うと傘折はなにか申し訳なさそうに体をもじもじとさせて、持っていたエコバッグからノートを取り出す。
「本当は私も今日……教えてもらおうかなって……」
なるほど……そういう魂胆で来てたのか。
ふぅと息を吐いて、私は広げた教材をズラしてスペースを作る。
「いいよ別に。分かることならだけど」
パッと星が爆けるみたいな笑顔を見せたと思えば、傘折はグイと私の隣に詰めて座った。
「ふふーん、燕ちゃーん♪」
「近くて暑いんだけど……まぁエアコンがあるしいっか」




