13-2 前夜
「木戸くん、どう……」
研究室のテーブルに並ぶサンプルの山を前に、西乗寺主任が俺達チームを見回した。北インド、南インドそれぞれのルーに、いろいろなバランスで味変袋を追加した、大量のサンプルだ。
十二月二十三日。社内コンペを翌日に控え、俺達は、最後の調整と確認に追われていた。
「そうですね……」
岸田も菜々美ちゃんも結菜も、期待に満ち満ちた瞳で俺を見つめている。
「完成と言っていいんじゃないでしょうか。味はまとまっています」
「っしゃーっ!」
岸田が飛び上がった。
「アプリの娘の誘いを無視してガンガン研究した甲斐があったわ」
「おめでとうございます。木戸さん」
菜々美ちゃんに手を取られた。
「あたし……」
うっすら、目に涙が浮かんでいる。
「この経験忘れません。絶対に」
「木戸お兄……さん、やったね」
結菜も喜んでいる。
「あたし、北インドに南の添付袋ふたつとも入れたのが好き」
もう自分の好み決まってるのか。
「贅沢言うなら、そこに南インドの海老だけ追加する」
いやマジ、そりゃ贅沢すぎだろ。
「さて」
ぱんぱんと、西乗寺主任が手を叩いた。
「感激に浸ってる時間はないわよ。明日の準備しないと。私達は傍流の末席だから、発表順は最後。ラス前にハムチームが発表して、ほぼ決まりの空気になる。その後だよ。役員だって疲れてる時間帯だし、本命終わってもうどうでも良くなった頃のプレゼンだから、すごく不利。だから念には念を入れて準備しましょう」
「はい」
「じゃあ、岸田くんは、役員に出すサンプルの準備。各カレーの素の奴。それに添付袋をいろいろな組み合わせで入れた、バリエーションサンプル」
「わかりました、主任」
岸田が立ち上がった。
「菜々美ちゃんと結菜ちゃんは、岸田くんの手伝い。木戸くんは、資料の仕上げと印刷、パワポ準備。私は、各コンビニの調達部とインド大使館に企画の再確認入れてから、発表原稿を準備する。いい。気合い入れてよ」
「はい」
「任せて下さい」
「頑張りますっ!」
各人、早回しのように動き始めた。
●
「お兄、明日楽しみだねー。コンペ」
俺のボロアパート。晩飯の割引弁当を食べながら、結菜は楽しそうだった。
「ここ数か月、かかりっきりだったもんな。カレー開発」
「お兄、ときどきうなされてたもんね」
「そうなのか」
初耳だ。
「カレー……カレー」
瞳を細め、低い声で首を振る。
「なんだその声色」
「お兄のうわ言……てか寝言」
「マジか」
「マジ、マジ」
そんなん知らんかったわ。まあ自分の寝言なんかわかるわけないか。
「泣いても笑っても、明日で決まるなー。……まあ俺達の提案が勝てるとは思えんけど」
「勝てるよ」
ご飯をもぐもぐしながら、結菜が頷いた。
「だって、あんなに頑張ったんだし」
「頑張りと結果は別だからなー。冷静に考えてみれば、日東ハムにとって重要なのは、やはりハムかソーセージの新製品だし。そっちが選ばれるだろ」
「負け犬根性じゃダメだよ」
「それ、主任にも言われたな」
「お兄だって、自信はあるんでしょ」
「出来で言うなら、ハムチームに勝てる自信はある。連中がなに出してこようがな」
「その意気で頑張ろうよ」
「そうだな」
手を伸ばして、頭を撫でてやる。
「結菜、いつもありがとうな。俺を元気づけてくれて」
「もうっ。髪が乱れた」
なんか怒ってるな。
「お兄ったら、いっつも結菜のこと子供扱いする」
するしかないだろ。大人扱いしたら俺、結菜への気持ち、隠せなくなるし。はっきり自覚したからな。俺、お前が好きだって。
「結菜だって俺のこと、よくわかってないだろ」
「お兄のこと……」
箸をくわえたまま天井を見て、結菜はしばらく黙った。
「……たしかにお兄のこと、あたし全然知らなかった。……昔はただ、親戚のイケメンお兄さんくらいにしか思ってなかったし」
「イケメンかよ。それ言いすぎだ」
思わず笑っちゃったよ。言われたことないわ。まあ俺は、贔屓目でよく言ってもフツメンといったところだ。俺を嫌いな奴から見れば、普通に中の下だろう。
「でも、こうして一緒に暮らして、お兄が毎日どう過ごし、仕事でどんなに頑張ってるか、よくわかった」
「そうか」
「うん。……お兄は、頑張り屋さん。そして苦労を表に出さずに、ひとり歯を食いしばって進む人。それに結菜に優しい」
「そうかな」
「そうそう」
唐揚げを摘んだ。
「はあー。なまらおいしい」
「結菜、唐揚げ好きだよな」
「うん。安くておいしくて、こんな最強のおかず、ないっしょ」
「まあ、俺も結菜のこと、いろいろわかったよ」
「へえ。どんな感じ」
興味津々といった様子で、箸を持ったまま、俺の顔を覗き込む。
「結菜はな。まっすぐ明るく生きているようでいて、意外に人に気を遣うところがある」
「そう?」
「ああそうさ。それに明るく振る舞っていても、心の奥深くで傷ついている」
実際、家庭壊れてからも、むりやり元気を装ってるようなとこ、あるからな。
「だから実は内心、自己嫌悪があったりするんだ」
「そうかな……」
真面目な顔になっている。唐揚げを次々食べるのは変わらないが。
「そうさ。……結菜はもっと、自分を解放したほうがいいよ。いつか爆発しちゃうだろ、それだと」
「……お兄、占い師みたい」
くすくす笑っている。
「んじゃあ料金取るか」
「ええーっ」
「唐揚げ一個な」
結菜の唐揚げを瞬時に奪って口に放り込む。
「お兄ったら」
俺の弁当からヒレカツを抜いて自分の弁当箱に収めた。
「これであいこだよ」
「ヒレカツうまいぞ。遠慮するな」
もうひとつ入れてやる。
黙ったまま結菜は、弁当箱に並ぶふたつのヒレカツから俺に、視線を移した。
「……お兄、わざと唐揚げ持ってったんだね。結菜にこれ、くれるために」
「育ち盛りだからな、結菜。もっと食べろ。……あと五か月で学校に戻るんだし。体力付けとかないとな」
実際、春に押しかけてきてから八か月。気のせいか胸も大きくなった感じだし、かわいい系ながら美人系もちょっと顔を出してきた。まだまだ育つな、こいつ。
「ありがと……」
ヒレカツを少し食べると、結菜は箸を置いた。改まって座り直す。
「あたし……。明日のコンペが終わったら、お兄に言うことがある」
「なんだそれ」
見つめると、つと瞳を逸した。
「まだ秘密」
「言えよ。どうせ明日じゃん。一日くらいケチるな」
「その言葉、返すよ。お兄こそ、一日くらい待ってなよ。楽しみにして。……えいっ」
「あっ」
ストロングチューハイ、またしても奪われた。
「それ飲むなって言ってるだろ。お前、いっつも酔っ払うんだから」
「たまにはいいっしょ」
悪びれもせず、にこにこ笑っている。
「はあー。ぶどう味、なまら最高。大人の味」
かなー……。どちらかというと子供っぽい味だと思うが。まあアルコールが入っているという意味では、大人限定ではあるか。
「今晩もベッドで寝ていい?」
「あー……」
考えた。最近、なし崩しに一緒に寝ること増えてるし、まあいいだろ。
「いいよ」
「わあーうれしい」
ニッコニコだ。
「お兄抱き枕、抱き心地いいんだあ、あったかいし。冬には最高っ」
結菜のほうが温かいけどな。いい匂いするし柔らかいし。俺だって、結菜を抱いて寝ると、落ち着くんだ。アレさえ我慢すればってことだけどさ。
「はあー。なんか気持ち良くなってきた」
「もう飲むなよ。お前、飲むと変にエッチなスイッチ入るし」
「ふふっ……。本当は入ってほしいんじゃないの」
「んなーこたない」
「まあ……そういうことにしとくよ、お兄」
自分のお茶を飲むと、微笑んだ。女子高生って面白いな。大人なんだか子供なんだか、わからないところがある。
「さて、ご飯食べよ」
「そうだな、結菜」
●
その晩、約束通り結菜を抱いて寝た。結菜も俺に抱き着いて、幸せそうに見えた。少し酔ってたから、すぐすやすや寝てたよ。
なんか幸せを感じた。こんな日々が続くといいなと思った。結菜とふたり、笑いながら飯食って、風呂上がりの体で抱き合って寝て……。
そうしてひと晩ぐっすり眠り、朝からのコンペに向け気合いを入れ、とっておきの勝負ネクタイを締めて出社したら、研究所が大騒ぎになっていた。
俺と結菜の同棲がバレたんだ。




