第95話 「ミステールへの侮辱」
セロンとマール、プヨルは、あっくんに連れられて、ミステールの元まで行くことになった。向かう途中で、どういうわけか、あっくんは、何も知らないのにミステールの悪口をつらつらと好き勝手言い始めた。セロンは、ミステールお姉ちゃんだっていいところが一杯あるんだよ、と必死に擁護した。プヨルは、ミステールお姉さんにも事情や考えがあって、言動しているんだと思います、と話していた。マールは、自分は知らないことだらけだから、ミステールさんのやることに意見できません、と遠慮がちに答えた。あっくんは、全く聞く耳持たず、今度は、水不足に至るまでの経緯を詳しく訊き始めた。
ミステールは、少し前に会った時と変わらず、街から流れる排管がある、橋近くの平地に座っていた。ミステールによって働かされている作業員の何人かは、丁度昼休憩なのか、保存食や水が積まれたミステールの傍にいた。
セロン達がミステールの元まで来ると、ミステールは振り向き、じっと見据えて待ち構えていた。
「あら、集団でわたくしの元まで来るなんて何用ですかね?」
ミステールは、滑らかに訊いた。声の調子からご機嫌そうである。
「お前に、クレームを言いに来た」
一番先頭に立っているあっくんは、さらりと答える。セロンはもう止めない。
「口を慎みなさい。わたくしの使命にあなた如きが……」
あっくんはミステールを無視した。
「君達は、こいつに何か物申したいことは無いか?」
休憩と取っている作業員達に向かってあっくんは訊いている。作業員達は、怯えたような表情をして首を振っていた。
「わたくしに向かってこいつとは何て……」
あっくんは無視をした。
「バカ珍獣とか、クズとか、何言ってもいいぞ。俺が保証する」
作業員達は、震え上がっていた。
「いい加減にしなさい。わたくしの下僕達は、何一つ不満なんてありません」
「可哀そうに。言いたい文句も何一つ言えないなんて」
あっくんは、わざとなのか、煽るように言った。
「下僕がわたくしに文句なんて言う資格はありません。貴方も同様です。わたくしの崇高な目的を人間如きが、疑念を抱く権利は無いんですよ」
ミステールは、蔑むように顔を上げていた。
「セロン、言ってやれ」
あっくんがいきなり振って来た。
「え!? いや、僕は特に何も……」
セロンは口籠った。
「プヨル、積年の恨みを晴らしてやれ」
あっくんは、今度はプヨルに振った。ミステールは、プヨルをじっと見た。
「そ、そんな、姉に恨みなんて無いですよ。無いです」
プヨルは慌てて、答えた。
「マール、こいつに言いたいことがあるんだろう?」
「……えっと……水不足の問題が……」
ミステールはマールを険しい表情で見据えた。あからさまに不快そうである。マールは途中で言い淀む。
「まったく、お前は面倒な奴だな」
あっくんは、ミステールに触れようと近づきながら言った。
「汚い手で触らないで下さい」
ミステールは後ろに距離をとって、あっくんが触るのをかわした。
「わたくしがおおらかに対応してるからって調子に乗らないこと。いくらセロンの案内役だとしても、ただで済ましません」
ミステールは明らかにイライラしていた。いつもより、トーンが低く、荒々しくなっている。セロンとプヨルは、お互いを見て、たじろいでいる。これ以上、怒らせたら、どんなことになるか……。
ミステールは、必死に怒りを抑えて、平常心を保とうとしていた。
「わたくしにお仕置きされたくなかったら、今すぐにわたくしを侮辱したことを謝……」
「黙れ、無能」
とうとうあっくんは言ってしまった。辺りが、凍り付いたように静かになった。
セロンは思わず目を覆った。プヨルも面食らった表情をしていた。マールは、ピリッとした空気に体が固まっていた。
近くで休憩と取っていた作業員達がその場から離れるように逃げ出した。
ミステールは、震えて、息が過呼吸になっていた。こんなミステールは見たこと無い。あっくんは、言ってはいけないことを言ってしまったらしい。
「……無能? わたくしが無能……?」
やっと出したミステールの声は、重たい声だった。普段のミステールには想像つかない荒れた声である。あっくんを殺してしまうかもしれない。
「そうだ。どうしようもなく無能だ」
そんな危険な状態の姉にも、あっくんは全く動じてなかった。
「……おばば……母にも一度も言われなかった暴言を……わたくしに対する最大の侮辱を貴方は……」
ミステールの声は震えていた。
「気に入らないから、プライドを傷つけられたから、俺を殺すか?」
あっくんはさらに煽っている。セロンは、もう知らないと思った。
ミステールは、手を上げて、あっくんに攻撃しそうな体勢で震えていた。
「……言いなさい」
ミステールの声は、静かで消え入るような声だった。
「ん?」
「言いなさい! わたくしがどうして無能なのか説明しなさい!」
ミステールは、大きな声で怒鳴った。セロンは、ビクっと体が反応した。姉が、こんな大きな声を出せるんだ、と驚いた。
「いいだろう。教えてやるよ」
あっくんは偉そうな言い草だった。ミステールは黙っている。
「お前が強制的に連れて来て、何の説明も無しに、割に合っていない労働をさせられる街の者達は不満が溜まっているみたいだぞ」
「いくら不平不満を感じようと、わたくしの命令の方が正しい。どうせ、無駄なことしかできない者達をわたくしが意味あることに使うのに何がいけないと?」
ミステールは、鋭く言い返した。
「お前が身勝手に街から人を攫ったせいで、街では作業が滞っているらしいぞ」
「無駄な作業が止まったところで、何も誰にも影響はない」
ミステールは毅然とした態度で言い放った。
「お前が安価な水を独占するから、街で作業する人々は水不足で倒れそうだと聞くが?」
「それは余っている水を譲らない者達が悪くて、わたくしには関係ない」
ミステールはぶっきらぼうに言った。
「不足する水を調達するのに、運搬と手続きに手間がかかるらしいぞ」
「わたくしには関係ない。さきから、わたくしが無能だという説明になってない」
ミステールは冷たく吐き捨てた。
「まだ分からないのか?」
「何を?」
ミステールはイライラが増しているようだった。
「お前、気を遣われているんだぞ」
「気を遣われる?」
ミステールは意味が分からないという言い草である。
「不満を持った作業員、街の作業員が不足した問題、水不足、水の調達、これらの話は、お前の弟、セロンとプヨル、そして、まだ子供のマールが言っていた話だ」
ミステールは一瞬、口を紡ぐ。
「それが何だと言うの?」
「この三人は、お前の勝手で起きた問題に対して、何も文句を言わずに解決しようとしていたんだぜ」
「……」
ミステールは、少し動揺した素振りでセロンとプヨルの方を見た。
「なんなら、この三人は、お前のことを擁護して、悪くないと言う」
ミステールは何度も目を瞬きさせて、マールに目を留めた。
「弟と子供がだぞ? 立派な白竜の姉が、その弟と見ず知らずの子供に気を遣われてるんだぞ? わがままな行動の尻ぬぐいをしてるんだぞ? 信じられるか? あり得るか? そんなの情けないだろ。大きな力を持った竜が」
ミステールは取り乱した。
「……黙れ! お前にわたくしの何が分かるのです!?」
「どうしようもない馬鹿姉だと分かる」
「黙りなさい。わたくしは、人間よりも、……お前よりも数百年以上長生きしているのです! 経験も知識も知恵も、美しさも何十倍違うのです!」
ミステールはムキになって、声がかつてないほど荒々しくなり、腕に強く力が入って力んでいた。
「ああ、他にもいたな。竜は、困ったらすぐに生きた年数を誇示するよな。そんな価値観、既に頭打ちしているのに……」
ミステールは、大地を強く叩いた。周辺が激しく地震が起こったように揺れる。後ろの方で道を歩く人々の狼狽えた声が聞えて来た。
「……消えなさい。わたくしの前から消えて、二度とわたくしに顔を見せないで下さい」
ミステールは作業員が作業している荒野の遠くの沼の方に向きなおした。もう話したくも無いと言うような素振りである。
「ああ、そうさせてもらう。正直、お前は、何もしないでいてくれた方が助かるよ」
あっくんは街へ戻るために踵を返した。
「あっくん、酷いよ。お姉ちゃんは……」
セロンは街の方へ帰るあっくんの方を向き、ミステールを擁護しようとした。
「セロン! 行きなさい!」
ミステールは、荒野の奥の沼の方を眺めながら告げた。セロンはそれを聞いて、逆らうことも出来ず、何も言わずに街の方へ帰った。マールとプヨルも気まずそうな素振りで、ついて行く。
「あっくん、どうしてあんなに激しく……、僕はそこまでは……」
道を歩くあっくんの横に並んでセロンは訊いた。
「正しいかどうかなんでどうでもいい。ただ、俺が言ってやりたかっただけだ」
あっくんは、少しだけ思い詰めたような表情だった。セロンはもっと話を聞こうと思ったけど、その表情を見て、黙った。
「昔、あいつに似てる奴がいたんだよ。もっと愚かな奴だったけどな……」
そう続けると、あっくんは、それ以上、何も言わなかった。




