第93話 「街への進出と新しい住居」
セロンは眠たい。もう陽も沈み、部屋に帰らないといけない。だけど、まだ部屋に帰るわけにはいかなかった。採掘者の女の子、マールに一緒について来て欲しいと頼まれ、いつまでかは分からないけど、近くにいる口約束をしているからだ。
マールは、今、街へ繋がる橋を渡るところで、街の手前の監視小屋の前を通り過ぎるところだった。監視小屋の衛兵は、マールを睨みつけて、ずっと目を離さないでいる。しかし、ふくよかな案内役が先頭に立って先導しているため、止められはしなかった。
街の中に入ると、日中ほどの賑わいはないが、通りには人がまだ買い物をしていた。案内役は、マールを連れて、街の入口をすぐに右に曲がり、街の外側の道を歩き始めた。街の一番外側にも建物が列になるように建っていて、その間からは、崖が見えていた。円の形をしたこの街では、何処までいってもその光景が続いていた。
しばらく、黒褐色の建築物に囲まれた道を歩いていると、見覚えのある広場が見えて来た。この街を訪れた初日の日に、見つけた広場で、多くの人が鉱石を扱う作業をしていた場所だ。今は、誰も作業している者はおらず、シーンっと静まり返っている。案内役の人は、その広場を通り過ぎ、背の高く、錆びた長屋の前に止まった。
「貴方が今度、寝泊りする宿舎はここです。早速、中に入りましょう」
ふくよかな案内役の人は、そう告げると軋み音のする錆びた扉を開けて、中に入った。マールも後に続き、セロンは、扉が閉まる前に、中に入り込んだ。
中は広め部屋で、エントランスのようになっていた。案内人は、その奥の目立たない扉を開けた。
「中へどうぞ。首についた黒い枷を外してあげましょう」
マールは、よそよそしい動きで、導かれるように中に入った。セロンは扉が閉まる寸前のところで、滑り込む。スクミ―から借りている魔法の布は、ここでも落ちたただの襤褸切れのように擬態できる。しかし、布の色自体は、土壌のような色であるため、銅で出来た赤褐色の床では、同化できない。なので、出来るだけ目に付かないように、棚の下の影とかにセロンは隠れた。チラッと見えた部屋の様子は、こじんまりとして、工具が沢山、雑に置かれた部屋だった。人の背ほどのサイズの工具もある。
「では、外しましょう。首を下げて動かないでいなさい」
マールは言われるがままに頭を下げて、じっとしていた。案内人は、何か工具のようなものを取り出したかと思うと、マールのうなじ部分にその工具を当てていた。
バシ、パシ、クキ、パランパラン。
高い音が何回か鳴った後、黒い枷は床に落ちて、甲高い金属音を鳴らした。
「はい、これでよし。貴方は、街で歩いても捕まらなくなったわ」
「ありがとうございます」
マールは小さく会釈した。
「ここでの生活を簡単に教えるわね」
案内人は、工具が沢山掛った棚に寄りかかり、傍の工具をいじり始めた。
「ここでの報酬は、一般的な硬貨が与えられるわ。貴方は、その硬貨を街で自由に使っても構わないわよ」
ふくよかな案内人は説明を始めた。
「自由時間は、就業していない時間よ。作業に遅れなければ、いくらでも自由にしてもいいわ。貴方は、また採掘場で働くみたいだから、鐘が鳴る時間を守ればいいわ」
マールは頷く。
「それに、ここでは十日毎に一日、休暇が与えられるんだ。嬉しいだろう?」
「え?……ええ」
マールは戸惑いつつも肯定した。
「あんまり実感湧かないって顔だね。無理もない、いままで休みなんて無かったからね。でも、安心しな。初日は、休暇を与えるようになっているからね。存分に楽しみな」
「休暇ですか……」
マールは眉を顰めて、困ったような仕草をした。そんなマールの表情は気にせずに案内役は続ける。
「最後に、ここでの特別措置だけど、金貨二百枚を支払えば、自由になれるし、さらに上質な環境での労働も出来るようになるわ。全ては貴方しだいね」
マールが案内役の言葉に反応する。
「あの~……、ユートピアに行くにはどうしたらいいですか?」
マールはつかさず聞いた。
「貴方、ユートピアに行きたいの?」
「はい」
「なるほどね。それは、二つ先の話ね。ここでの特別措置の目標を達成すると次は、別のもっと発展した街に行くことになるわ。そこでの目標に到達すれば、ユートピアへの道は開かれるわ」
案内人は淡々と説明した。まるで、ユートピアについては既に知っているような素振りである。
「教えていただき、ありがとうございます」
マールは表情が綻び、丁寧にお礼を言った。
「さて、次は部屋に案内してあげるわ。ついてきなさい」
案内人は工具を台に置いて、部屋を後にした。マールは部屋を出る時にチラッと床を探るような視線を向け、棚からはみ出していた布を見つける。セロンは、遅れないように扉からすり抜けるように出ようとしたが、布が挟まった。
「あっ」
セロンは布を引っ張る。しかし、はずれなかった。これ以上強く引っ張ると破けてしまいそうだ。破いたらスクミ―怒るかな? セロンは少し考えた。
それから一瞬、飛び出して、扉のノブを掴み、引いた。軋んだ音を鳴らして、少し扉が開くと、布を抜き取る。ドンっという音を鳴らして、扉が閉じる。
「ん? 何かしら?」
反対側の細い通路に差し掛かっていた案内役は振り向いた。セロンは、素早くカウンターの物陰に隠れていた。
「上の階の住民が騒いでいるのかしらね。後で、キツく叱っておこうかしら」
そう声を漏らすと細い通路の方に進んで行った。マールも黙って着いて行く。セロンは、忍び足で後を追った。
通路は、細長い廊下になっていて、両側に一定間隔で扉が現れていた。途中、下と上に行く簡素な階段があって、下の方に下っていった。マールが手すりを掴まなければ、転げ落ちそうなくらい急な階段だ。セロンも慎重に音を立てないように擦り下りた。
それから、通路の移動と階段の下るのを二回繰り返して、やっと部屋に辿り着いた。
「ここが貴方の部屋よ。掃除は自分でする。インテリアは自分で揃えることね。そして、これが部屋の鍵よ」
案内役は腰のポケットから小さめの鍵を取り出してマールに手渡した。
「あとは勝手にしな」
「色々とありがとうございます」
マールは深くお辞儀をした。案内役は、元来た道を戻ろうとして、セロンと布越しに目があった。まずい。
「ん、なんだ、誰がこんな場所に小汚い布、捨てたんだ」
案内役がセロンの被った布を拾おうと向かってくる。セロンの持っている巾着袋がモソモソと動いた。このままだったら見つかってしまう。だからといって、動いてもバレる。セロンは硬直したまま何もできなかった。案内役が手で布を掴もうとする。
「あ、それ私のタオルです。落としたのに気づかなかったみたいで」
マールが割って入って来た。
「なんだい? そんな汚いタオル使ってるのかい? 早く買い替えた方が良いわよ」
巾着袋がさらに激しく動いた。案内役は、汚い物に触れたくないというように拾うのを止めて、去ろうとしたが、突然、振り向いた。
「あ、一つ忘れてたわ。明日になったら新しい作業着を支給されるから、その汚いのは捨てなさい」
案内役は、首を振ってあり得ないという仕草をして、去って行った。
コトコトと叩いている音が何処かの部屋から聞こえて来る。天井を通るパイプからはジョボジョボと液が流れる音がしている。建物の住民が一人、腕を鳴らして通り過ぎて行った。
「中に入って」
誰もいないのを確認したマールが扉を開けて中に入るようにセロンに言った。
部屋の中に入り、マールが扉を閉めるとセロンは布をとった。
「付き添ってくれてありがとう。セロンさん」
マールは、笑みを浮かべて感謝を述べる。
「ぼくは何もして無いよ。むしろ見つかりそうなのを助けて貰ったよ」
「いや、私は本当に心細かったから……」
マールは、一つだけある小さな小窓から外を覗き込んだ。部屋は狭く、冷たい銅の壁で囲まれている。他には、備え付けのベッドと壁付け机があるだけだった。セロンは欠伸をした。
「昼間だとここから採掘場が見えるかな?」
「ん?」
セロンは、マールの傍に寄ると、マールは避けてくれたので、セロンは窓の縁にしがみつくようにして眺めた。
「外はすぐ崖になってるんだね」
ほぼ真っ暗だが、街から出ている微かな光で窓の外が深い大穴になっているのが分かった。セロンは、床に着地して、扉の方へ歩いて行く。
「それじゃあ、ぼくはもう帰るね」
半開きの眼でセロンは言った。
「うん、色々と助けてくれてありがとう」
マールは寂しそうに答えた。浮かない顔である。セロンは、ぼんやりとした頭で、マールが明るくなるようなことを言えないか考えた。
「……明日、採掘場に……みんなに会いに行くの?」
「う~ん……どうしようかな……」
「……もし行かないなら、一緒に街を散策しようよ」
マールは驚いた顔をして、その後、ニコッとした。
「うん、それもいいね」
作業員達の宿舎を出て、セロンは、眠たくもさっぱりした気持ちで街を歩いた。何か言うのを忘れているような気がするけど、まあいいや。セロンは、人通りの少なくなった夜道を踊るように歩き、部屋に戻った。
部屋に入るとあっくんがまた出かけようと支度をしているところだった。
「ん……ん? こんな時間から何処かに行くの?」
セロンは、眠たそうにしながら訊いた。
「Pマナリスを探しに行くんだ」
あっくんは、殆ど手ぶらで身軽な装備である。
「……夜も探さないといけないくらい大変なの?」
頭がふわっとしながらセロンは訊いた。
「探知機が使えないんだ」
「探知機?」
「Pマナリスを探すのに探知機を使っていたんだ。闇雲に探さなくて済むからな」
「どうして使えないの?」
「この街の殆どは、銅で出来ているし、目標じゃないマナリスも無数にあるからレーダーが当てにならないんだ」
「手伝う?」
「立ったまま寝そうな奴に言われてもお願いできるわけないし、もう終わりが見えて来たから問題はない」
そうあっさり答えると、あっくんは鍵をして外に出て行った。セロンは、眠たさが限界に達して、意識を失うように眠りについた。




