第91話 「ミステールへの貢ぎ物?」
セロンの目が覚めた時は、もう既にあっくんは部屋にいなかった。セロンは寝坊をしてしまったようだと気づいたのは、部屋から出た後、向かいの方で住人が包み紙を持って、錆びた銅パイプを登っているのを見た時だった。
今日もセロンは、採掘場に行って、子供達の、いや、マールの様子を見たいと思っていた。なので、ランタンを忘れずに詰め込んだ巾着袋を持って、セロンは、部屋を後にした。スクミ―は、巾着袋の中で熟睡中であり、ランタンを詰めて、ガサゴソと激しく動かしても起きる気配は無かった。
早く採掘場へ行きたいと、駆け足で街の通りを駆けていたが、街の入り口付近の通りが込み合っていて、減速せざるおえなくなった。セロンは、何とか合間を縫って街の門まで向かおうとした。
「おい! ちょっと待てよ! そこの白い奴!」
横脇から聞き覚えのある声が怒鳴って来る。この街で白いと言ったら、白竜しか見当たらないので、自分だと悟ったセロンは、振り向いた。ミステール姉さんが従えていた二人組だった。汚泥で汚れた作業服を着ているカルレン族である。
「お前も、あいつの仲間なんだろう!?」
「あいつの仲間?」
セロンは、察しがついたが、訊き返した。
「とぼけんじゃねぇよ。お前も白いへんてこな獣じゃないか」
「白竜だよ!」
セロンは、強く反論した。
「白豚だか、白鹿だか知らねぇが、ぶちのめしてやるよ。面かせや!」
セロンは行き場を塞がれる前に一目散に逃げだした。
「あ! おい、待てや!」
後ろからイライラとした声が聞こえて来るが、無視をして街の入り口の方へ素早く駆けて行った。
崖を跨ぐ橋を渡った後、セロンは、再びミステールお姉さんのいる泥沼を訪れた。ミステールに恨みを持っている作業員に襲われたと言いたいし、どこまで進んでいるのか知りたかった。沼を見たセロンは驚いた。もう既に一つの沼の汚泥が固まった土に変わっていて、他の沼も着実に謎の魔法の粉で固められつつあった。固められた土には、キラキラと光る砂が散りばめられているように見える。
「セロン、どうです? この進展ぶりは。わたくしのおかげで、取るに足らない下僕達が能力以上の成果を上げられるようになったのですよ」
ミステールがご機嫌でセロンに訊いた。
「見違えるくらい変わってるよ。それに臭いも割かしましになっている気がする」
セロンは素直に思ったことを訊いた。汚泥の沼を固めて何になるのか分からなかったけど、進んでいるのは見てわかる。
「そうですよ。こうして固めれば、邪悪な悪臭も防げるんです。ああ、わたくしはなんて偉いのでしょう。自分の身を汚染の危険に晒して、世界を美しく保とうと奮闘しているのですから」
ミステールは全身絶対に晒さないように身体に合う布を着こんでいながら、自画自賛していた。
「全部の泥沼を埋めたらどうするの?」
他にも泥沼が沢山あるが、作業員がさらに増えていて、どうやらひたむきに魔法の粉撒きに励んでいるらしく、そう長くはかからない内に終わる気がした。
「そうですね~……、街の排管から不浄の泥が生成され続けているみたいなので、廃棄施設をぶち壊しましょうか?」
ミステールは当然そうするべきだというような素振りで答えた。セロンは、たじろぐ。
「ぶ、ぶち壊すの? 街の人達が……大変にならない?」
セロンは遠慮しがちに訊いた。
「セロン、あなたは勘違いしていますよ。街の人間達は、むしろわたくしに感謝をしなければいけません。人間どもは思うでしょう……」
ミステールの方に泥沼を渡って三人組の従業員がやってきた。気味が悪い程ににやけ顔である。
「監督!」
従業員の一人がミステールに声をかけた。
「なにさぼっているのですか?」
ミステールの声音は穏やかである。
「いや、監督に献上品がございまして」
従業員のもう一人が言った。セロンは従業員の一人が後ろにバケツを隠しているのに気がついた。
「何ですか?」
「これです」
セロンは、この三人組が何をしようとしているのかが分かった気がした。けれど、ここまでくると成り行きを見守るしかないと考えた。彼らも一生懸命考えたのかもしれないし……。
「早くしなさい。分かっているのですか? 貴方達は……」
完璧な動作だった。ミステールの死角になるように、直前まで三人でバケツを見えないようにして、ミステールに向かって汚泥をぶちまける。普通、これなら反応できない。汚れるのが何よりも嫌悪するミステール姉にとって、相当な屈辱と精神的、身体的ダメージが与えられるはず。
しかし、ミステールは普通ではない。白竜なのである。目の前で大きく飛び散った汚泥はミステールに一切かからなかった。人の目には何が起こったのか分からないくらいの速さである。汚泥は、ミステールに降りかかる合間の宙で綺麗に消えて無くなってしまった。大きい塊から風で飛んで行ってしまう程小さな塊まで、漏れることなく光の魔法で消してしまったのである。
男三人組はまだ何が起こったのか分かっていなかった。あたふたして、バツの悪いように周りを見渡している。ミステールは堂々として表情一つ変えていないように見える。いや、少し前のめりになっている?
「貴方達、それがわたくしへの貢ぎ物ですか……?」
男の一人は空になったバケツを抱えて戸惑っていた。
「えっ? いや、その……」
「では、その中に入っていた汚い泥のことでしょうか?」
ミステールの声音が少し低くなった。セロンは、姉が怒っていると感じ取った。
「こんな仕打ちを受けたのは産まれて初めてですよ。今、怒りを抑えるのに非常に辛抱しています。大事な下僕ですからね……」
そう小言のように呟きながら、傍にある麻布の中をなるべく触らないように開いて何かを取り出そうとしている。男三人組は、身の危険を感知して、出来るだけ遠くに少しでも早く離れられるように逃げだした。今度の三人組は、三方向に別れて逃げようとしていて、最悪一人は犠牲になってもやむなし、といった風だ。
ミステールは、麻布から汚い鎖のようなものを持ち手に布を巻きながら取り出した。
「この長年放置されていた錆び錆の鎖で叩いてあげましょう」
男三人組は誰もミステールの話は聞いておらず、逃げるのに必死だった。
「まぁ! わたくしの話が終わっていないというのに勝手に居なくなるなんて、なんて常識のない人間達なのでしょうか」
ミステールはひと蹴りの踏み込みで一気に一人に追いつくと、鎖を足に絡ませて捕まえ、次々に鎖に巻き付けるように確保していった。
三人並ぶようにミステールの前に立たされる。
「わたくしへの愚行をどれだけ積み重ねる気ですか? 下僕でなければとっくに灰にするか、土の肥料にしているところですよ。分かっていますか? 理解する知能は持ち合わせていますか?」
三人に返事は無く、怯えている様子だった。
「き い て ま す か ?」
ミステールが三人の顔を覗き込むように見ている。明らかに怪訝そうな表情だ。
「き、き、聞いています!!」
男三人組は声を合わせて声を張り上げた。
「……まあ、いいでしょう。所詮、下等種族ですからね。期待しても無意味なことですからね……」
ミステールは、錆びた鎖を無暗に振り始めた。男達は、足が竦み逃げようとする。
「この期に及んでまだ逃げようとしますか? 罰は清く受け入れるべきですよ。でなければ、後悔します」
鎖が振りかざされて男達の大きな悲鳴が辺りに広がった。見ているのも痛々しいくらいに痛めつけられているが、殺す気はないとセロンは理解した。
結局、ミステールのせいで、セロンが街で襲われそうになったというのを言うことは出来なかった。だけど、この調子だと言っても無駄な気がするし、むしろ作業員達が可哀そうな気がしてくるので、セロンは成り行きに任せるようにした。早く採掘場に行きたい気持ちの方が強いのである。
昨日と同じように、スクミ―お手製の魔法の布を被り、採掘者達の広場の魔獣を通り過ぎ、崖際に続く採掘場への道を進み、坑道の中へと入って行った。何処で採掘しているのかは不明だが、子供達の様子を見に来たのである。
柱に掛けられたランタンで薄暗く照らされた坑道を進んでいると前の方から何人かの人がやってきた。手押し車に人を乗せて向かってくる。乗せられた人は、唸り声を上げて苦しんでいた。
「しっかり気を持ちなさい。養生すればよくなるかもしれないんだから」
おばさんが手押し車に乗せられたおじさんを励ましている。
「うう~、ああ、うう~、おお……、うぅぅ……」
乗せられたおじさんは言葉も発せられていない。坑道の奥から監視の人が駆けつけて来た。
「お前達、正直に話せ! 誰がマナリスを仕込んだんだ!?」
「事故よ! 事故! 前につんのめてマナリスを並べていたトレーをひっくり返して、もろに浴びたんだよ! 服の中にもマナリスが入り込んで遠ざけるのも出来なかったんだ!」
おばあさんが監視の威圧に負けず、責め立てている。どうやら、不適合マナリスの誤摂取が起きたらしい。採掘場では起こり得る事故で、注意は必要だと思った。
さらに坑道を進むとドンドンバシバシと暴れている音が聞こえて来る。
「こんな作業やってられっか~! ムカつく。 わしにもつるはしをよこせ! シャッベルでもいい、よこせー!」
おばあさんが暴れていて、同じ班の採掘者が取り押さえようとしている。毎回の如く、採掘場で暴れているおばあさんなのかもしれない。
それからあまり歩かずに聞き覚えのある幼い声を聞きつける。セロンは、やっと見つけたと嬉しくなり、声の元まで急いで向かう。しかし、最初に飛び込んできた光景は何やらいざこざが起きている様子だった。
「どういうことだよ、鉱車を三つ占領するって!! お前達そんなに要らないだろ!」
ツンツン頭の少年が二人のガタイのいい大人に怒鳴っている。他の子供達も集まっているみたいだ。
「いやいや、そもそも君達の方が要らないだろう? 子供じゃ鉱車なんてろくに扱えないんだから」
ガタイのいい大人は意地悪そうに応酬する。両肩から生物の骨のようなものが伸びている。
「下り坂と平坦続きなら使えるんだよ! 早く一つ寄越せよ。三つあっても評価になんも関係ないだろ!」
ツンツン頭の少年が叫ぶ。
「こっちも三台必要なんだよ。早い者勝ちだ。今なら、別の層で余った鉱車があるかもしれないぞ。とって来ればいいじゃないか。へへへ」
肩に棘が生えた大人は、軽くあしらうように言った。
「そんなこと言って、皆で取りに行っている内に、僕たちが掘り出した鉱石を狙うんだろ」
どんぐり頭の男の子が言う。
「そんなペナルティーくらうような真似はしねえよ。俺達はただ親切心で言っているだけだ」
「お前達に親切心なんて感じたこと一度も無いんだけどな」
オールバックのくせ毛の少年が口を挟んだ。
「好きに受け取って構わないぜ。俺達には何にも影響がないしな」
二人組の大人は両手を広げて腰を振っている。かなり憎たらしい。
「分かった。私が一人で残るから、みんなで取りに行ってくれる?」
マールが他の子供達をなだめるように提案した。
「待ってくれ、それだとマールが何されるか心配だ」
ツンツン頭の少年が反対する。
「私は、こういう状況も慣れてるの。対策があるんだから」
マールが問題無いという風に付け加えた。
「それじゃあ、お願いできる?」
どんぐり頭の男の子が訊いた。マールは頷いて、子供たち皆も納得の表情だった。ツンツン頭の男の子だけが何処か納得のいっていない表情を見せていたが、みんなに従った。
「頼りになるぜ」
マールを残して他の子供達は鉱車を取りに坑道の入り口の方へ走って行った。セロンは、マールを助けられるようにその場に残った。二人組の大人は、帰ろうとしない。マールは、採掘された大きめのマナリスを両手で掴んでいた。
「おいおい、子供がそんな危険なものを握りしめてどうするってんだ?」
「俺達にその毒をぶつけようったって、そんなの監視が許さないぜ」
「だけど、触れるのも嫌でしょ?」
マールは強めの口調で二人組に問いただした。二人組の表情は真剣なものである。
少しの間、沈黙が続いた。マールは気を緩めずに二人組から目を離さないでいる。棘肩の大人の一人が突然動き出して、坑道の奥に向かった。マールを無視して、子供達が採掘を途中で放棄している鉱脈に近づいていく。
マールは、その男にも目を配った。大人は、つるはしやシャベルなどの道具を取り始めた。
「ちょっと! その道具持っていく気!? 妨害行為よ!」
「監視とは仲がいいんだ。妨害行為なんて起きなかったことにいくらでもできる」
マールとセロンが採掘道具を拾い上げる男に気を取られている間、鉱石の目の前にいたもう一人が鉱石の一部をかっさらい走り出していた。
セロンがいち早く追い始めて、大人の足を掴んだ。
「は?」
大人はそのまま倒れて、持っていた鉱石を地面に袋ごと投げ出した。後から、マールが追って来る足音が聞こえて来る。セロンは慌てて、魔法の布に隠れて見つからないようにした。
「お前、何をした?」
大人は手足を痛そうにしながら立ち上がった。マールが既に大人の前に着いていた。
「何もしてないよ。勝手にこけたんじゃないの」
マールも不思議そうにしていた。けれど、見覚えのある布が近くの地面に落ちてるのを見つけて、成り行きを理解した。
「おい、どうした兄者。もうできる計画は済んだぜ。帰ろうや」
道具に触れていた大人が遅れて来て言った。
「そうか、だったらずらかるか」
肩に棘を生やした大人二人は、そそくさと坑道の先に消えて行った。
「棘肩ブラザーズ、採掘者達の間で要注意人物として知れ渡ってるんだよ」
マールが突然話し始めた。隠れているセロンは答えるかどうか悩む。
「ねぇ、セロンさんだよね。私達を助けてくれたの」
マールは地面に落ちている布に向かって話しかけた。その中にいるセロンは、もう見つかってると分かったので、大人しく布から顔を出す。
「セロンさん、また来てくれたんだね」
マールは笑顔をセロンに向けて言った。
「君が心配だったから来てみたんだよ」
セロンは素直に答えた。
「私は大丈夫っ、と言っても今、トラブルから助けてくれたのはセロンさんだね」
「このくらい何でもないよ」
セロンは地面に散らばった鉱石を集めながら言った。マールも一緒になって鉱石を集める。
「僕に出来ることがあれば何でも手伝うよ。他の人に見つかるのは許されてないけど」
セロンは全ての集めた鉱石を袋に詰めて、マールに渡した。
「けど…………いや、一つだけ手伝って欲しいことがあるんだけどお願いしてもいい?」
マールは、躊躇いがちに言った。
「お安い御用だよ」
セロンはニコッと微笑みかけた。
「マール! 鉱車持って来たぞ!」
坑道の中をこだまして男の子の声が聞こえて来る。
「もうリュカ達が帰って来たみたいだから手短に教えるね。助けてくれてありがとう」
マールはそう告げると、セロンに頼み事を話した。セロンは魔法の布に隠れて、マールについて子供達が採掘していた場所まで戻る。
「マール、大丈夫か? 何もされなかったか?」
ツンツン頭の男の子がマールの傍にすぐに寄り、気づかわし気に訊いた。
「大丈夫だよ」
マールは何気なく答えた。
「おい、採掘道具が全部折られてるぞ!」
オールバックくせ毛の少年が大きな声を出した。
「え?」
マールは急いで見に行く。
「あ、本当だ。折られてる」
どんぐり頭の男の子が言う。マールも見て驚いていた。
「……また、持ってくればいいんじゃない……」
もっさり傘頭の女の子が呟いた。
「そうだ。道具なら沢山予備もあるし、壊れること多々あるから、採掘作業中に折れたって言えば、納得してもらえるだろう」
ツンツン頭の少年が問題ないという風に言った。
「ごめんね」
マールが一言、呟いた。そうして、水分摂取用のマイボトルに口をつけて、水を飲む。
「ごぼっ」
マールが突然喉を詰まらせたような仕草で苦しみだした。
「マール、大丈夫か!?」
ツンツン頭の少年が直ぐに駆けつける。他の子供達もすぐさま近寄って来た。セロンも身をさらして近寄りそうになるが、踏みとどまる。子供達だけで何とか切り抜けて欲しい。
マールが地面にうずくまって苦しそうにしている。子供達はどうしていいか分からない様子だった。セロンももどかしい気持ちになる。幸いなことに、マールの苦しみは、不思議とすぐに止まった。水を吐いて、何事も無かったかのように顔を上げる。
「マール?」
子供達が窺うように訊いた。
「……私、マナリスに適性があるのかもしれない」
「え?」
子供達はキョトンとした表情をした。




