第83話 「銅と汚泥の街」
馬車での移動中は、セロンにとって貴重な魔法の練習時間だった。『安らぎを渇望する街』から出発して次の街に一日で着くとあっくんは言っていたが、その間、セロンは物質Pを自在に浮かせられるように、練習漬けになっていた。そんな簡単に上達なんてできない、とセロンは悲観していたけれど、自分の心配とは裏腹に、あっさり浮かせられるようになった。
以前は、物質Pを浮かせることが困難だったのを考えると、やはり、Pマナリスを吸収すればするほど、魔法が扱いやすくなっていくようだ。セロンは魔法が上達したのを馬車の車室内で横になっているあっくんに自慢したけど、扱いには注意しろよと戒められるだけだった。今くらい褒めてくれてもいいじゃないかと主張しても、あっくんは、「よくやった」と平板に返すだけだった。
少々口を尖らせながらも、セロンは、辺りの様子に目を向けた。木などの自然は一切生えておらず、荒涼とした大地が地平線まで広がっている。今進んでいる道は、その大地に一筋引かれた一本道だった。かなりの頻度で人々とすれ違う様子から、もう少しで街が近づいているのだろうと予想できる。
次に訪れる街は、なんて名前なんだろうかと、セロンは旅の計画マップを取り出した。
『魔鉱の採掘街』と書かれている。その下には、『屍を食べる街』と書きなぐられていた。採掘街ということは、鉱石の採掘が盛んな街だと想像できるけど、追記された『屍を食べる街』と言うのはよくわからない。セロンは、クルクルと地図を丸め込み、リュックの中にしまいなおした。
セロンは、顔を上げてふうっと息をつくと、皮の水筒でのどを潤した。最後の一滴まで飲み切ってしまい、もう水は残っていない。それなのに、辺りの空気は、どんどんと熱さが増している気がする。このままだと、干からびてしまう。セロンは、まだ街につかないのかと前方の方を眺めるが、上り坂になっているらしく、街の姿は見えなかった。代わりに濁った雲がぷかぷかと浮いている。
セロンは何かするのも怠いので、少し馬車の後ろ縁で横になって、目を瞑った。ガタガタと馬車の車輪の跳ねる振動が伝わってくる。御者が「あ~」と低く息を漏らしているのが聞こえて来た。地面を踏みしめて歩く人の足音と息遣いが、何度も近づいては遠ざかっていく。そんな騒がしい音が耳に入ってくるが、セロンは気にならずに、眠りに落ちていった。
目が覚めたのは、鼻の奥が不快になるような臭いがしてきた頃だった。どれくらい寝ていたのかは分からない。ゆっくり体を起こし、辺りに目を向けてみると、通り過ぎた一帯の地に大きな穴が開いているのが、はるか遠くの方まで至る所に見える。だいぶ離れているのに、下って逆方向に行く人々よりも遥かに大きい。巨大な怪獣が潜んでいるんじゃないかとセロンは思ったが、生き物が顔を覗かせる気配はなかった。
それにしても臭い。腐敗と油と鉄臭さが混じった嫌な臭いが鼻に纏わりついて、げんなりする。
「ねぇ、何でこんなに臭いの?」
車室で壁に寄りかかっているあっくんに、嘆くように訊いた。
「街が近づいているからだな」
あっくんが目線を前方にやって答えるので、セロンも前を見ると、確かに街のような建物群が見えている。セロンは、鼻を手で押さえて、酷い臭いを嗅がないように努めていた。フツフツと薄っすら煙が上がっている泥沼が、あちこちに見えて来た。セロンは、その一つの沼の前に、やけに目立つ存在がいるのを目撃する。その者の辺りだけ煙が退けられ、やけにはっきりとしている。セロンは、馴染みのある雰囲気に目を凝らした。
「ミステールお姉さん?」
セロンは、思い立って呟いた。全身が見えないくらい布を着こんで、靴を履き、手袋までつけていていも、立ち姿でわかる。こんな場所に居るあんな大きな存在は白竜しか思い浮かばないし、スラッとした体つきは、ミステールお姉さんしか考えられない。
「お前の姉か? あれは何やってるんだ?」
あっくんは、訝しげな表情で訊いた。お姉さんと思われる姿は、泥沼の前で座って、眺めているだけだった。
「聞いてみようよ」
馬車を道脇に止め、ミステールの元まで向かった。どう見てもこの場所では浮いているし、変な恰好をしているから不審者に見える。近づいてみても、翼も布の装備で覆うように隠しているため、一見白竜には見えなかった。けど、間違いなくミステール姉さんだと確信が持てた。
「ミステールお姉さん、何やってるの?」
ミステールは、ゆっくりと上品に首をセロンの方に向けた。顔も布で覆って、ゴーグルも付けている徹底ぶりだった。
「まあ! セロン! 遥々(はるばる)こんな汚い地に良く来ましたね」
聞き覚えのある透き通るような声で、ミステールが答えた。
「何してるの?」
「ここの毒沼がどれだけ不潔で、どれだけ世界を汚しているのかを確認しに来たんですよ」
「その恰好は?」
「こんな場所の空気になんて触れたくないですから、着こんでるんです。蒸し暑いですけど、穢れた空気に触れるよりはマシです」
ミステールは相変わらずだとセロンは思った。極度の潔癖症で、自身が汚れるのを最も嫌っていた。白竜の山に居た時も、兄弟ですら触れられるのを嫌がっていた。
「そんなに汚れたくないなら、どうしてこんな場所に来たんだ?」
あっくんが横に来て問いただした。抹茶色のマスクで鼻と口を覆って隠している。常に鼻と口を手で覆っていなきゃ耐えられないセロンは、羨ましいと思った。
「貴方が噂の案内係ですね。名乗りもせず、わたくしにいきなり質問するとは、無礼な人間ですね」
ミステールは、見下すような視線をあっくんに向けて、淡々と答えた。セロンはイメージ通りの姉の対応に仲を取り持つ勇気は持てなかった。
「青葉トウシだ。任務でセロンと各地を旅してる」
あっくんは、ミステールの高圧的な態度に意を介さず、平然と自己紹介した。
「貴方が白竜を導くなんてできるのですかね。わたくしにはとてもそんな風には見えないんですが」
ミステールは、あっくんと友好的に接する気は無いみたいだ。これ以上、衝突させても、何もいい状況にはならないと考え、セロンは話しを変えた。
「沢山積み上がっているその袋は何?」
ミステールの横の方には、無数の麻布の袋が積み上がっていた。中身がパンパンに詰まった袋だが、白っぽい色の袋で、中が何なのかよくわからない。
「穢れを浄化する魔法の粉です。わたくしの誇り高き使命は、この地の穢れを浄化することです。世界の空気を汚すこの街は、わたくしの怒りに触れてしまいました」
ミステールは慈悲を与えるとでも言うように答えた。
「息を吸う事すらままならそうに見えるが?」
あっくんが挑発した。セロンは、非難の視線をあっくんに向けた。せっかく、不穏な空気にならないようにしたのに。
「口を包みしなさい。貴方の右手に付けている腕輪を作動させますよ」
ミステールは高飛車な態度で、言い返す。
「お前はいままで会った白竜の中でも……」
「それじゃあ、お姉ちゃんまたね。浄化頑張ってね」
セロンはあっくんの言葉を遮り、手を引いて、馬車まで戻って行った。ミステールとあっくんの相性は最悪だと思った。
「もうっ。どうして、ミステールお姉さんを挑発しようとするの?」
「元はあいつから始めたことだ。それに、よっぽど汚れたくないのか、敷物まで引いてる奴がこんな汚染された街で何が出来るんだ?」
あっくんはわざとらしく大きな声を上げた。セロンは、ミステールの耳に入ってないか気がかりで、様子を窺った。ミステールは、袋の一つを出来るだけ触らないように開けているところだった。
「ミステールお姉ちゃんが何をする気なのかよくわからないけど、わざわざ煽る必要は無いよ。お姉ちゃんはああいう性格なんだから、言っても直らないよ。それに、僕たちは僕たちのやるべきことをしようよ」
あっくんは、ちらりとミステールの方を見た後、ため息をつき、セロンの説得に従ってくれた。再び、馬車は街の方へ向かって道沿いに動き出した。道行く人は、ミステールの存在にチラリと目を向けるが、すぐに興味が無さそうに視線を戻している。
道の向こう側に街の姿がはっきりと見えて来た。街を囲む外壁はなかった。建物がごちゃごちゃと三角の山のようになっている。セロンは、観光するのが楽しみで、ワクワクが止まらなかった。
街の入り口近くまでくると、異様な作りになっているのがわかり、セロンは「お~」と声を漏らした。街の周りは巨人がくり抜いたみたいに深い崖になっていた。その崖を越えるように街へ向かう道には、大きく長い橋が一本かかっている。橋には、商人やら旅人などが往来していて、これまで訪れた街よりずっと開放的に感じられた。
橋の手前には、小さな小屋があり、その中で守衛が睨みを利かせていた。特に、誰かを止める素振りを見せる訳ではないが、獲物を常に狙っているように見えた。
監視小屋の前を難なく通り過ぎ、馬車が橋の上に差し掛かると、崖の底の深さがひしひしと身に伝わって来た。底が見えない程深い。崖そのものは広い分、底が暗いというわけではないが、白く深い霧が立ち込めていて、何処まで続いているのか分からない。
橋の上では、風も不安定に強くなっていた。どうやって橋を掛けたのか想像できないくらい長い橋。深い崖の上にポツンとあるので、谷風が橋を横切るように吹いて来るのである。セロンは、風に攫われたら崖の底に吸い込まれそうで、尻尾を震わせた。
ついに、街の入り口に到着した。セロンは、街の異質な光景に心奪われていた。建物がデタラメに積み重なっている。どう繋がっているのかも、どやってドアに到達するのかも見当つかない。建物は全て銅で出来ているらしく、何処を見ても赤茶色だった。通りは、ざわざわと人の声が入り乱れている。その声にコーラスするように、カンカンと金属音が響いている。上の方には、黒い線が複雑に交差していて、蜘蛛の巣みたいだった。街は、活気に包まれている。
馬車が街の中に飛び込むと、入り口わきに誘導された。
「大型の乗り物はここまでだよ。近くに、停めておく所があるから、そちらに向かいな」
御者は、そのおじさんの言葉に従い、停留所に向かうことになった。セロン達は、荷物を持ち降りなければいけなかったが、セロンは顔を顰めて躊躇した。
「何、このネバッとした黒い液体……」
セロンが降りようとしている街の床には、黒くドロッとした液が広がっていた。よくよく見ると、街の道や壁、至る所にその汚い液がへばりついている。
「外の沼に溜まっていた汚泥と同じものだな」
あっくんが馬車から降りて、答えた。平気そうにべちゃっと音を立てて着地していた。あっくんが、長めで丈夫そうな皮の靴を履いているのに目が留まった。セロンは裸足である。とても、得体のしれない黒い液に足をつける気にはなれない。
「こんな汚い地面に足なんてつけたくないよ」
「なんだ? 今まで素足だったくせに今更、そんなこと気にするのか?」
「許容できる汚れにも限度があるでしょ」
降りないと何も始まらないのに、セロンは動くことが出来なかった。あっくんが、ため息をついて、手を貸してくれる。
「抱えて運んでやる。手頃な靴でも見つけるぞ」
「抱っこしてくれるの?」
「じゃないといつまでもそうしてるんだろう?」
セロンは荷物ごと抱きかかえられた。いま思えば、あっくんに抱かれたのは初めてかもしれない。もう子供じゃないのに、抱っこされるなんて、何だか恥ずかしい気持ちになる。
セロンは出来るだけ見られないように顔を伏せて運ばれるがままに、運ばれて行った。
着いたのは、立ち並ぶ店の一角の道具屋さんで、この街で生活するのに便利なものを数多く揃えてあった。そこで、セロンは、ソリザ―族用の安全靴と口と鼻を覆うための布をあっくんに買ってもらい、やっと地面を歩けるようになった。店内を歩いてみて、歩き心地を試してみる。少し違和感があるけど、慣れればどうってことない。しかし、油断していると尻尾を床につけてしまいそうになることに気がついた。セロンは追加で尻尾を覆えるような布を買って貰った。
店を出るとあっくんは、迷いのない足取りで歩き始めた。セロンはその後をべちゃべちゃ、カンカン足音を鳴らしながらついて行く。この街では、何処を歩いても地面からの熱が感じられる。セロンはリュックから水筒を取り出そうとして、もう飲み切ってしまったことを思い出した。
「あっくん、水がもうないよ。何処かで補充しないと干からびちゃう」
「もう少し我慢してくれ。ここからだと、先に部屋を借りる方が早く済む」
セロンは、ばてて少しフラフラしながらあっくんについて行くと、やっと部屋貸主の元に着いた。部屋は場所関係なく同じ価格で借りられる。希望があれば、場所を選べるが、基本無造作に渡された鍵の部屋を借りるようになっている。セロンは、眺めの良い部屋がいいと要望すると、貸主は、今空いている中で一番高い位置にある部屋の鍵を渡してくれた。大体の部屋の位置を教えてもらい、二人は、その場を後にした。
「水を買いに行こう」
セロンは我慢の限界で、あっくんより先に歩いて、水を売っている店を探した。どうやら近くに水を売っている店は一つもない。セロンは、本当に干からびると焦り始めた。
「水は、街の入り口の方で盛んに売っているのを見たぞ」
あっくんは必死なセロンを能天気に見ながら言った。
「何でそれを早く言ってくれないの」
セロンはあっくんを連れて、先程通った、街の入り口に繋がる大きな通りまで戻って来た。来た時には気づかなかったが、ここの通りだけ、街中の方にある店とは、全く品揃えが違うと分かった。水を一杯に蓄えた瓶や袋、容器を山積みにして売っている店があった。他にも食材を取り扱っている店が脇にずらりと露店を出している。売っている商人と群がっているお客の服装が違い、商人は街の外から来た行商人であると窺えた。
セロンは、人だかりの中を足元からすり抜けて、山の天然水という一番美味しそうな水を買った。どうやら、この街では水が貴重らしく、セロンが買っている最中でも、みるみるうちに水が売れていた。
セロンは雑踏から抜け出すと、すぐさま買った水を飲んだ。ようやく、喉を潤せて全身の抜けていた力が戻ってくる。
「済んだな? 借りた部屋に向かうぞ」
部屋はその通りからそう遠くない場所にあった。行く途中の道は、真っすぐな道は一つもなく、入り組んでいた。隙間を有効利用した階段や壁に打ち付けたような階段が無数に葉脈のように繋がっており、形や踏板、手すりの種類がバラバラで複雑になっていた。
階段を作れないような空間は何処にもないらしく、いったい何処まで繋がっているんだろう、とセロンは興味がそそられていた。階段を上がり、分かれ道のある踊り場を十か所、通り過ぎた頃、ようやく借りた部屋まで辿り着いた。番号が振ってあり、鍵の番号と一致するので間違いない。高さは、迎え側に見える建物の区切りを数えると、大体十階くらいの位置だというのが分かった。外見は、丸めで素朴な様子だ。
あっくんは、貸主から受け取った簡素な鍵を使って部屋の扉を開けた。中は、部屋が一つしかなく、錆びた銅の椅子と机が置かれているだけだった。排管のようなものと換気口がある。入ってすぐに、黒っぽい紐がぶら下っていて、引っ張ってみると、部屋の中の空気をかき混ぜる風が起こった。機械的な音がしない様子から、風魔法で発生させていると考えられる。部屋の奥にはもう一つ紐があり、そちらは天井に散りばめられた豆粒電球がつくようになっていた。
二人は部屋に入ると座り込み、一息ついた。靴は入り口で脱いである。部屋の中は汚れないように段差で区切られていた。部屋の中には窓はない。景色を部屋の中から眺められないのは残念だけど、臭いを出来るだけ遮断してくれる方がありがたかった。
しばらくぼーっとしていると、部屋の中を巡る風が心地よく、熱を持っていた体が冷まされていく。
「俺はこの街のPマナリスを探しに行くからな。備え付けの鍵じゃあ、心もとないし、一つしかないからな。前と同じようにダイヤル式の鍵を部屋に取り付けておいてくれ。番号は前と同じでいい」
あっくんは、錆びた机にダイヤル式の鍵を置いた。
「僕は、街を散策していい?」
「構わない。何かあったら、呼んでくれ」
そう告げると、あっくんは一足先に外に飛び出して行った。セロンはもうしばらく生暖かい風に吹かれていたいと思い、壁に寄りかかって休んでいた。




