76話 「祭壇に残されたもの」
セロンは自分の目を疑った。走っている途中でも、金縛りにあったように、その場に、固まってしまった。
ロウさんが落ちた。落ちていった。
セロンが目を配った瞬間に、奈落の底のように開いた広間を囲う穴に落ちて行った。
直ぐに頭が回り始め、セロンはリフトバルーンを取り出し、穴の底に無我夢中で向かう。不快な腐敗臭など忘れ、ロウが落ちた所に一直線に、ゆっくりと風船が落ちるように降りていく。徐々に視界が薄暗くなり、穴の底が微かに見えて来る。何か、朽ちた大きな塊や黒ずんだ白い破片の大群、不気味で異様なものが底に溢れるように視界に飛び込んできた。しかし、セロンの意識には無かった。ロウの行方に集中するだけだった。
やがて、暗さが増し、闇が包み込んできている中、微かにロウの存在を目に留めて、逃げるように視線を逸らした。やっと、地面にガサガサと割れるような音を立てて着地すると、恐る恐るロウの方へ目を向けた。直ぐに分かった。もう息はしていないと。首や四肢があらぬ方向に曲がっていて、仰向けに地面にめり込んでいる。顔は、落ちた時のままの表情で固まって、訴えて来る。
セロンは気が動転して、後ずさりした。パニックを起こさないように必死だった。とにかくその場から、早く離れたいと思い、再びリフトバルーンを使用して、崖の上に登った。
中央の広間の祭壇を背もたれにして、ちょこんと座り、ぼうっとする。
何も入ってこない。鼻がおかしくなるような悪臭も広間に吹き込んでくるような風も何も入ってこない。自分が白竜であるのを忘れてしまうほど、その場所に溶け込んでいた。
目を瞑っていた。どれくらい時間が経ったのだろうか? 力が抜けて、何にも動く気力が無いまま、その場に留まっていた。遠くで、誰かが呼んでいるような声がする。けれど、気のせいだと思った。
さらに時間が経ち、雲の切れ目から日差しが差し込んできた頃、ようやく気持ちが落ち着いて来た。セロンは徐々に冷静になってきて、目を開けた。どうして、こうなったのか考え始める。
ロウさんは、飛び降りた。誤って落ちたわけじゃない。身を委ねるように倒れて落ちて行った。どうして? どうして飛び降りたんだろう?
ロウとの関りを思い出し、振り返った。
初めて会ったのは、スティアの保護施設だった。見ず知らずの白い小さなセロンを変だと思わず、丁寧に受け入れてくれた。嘘だったのかも知れないけど、質問にも穏やかに答えてくれた。ハイリーフティをご馳走してくれて、子供達からも懐かれている様子だった。施設の皆の為に食料を運んでいるみたいだったし、悪い人には見えなかった。
それなのにどうして、人を攫って、保護施設の子にも手を掛けて、ランデールを慕っていたのだろう。セロンはロウが言っていた話を思い出した。
──救世主の…………アルマさんのおかげで、平民や貴族問わず、他の住民が手出しできないようになったからなんです。
ロウはそう言っていた。その救世主が、アルマではなく、ここに来る途中で言っていたランデールなのだとしたら、施設の保護に大きく助けてもらっていることになる。ランデールは悪い人じゃなかったのか? セロンは信じられなかった。
さらに、ロウと話した会話を思い出す。
──貴族も施設に保護された者は、使い物にならないと疎遠しているのもあると思います。何かしらの欠点を抱えているので……。
ロウは、そう言い終わる時には、口惜し気な表情をしていた。セロンは、ようやくロウが何を背負って生きて、何を訴えようとしたのか分かった気がした。
──さあ、どう? この場所は? 僕たちが街を造るのに恩恵を受けた場所なんだ。
──理由を知りたいなら教えてあげますよ。左手の奥の部屋に行ってみて下さい。私は、よく考えました。私は、努力しました。私は、決めました。そうです、これは使命なんです。
それがセロンがはっきりと聞いたロウの最後の言葉だった。左手には、腐敗してかなりの時間が経っている子供の死体。そして、セロンが部屋から出て、爆発があった後に、ロウは身投げした。
だとすると、ロウがこの祭壇に来る途中で話していたのは、少し前の自分自身の話だったのか。街で家族に不要とされて、生贄にされるのから、命さながら逃げ出し、運よく、この祭壇に辿り着いた。同じ境遇の子も救い出し、皆で大人に頼らず暮らしていこうとした。しかし、生きるための知恵も技術も力も無く、子供達には過酷で、とうとう、力尽きてしまった。
ロウは怒っていた。ロウは悔しそうだった。ロウは、悲しそうで緊張していた。虐げられる立場の者達を想い、何も悪事を働いていないのに、無下に捨てる街の者達を憎んでいたんだと思う。だから、人を攫って街に復讐していた。そして、死んでいった同じ境遇の子供達の無念を晴らすため、弔うために使命を果たした。セロンにそう訴えたかったんじゃないだろうか。
セロンは、立ち上がり、もう一度、この場所を調べることにした。ロウがセロンをここに連れて来てまで、見せたかった事実と実態に目を背けず、感じ取ろうと思った。
右の部屋も調べ、左の部屋ももう一度調べた。右の部屋はほぼ空っぽだった。手前に水溜めがあったが、食料は何も無かった。食べ物のクズすらも落ちていなかった。左の部屋は、変わらず見るに堪えない光景だった。しかし、新たに身を屈めている一人の遺体の手に、綺麗な色味の拙く加工された石が握られているのを発見した。それを手に取り、明るい所まで戻り、見てみる。切ない気持ちになった。思わず、入り口の厚布も、もう一度見返した。
セロンは、静かに息を吐き、俯いた。ロウの気持ちを何となく理解し、ここに居た子供達が何を願い、どういう真情を持っていたのか自分なりに解釈した。
手ごろな四角い石を見つけ、片手に持ち、再び、リフトバルーンで奈落の穴の底に向かう。今なら、底の不気味な状況も何となく察せた。朽ちた大きな塊は、よく見ると竜の腐敗しきった亡骸だった。フィルゲートおばさんが話していた、かつて街を恐怖に陥れた竜だと思った。遺骸が見つかってないと言っていたけれど、こんな奈落の底に落ちていたんじゃ誰も発見できない。いや、この場所すら、見つかっていなかったのかもしれない。隠されていたんだから。
そうなると、ここは、人を竜の生贄にしていた祭壇と考えられるし、誰かがその竜を倒したということになる。その後、使われなくなったこの場所を、ロウが発見したんだ。
セロンは、地面一帯の破片の上に着地した。左の部屋へ向かう橋の崖下にまだ形が残っている小さな遺骸を見つけた。あの岩橋なら仕方ないと思った。下に敷き詰められている黒ずんだ白い破片は、骨だと分かった。夥しい量の骨が堆積している様子から、どれだけの命が葬られたのか想像できる。セロンは、敢えて気にしないようにした。
ロウの遺体まで向かい、手に持った四角い石を頭の近くに置いた。そして、その手前に先程遺体が持っていた石を据えた。手を合わせ、憂いを込めて祈る。最後にもう一度、ロウの顔を見た。それから、上に浮上した。
ロウは落ちる直前に、口を動かしていたのをセロンは見ていた。声になっていないくらい小さな囁きだった。セロンの耳でも聞こえなかったし、実際になんて言ったのかは定かじゃない。けれど、口の動きと、あの部屋の入口の覆い布に書いてある言葉から、何て言ったのか大体予想がついた。
「もう遅いんだ」
彼は、ロウさんは、落ちる前にそう言っていた。そう小さく口にして、笑顔で落ちて行った。
セロンに言ったのか、独り言だったのか分からない。それでも、強い後悔は感じられた。あの厚布がそれを謳っていた。子供達の願いや目標を書かれた布の上に、大きく赤い掠れ文字で「もう遅いんだ」って書かれていたんだから。
後悔して、悔やんで、それで、償うように落ちていった。
だけど、本当に身投げまでする必要はあったのだろうか? ロウに助けられ、ロウを信じて、最後まで残って朽ちていった子供達は、本当にロウに死んでほしかったのだろうか? 僕はそうは思わない。そう思いたくない。
ただの想像かもしれないけど、息絶えても握りしめていたあの石はロウさんに渡したかったものだと思った。細く引っ掻いたような線で、やっとのことで書いてあったけど、〈ロウさんへ〉って書かれていたんだから。傍にはいない、会えないロウさんが見つけてくれるように書いたんじゃないだろうか。
そう考えたら、ロウさんは子供達に慕われていたに違いないし、ロウさんは、最後まで力一杯に子供達を助けようとしたに違いない。
じゃなかったら、子供達はあんな風に死なないし、ロウさんだって身投げしたりしない。
セロンはきっとそうだと思ったし、もう遅いと思った。
あの石は、マナリスと同じくらい綺麗だった。ロウさんに一度見てもらいたかったな……。




