第70話 「一度きりのチャンス」
絶望的な状況で、小さな装置が振動し、成功の赤い点滅が小さく表示される。これは、セロンやあっくん、部隊の皆に渡された伝達用の機器で、人質の保護を知らせるものだった。
これを期に防戦一方だった部隊側が反撃に出る。
初めに動いたのはあっくんだった。雨あられと衝撃波のような風が降りしきる中、ランデールの前に飛び出し、何かを投げる動作をする。その瞬間、刃物が付き抜けたようにランデールのわき腹が切り裂ける。
ランデールは狼狽えて、身を隠すように屋根に飛んで上がった。セロンは見つからないように、ランデールの背後に回る方へ、屋根を伝って移動した。
あっくんは、追撃するように屋根に向かって攻撃の動作をする。何をしているのかは分からない。けれど、ランデールは何かを感知し、除けるように飛退いていた。次々と互いの一進一退の攻防が繰り広げられ、少し前の絶望的な状況からは、改善の一途を辿っていた。
それに、余裕が出来た部隊の者が魔法攻撃で援護する。嵐の中のランデールであっても、ここまで、四方八方から攻撃されては、苦しい状況に陥っていた。
だからなのか、ランデールは、右手を仮面の下の口に運んだ。次の瞬間だった。甲高い口笛のような音が鳴り響いた。その音は、嵐の中でも十分に辺り一帯に響き渡る。何かしらの合図を誰かに送ったのか? ランデールのその後の動きは、攻撃よりも除ける動作が多くなった。屋根の上を飛び回り、風で攻撃をいなしたり、威力を軽減したりしている。明らかに何かを待っている。
セロンは嫌な予感がしたが、まだ、動くことは出来なかった。守りに徹しているランデールにセロンが攻撃した所で、たとえ不意を突いたとしても、効果的な一撃を与えられる気はしなかった。臍をかみつつも我慢する。
突然、遠くで大きな破壊音がした。規模は、辺りで繰り広げられる魔法の炸裂音とは異なり、大きくぶち破るような音だった。さらに、今まで戦闘が行われていた場所とはかけ離れた方向だったので、セロンは思わず振り向いた。
暴風の中、白く霞んで見づらくなっているが、何かが空中に飛び上がっていた。黒くは無かった。ほぼ、辺りの雨に紛れるくらいに白い何か。セロンは、その影に思い当たる者は一人しか知らなかった。戦闘のことも忘れ、その白い影を注視する。やっぱり、思った通りだった。シェルクだ。兄のシェルクが、雨や風を切る猛烈な速さで飛んでいく。あっという間に、森の方へ消えて行ってしまった。
セロンは、兄があんなにも高速で飛ぶのを初めて見た。だから、一瞬何もかも忘れて、貫禄と憧れで見入ってしまった。グロウ族に捕まっていたけど、簡単に建物をぶち破って出て来たらしい。やはり、シェルクには捕まるなど関係なかった。同じ白竜として誇らしい気持ちになった。それにしても、シェルクは何処に行ったのだろう? 僕もあんな風に飛べるようになるのかな。セロンはシェルクが飛んで行った空をじっと眺めていた。
「奴を集中して狙え!」
セロンはハッとする。今は戦いの最中だとその叫び声で引き戻された。慌てて、戦いの方へ気を向ける。
戦況は大きく変わっていた。三人もの黄色い鳥の仮面のグロウ族が戦いに参戦し、あっくんを集中的に攻撃している。見事なコンビネーションで、近接攻撃と遠距離攻撃を組み合わせ、切れ間なく風の魔法を繰り出している。
あっくんは、どうやって防いでいるのか分からないけど、その猛攻を全て防ぎつつ、反撃もしていた。グロウ族もあっくんの謎の攻撃に反応して、身をかわしている。彼らの空間だけ、風の魔法が激しく飛び交い、白く水しぶきと瓦礫が飛び散り、もはや、何が起きているのか分からなくなる激しさだった。
セロンはこのままじゃ不味いと思い、焦り始めていた。街の各地でもまだ魔法が飛び交っていて、応援が来るような状況じゃない。ランデールは、余裕ができて、他の部隊員を攻撃しつつ、あっくんにも遠距離から風の魔法を放っていた。部隊員は、平民を保護しつつ、ランデールを牽制するだけで手一杯。フィルズは、人質の保護をしているから駆けつけられない。先ほどよりも絶望的な状況じゃないかと焦燥感が募って来る。
あっくんは、今は持ちこたえているけど、戦前に言っていた通り、体力的に厳しくなって来る。グロウ族達は、全く消耗の気配は見えない。兄がいてくれたらと叶わぬ願望が思い浮かんでくる。そういえば、あっくんは奥の手を使うしかないと言っていた。だけど、一向にその奥の手が出る気配がない。
奥の手とは何なのか? それとももしかして、もう奥の手を使った上で、予想外の敵の援軍が来て、打つ手が無くなってしまったのか? どうすればいいのか。どうすれば、この状況を打開できるのか。心臓が激しく脈打ち、必死に頭を巡らせる。
いつの間にか、部隊の隊員が皆、倒れている。ランデールが本格的にあっくんを倒しに動き出していた。ランデールまであの中に参加したら、いよいよ、あっくんもやられてしまう。
セロンは、後がない状況に追い込まれていた。目に映る動きがゆっくりと感じられる。
もう、自分がやるしかない。
自分が、ランデールに一撃をお見舞いして、戦闘不能にし、さらに他のグロウ族も打ち倒して、あっくんを救う。それしかないと思った。
チャンスは一回。まだ、セロンに気がついていない状況で、不意の一撃。セロンは、巾着袋から目に見えない物質Pを取り出した。その見えない不思議な物質を手に取り、ランデールに狙いを定める。物質Pを持つ手は震えていた。
一度しかチャンスが無いなんて、自分はどれだけ無力なのかと嘆いた。けれど、どう悲観的になったとしても、現実は変わらない。一度気づかれれば、セロンのとるに足りない攻撃など、意識の端で気に留めていればいいだけで、少し風の強い日に吹いて来る砂埃と何ら変わらない。そのくらい非力なものだった。
ランデールが風魔法をあっくんに放ちながら、荒れ果てた十字路を横切ろうとしている。セロンから見て、斜め前の位置で、今、崩れ落ちた瓦礫に少し隠れている。ランデールがそこから少し前に出るとセロンとの間に障害物は何も無くなる。そのタイミングしかなかった。
セロンは、思い切り勢いをつける。ランデールが、良く見える位置まで来た。セロンは、力いっぱい投げつけた。セロンの出来る精一杯だった。見えない塊がランデールに迫っていく。そして、見事に直撃……しなかった。ランデールが何か迫って来る物を感じ取ったのか、間一髪の所、右に飛退いた。物質Pは地面に激突し、石畳を球状に軽く粉砕する。それだけだった。
失敗した。失敗してしまった。セロンは放心状態で屋根に佇んでいた。ランデールがセロンに気づき、風魔法を発動しようとしてくる。セロンは、真っ白な頭で、体だけが逃げようと必死に動いた。その時だった。
急に嵐が消えるように穏やかになった。いや、何処かに引き寄せられるように、流れて行った。ランデールの攻撃は上手くいかず、流れ、明後日の方向に飛んで行った。ランデールは酷く動揺していた。
セロンは咄嗟の判断だった。石畳に転がった物質Pの微かな気配を察知し、飛ばすように力をかける。見えない塊は、ランデールの意表を付いた。横っ面に直撃する。なぎ倒されるように横から地面に叩きつけられて、仮面が吹き飛ぶ。それから、ピクリとも動かなくなった。
あっくんの方を見ると、既に三人のグロウ族を倒していた。セロンは、緊張がまだ消えず、息を乱したままだった。




