第62話 「リフトバルーン」
セロンは魔具店を後にし、広場を横切り、下町と上町の段差がある脇道に、目立たないように入って行った。
貴族が住む上町への階段も無く、目の前は道沿いに佇む石壁で、後ろは、窓の無い建物の外壁。通りは、誰も歩いておらず、日陰が覆い、生活音も聞こえて来ない。
ここが最適な場所だと思い、セロンは巾着袋に手を掛けた。しぼまった口が開かれ、スクミ―が顔を出した。
「まさかと思うのでしゅが、ここで、買ったアイテムを使う気でしゅか?」
目を細めて、ハート型の耳をひくつかせ、訝しんでいる。
「そうだよ。少しでも人が消える問題の手がかりを見つけるためには、ここで、リフトバルーンを使うのが得策だと思ったんだよ」
セロンは説得する様に答えた。
「貴族の街に侵入する気でしゅか? 危険だから止めておいた方がいいと思いましゅけど」
「大丈夫、そっと行って、貴族がどんな話をしているか盗み聞きして、静かに帰って来るだけだから」
「バレると思いましゅけど……」
「誰も気づかないよ。僕は小さいし、まさか上にいるだなんて皆思わないでしょ?」
「けど、見張りとかもいると思いましゅわ」
「心配ないよ。もし何かあったらスクミ―が助けてくれるでしょ」
セロンは、スクミ―の脇から巾着袋の中に手を入れて、中にある先程買ったリフトバルーンを取り出そうとした。しかし、どんなに探っても宙を掴むだけで、違和感があった。さらに奥まで入れても底に手が付かなかった。どうなっているのかと覗き込もうとした。
「ミーが取り出そうとしない限り、届かないでしゅわ」
スクミ―が巾着の入り口を隠し、咎める。
「スクミ―、僕の巾着袋に何したの?」
「魔法をかけたのでしゅわ」
「勝手なことしないで。買ったリフトバルーン出してよ」
「貴族の街に行くなんて、自殺行為でしゅわ」
「君は僕のサポートをしてくれるんじゃないの? それとも、邪魔をするために居るの?」
セロンは口を結んで、不満そうに訊いた。
「サポートの為でしゅが……でしゅが……」
「それなら、協力してよ」
セロンは被せるように強く言った。スクミ―は口籠る。そして、渋々、中に潜り込み、ごそごそと探り、リフトバルーンを取り出して来た。セロンはそれを受け取り、様々な角度から確認する。改めて、自分で買った魔法アイテムを見ると、嬉しくて胸が弾んだ。山では、自分の魔法アイテムなんて無かったので、所有できるというだけで、少し大人になれた気がした。
リフトバルーンは、本来なら重い荷物を浮かせて、軽々運ぶように作られた魔法アイテムで、セロンのように、自分が浮くために使うのを想定されている訳ではなかった。なので、上手く意図した通りに飛ぶには練習が必要だった。
セロンは、その場で、起動して色々と試してみた。
ほどなくして、そこまで、複雑な造形ではないので、何となく、感覚で大体使い方が分かってきた。
これは、持ち手を掴み、上に掲げ、持ち手側面にある押しボタンを押すことで自立させ、上昇や降下の調節ができるようになっている。風魔法の簡単な応用で、内蔵された風のマナリスにより、内側に風を取り込み、上部の風船を膨らませる仕組みである。取り込む風量をバランよく調節し、ものを適当な高度に浮かせられるのである。
セロンは、満足が行くまで練習を重ねていると、少し遠くに、階段を降りて、こちらに向かってくる人を目撃した。セロンに気づいてはいないらしい。その場でやり過ごそうと、脇道の影に入り込み、頭を低くして、この街のしきたりに従った。セロンのそばを通る時には何やら、小言を呟いていた。
「……彼の者が凱旋し、街は祝いの宴を賑わせる……やっとか、やっとかと歓喜の祝杯……鳥どもを地に落とす得難き好機……止められぬであろう、災禍の天罰……皆平等……」
声はぽつりぽつりと小さくなっていく。低い男性の声だった。何を呟いているのかよく分からなかった。過ぎ去っていく後ろ姿を見ると、黒いフードを被った、貴族には珍しい姿だった。また、セロンは何処かで同じような匂いを嗅いだ気がした。しかし、何処で嗅いだかは分からず、雰囲気も知らない人だった。今考えても仕方がないと思い、セロンは、上町の元の壁際に戻った。ふっと、誰かに見られているような気がして、屋根の方を見上げたが、誰もおらず、セロンは肩を撫で下ろした。
気を取り直して、セロンは、段差の上を見上げる。上には、平民の下町よりも一回り大きい煉瓦造りの建物が立ち並んでいた。大きく、深呼吸をした。
「本当に、行くんでしゅか?」
スクミ―が心配そうに、巾着袋から顔を覗かせた。
「行くよ。僕にだってやれることはあるんだから」
セロンは覚悟を決めていた。スクミ―は、小さくため息をつき、諦めたような仕草をしていた。
周りに誰もいないのを確認して、リフトバルーンを片手で上に掲げる。スイッチを押して、バルーンが膨らんでいく。セロンの体が地面から浮き上がり、ゆっくりと上昇する。浮遊感に緊張と楽しさで胸の鼓動が高くなる。上町の段差を越えた。煉瓦の壁に差し掛かり、視界がさらに開けて来る。さらに上昇し、ついに上町の建物の屋根まで到達する。セロンは、まだもう少し上昇し続けたかった。そして、どんどん上に昇って行った。ついに目線よりも高い建物が数える程しか無くなった。
セロンは息を飲んだ。凄い。世界が開けて広く見える。こんなにも高く飛んだのはいつ以来だろうか。しばらくセロンは、眼下に広がる【安らぎを渇望する街】の端然たる風景を楽しんだ。開放的な気分。何だか何処までも飛んで行けそうな気持になって来る。風もなく穏やか。ああ、世界がこのままゆったりと和やかだったらいいのにな。そうすれば嫌な気分にもならないのにな。セロンは、夢見心地だった。しかし、そんな気分も一声に遮られる。
「早く、着地した方がいいと思うのでしゅが……。監視に見つかってしまいましゅわ……」
「分かってるよ」
セロンは興を削がれて、少しムッとした。それでも、やるべき目的の為に、すぐに気持ちを切り替えて、高度を下げて行った。
ゆっくりと手前の屋根に着地をし、周りの様子を確認する。幸いなことに、屋根の上で監視をしているグロウ族は、ずいぶん遠くに居て、気づかれなかった。
ここからは、屋根伝いで、上町の中の方へ入って行く。極力音は立てずに、最小限の動きで目立たないようにする。
セロンは、多種多様な形の屋根を、チョコチョコと進んで行った。道の間は、リフトバルーンを使い、平行移動で浮いて、静かに進んでいく。
流石に、貴族の住む上町は、下町と違い、一段と豪奢で精緻な形の建物が多かった。一画が広く、庭まである邸宅が左奥に立ち並び、辺りの簡素な建築物は、下町よりも高かった。前方奥の方には、とくわけ目を引くような高いらせん状の塔や、黒々とした豪壮なホールのような建物があり、その下に洒落た館があった。
どんな用途で使っているのだろうかと思いに耽りながら、セロンは、少しの間、観察していた。
貴族の会話も頻繁に盗み聞き出来た。屋根の煙突から室内の会話を聞き取ったり、道を歩く数人の会話も聞くことができた。街の中は、目抜き通りを中心に何だか、賑わいを見せており、派手な飾りつけをされている。多くの人が立ち話をし、談笑を嗜み、商談に励んでいた。しかし、有益と言えるような情報は無く、自慢話や娯楽の話、与太話ばかりだった。
見つからないように奥の街の壁際の方に向かっていた時だった。上町にしては、比較的簡素な商業施設群の中の一つ、宿舎の成りの建物の換気口から聞き覚えのある声がした。それも、二つもである。真面目な会話をしている風にも聞こえたので、セロンは聞き耳を立てた。
何やら、怪しい会話をしているようだった。




