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第23話

翌朝、約束していた荷車は、昼になっても姿を見せなかった。


 雪は夜半に止み、館の庭には指先ほどの白さが残っている。


 空は晴れていた。


 それなのに、見張り台から荷車を知らせる角笛は聞こえない。


「橋の確認へ向かった方から、まだ連絡は?」


 私が尋ねると、グランは首を振った。


「夜明けに二人出しております。橋で何かあれば、一人が戻る手筈です」


「町からの荷車は、何台でしたか」


「今日は四台です」


 ルクスが契約書を開く。


「麦が二台。豆と塩で一台。残りが薬草と屋根板です。ただし、屋根板は車体が長いので、ほかより遅れて出る予定でした」


 全部が同時に遅れているとは限らない。


 それでも、最初の荷車が到着する予定の時刻は過ぎていた。


「こちらから迎えを出しましょう」


 私は立ち上がった。


「領主様は館にお残りください」


 グランがすぐに言う。


「ですが、道に魔物が――」


「痕跡があれば、先に出た者が気づきます。今は、何が起きたか分からぬまま人数を増やすべきではありません」


 正しい意見だった。


 私は窓の外へ目を向けた。


 動けるのに、待つ。


 剣を持って向かうより、難しい。


「分かりました。お願いします」


「若い者を三人連れていきます。荷車を押す必要があっても、その人数なら足りましょう」


「縄と滑り止めを」


 ルクスが言う。


「橋の上が凍っているなら、車輪へ巻けます」


「用意させます」


 グランが部屋を出る。


 私も何かするべきだと、机の上の紙を見た。


 到着した荷を、どの倉へ運ぶか。


 誰が数え、誰が札をつけるか。


 既に決まっている。


「フィリア様」


「ええ」


「今、仕事を探していらっしゃいますね」


 ルクスに見抜かれた。


「荷が届いた時、すぐ受け入れられるようにと思って」


「準備はできています」


「では、橋の状況を予想して、別の道を――」


「迂回路は、屋根板を積んだ長い車では曲がれません」


「そうでしたわね」


 私には、今すぐすべきことがなかった。


 そう認めると、胸の中が落ち着かない。


「何もしないで待つのは、不安です」


 正直に言うと、ルクスが頷いた。


「僕もです」


「あなたも?」


「はい。帳簿を見直そうかと、先ほどから三度考えました」


 卓上を見る。


 帳簿は閉じられたままだった。


「開かなかったのね」


「二人とも休ませる会の規則ですから」


「今は昼ですわ」


「休むというより、必要のない仕事を増やさないための規則です」


「そのような規則もありましたか」


「今、作りました」


 私が会を作った時と、同じ言い方だった。


「勝手に規則を増やしてよいの?」


「会長は交代制です。今日は僕です」


「では、私は副会長?」


「はい。会長が働きすぎないよう、見張ってください」


 私は少し考えた。


「では、ルクスも帳簿を開いてはいけません」


「分かりました」


「何をして待ちましょう」


 ルクスの視線が、棚の上の裁縫箱へ向いた。


「昨日の続きを、一枚だけ」


「仕事ではありませんものね」


「ですが、針を刺したら終わりです」


「今日は指当てを使います」


「それでもです」


 私たちは窓際の卓へ移った。


 外を見張れる場所で、昨日の端切れと針を取り出す。


 荷を待つ間に裁縫をする。


 以前の私なら、落ち着かずに廊下を歩き回っていただろう。


 今も不安は消えない。


 けれど、不安だからといって、必ず働かなくてもよい。


 そう思えるのは、隣に同じ気持ちで待つ人がいるからだった。


     *


 二枚目の縫い目は、昨日より真っ直ぐになった。


「いかが?」


 端切れを持ち上げる。


 ルクスは縫い目へ顔を近づけた。


「最初の三針は、少し広いです」


「最初から褒めてくださらないの?」


「最後の五針は、よく揃っています」


「では、合格?」


「もう一枚です」


「昨日も、そう仰いました」


「昨日は、もう一枚練習してから手袋へ進むと」


「今、その一枚を縫いましたわ」


 ルクスが黙った。


 どうやら、私の言うことが正しいらしい。


「お約束でしたね」


「ええ」


「では、古い手袋を」


 彼は裁縫箱の横から、大切に畳んだ手袋を取り出した。


 手のひらの薄くなった部分へ、同じ色の革を当てる。


「最初の一針は、僕が入れます」


「私が直すのでは?」


「難しい場所だけです。元の縫い目へ針を通さないと、穴が増えますから」


「穴を増やさないことは、大切です」


「昨日、学びましたからね」


「一度しか刺していません」


「フィリア様の指ではなく、手袋の話です」


 私は口を閉じた。


 ルクスは笑いながら、最初の針を入れた。


 その後で私へ渡す。


「ここから、縁に沿って」


「この幅ですね」


「はい。急がずに」


 一針ずつ進める。


 剣とは違う。


 速さも、力も要らない。


 目の前の小さな穴を見つけ、同じ幅で糸を渡していく。


 昨日より、ルクスの顔が近くても気にならなかった。


 正しくは、気にはなっていた。


 けれど、針を持つ手を止めるほどではない。


「次は、どこへ?」


「一つ先の穴です」


「こちら?」


「ええ。上手です」


 短い言葉なのに、胸が温かくなる。


 褒められたことが嬉しいのか。


 彼に褒められたことが嬉しいのか。


 今は、深く考えないことにした。


 半分ほど縫った時、外から馬の足音が聞こえた。


 私は針を布へ止め、立ち上がる。


 ルクスも窓へ向かった。


「一人です」


 戻ってきたのは、橋の確認へ出ていた若者だった。


 馬を急がせすぎてはいない。


 怪我をしている様子もなかった。


 私は息を吐き、玄関へ向かった。


     *


「橋の中央で、板が一枚割れています」


 若者は地図の上へ指を置いた。


「雪の重みではありません。古くなっていたところへ、朝の冷え込みで亀裂が広がったようです。最初の荷車が渡る前に、こちらの見張りが気づきました」


「荷車は?」


「橋の手前で待たせています。町から三台が到着済み。屋根板の車は、まだ来ておりません」


 事故になる前に止められた。


 そのことへ、まず安堵する。


「人と馬は休めていますか」


「はい。町の御者が、小さな火を起こしています。馬には毛布を」


「橋は直せそうですか」


「板を替えるだけでは危ないと、大工が申しております。下の梁も一部が傷んでいるようです」


 地竜とは違う。


 斬れば終わる問題ではない。


 けれど、橋が使えなければ、食糧を運び込めない。


「荷を小分けにして、人が運ぶことは?」


 私が尋ねると、倉庫番が首を振った。


「麦と豆だけで相当な量です。橋を渡れたとしても、そこから館まで人の背で運べば日が暮れます。何より、凍った橋へ何度も人を通す方が危ない」


「川の浅い場所を渡るのは」


「雪解け前でも、荷車には深すぎます」


 皆の意見を聞き、地図を見る。


 迂回路はある。


 ただし、森の中を大きく南へ回る道で、屋根板を積んだ長い荷車は曲がれない。


「食糧の三台だけ、迂回させられますか」


 ルクスが尋ねる。


「道幅は足りる」


 戻ってきていたグランが答えた。


「ただし、二箇所で雪が残っている。護衛と、車輪を押す人手が要る」


「屋根板は町へ戻しますか」


「いや」


 大工が地図へ手を置いた。


「屋根板の荷車が着くまでに、橋を補強できるかもしれない。迂回路へ入れるのは、食糧の三台だけでいい」


「どのくらいかかりますか」


「今ある材料だけなら、今日中は無理だ。だが、向こうから来る屋根板を二枚使えば、仮の補強はできる」


 屋根を直すために買った板を、橋へ使う。


 その分、北の村の修繕が遅れる。


「別の木材では?」


「伐りたての木は、水分が多すぎる。橋へ使えば、凍った時に割れやすい」


 大工は、屋根板をすべて使うとは言わなかった。


 二枚。


 それだけで、食糧と残りの屋根板を通せる可能性がある。


「橋を通した後、使った二枚を屋根へ戻せますか」


「釘を打つから、端は傷む。短く切れば使えるが、大きな屋根には向かない」


 私は北の村の家屋一覧を思い出した。


「小屋の戸板なら?」


 大工が少し考える。


「使える。家畜小屋で、戸が割れているところがあったな」


 倉庫番が名簿を開く。


「二軒あります。どちらも今は布と棒で塞いでいる」


「では、橋の補強に使った後、傷んだ部分を切って、そちらへ回しましょう」


「承知しました」


 役目が決まっていく。


 グランは迂回路へ回す三台の護衛を連れていく。


 大工と若者たちは、橋の梁を補強する。


 屋根板を積んだ荷車には、橋の手前で止まるよう使いを出す。


 館では、到着が遅くなっても荷を受け入れられるよう、灯りと温かい食事を用意する。


「私も橋へ――」


 言いかけて、止めた。


 大工の判断が必要な場所へ、私が行ってもできることは少ない。


「橋の修繕に必要な費用は、領の倉から出します。使った板も、作業に加わった方々の賃金も記録してください」


「はい」


 ルクスが答える。


「フィリア様は、館で受け入れの指揮をお願いします」


「ルクスは?」


「僕は橋へ行き、町の御者と契約の変更を確認します。迂回で距離が増える分の費用を決めなければなりません」


 彼が行く。


 そう思うと、心配になった。


 けれど、現地で必要な仕事だった。


「分かりました」


 私は頷く。


「新しい手袋を、はめていってください」


「もちろんです」


「濡れたら替えること。日が落ちる前に、無理なら戻ること」


「はい」


「橋が直っても、最初に荷車へ渡らせず、人が確かめてから」


「大工さんの指示に従います」


 次々に言葉が出てしまう。


 ルクスは急かさず、すべて聞いてくれた。


「ほかには?」


「……帰ってきてください」


 最後だけは、仕事の指示ではなかった。


 彼の青い目が、少し柔らかくなる。


「はい。フィリア様のところへ戻ります」


     *


 ルクスたちが出発した後、私は館へ残った。


 厨房では、橋の作業へ持っていく温かい汁物が作られる。


 木の器では運ぶ間に冷めるため、蓋のできる大鍋へ入れ、橋の手前でよそうことになった。


「塩は少し濃い方がよいでしょうか」


 私が尋ねると、料理人は味見をした。


「作業で汗をかきますから、普段より僅かに。ただし、御者の方々は待っているだけなので、鍋を分けます」


「同じものではいけないの?」


「働き方が違えば、必要な味も違います」


 料理にも、現場の判断がある。


 私は教わりながら、切った根菜を鍋へ入れた。


 今度は林檎ほど複雑な形にならなかった。


「上達しましたね」


「やはり、そう思いますか」


「剣を使わず切ってくださいましたから」


「料理へ剣は持ち込みません」


 厨房に小さな笑いが広がった。


 誰かを笑うものではない。


 張りつめた気持ちを、ほんの少し緩める笑いだった。


     *


 日が傾く前に、最初の荷車が到着した。


 橋を渡ったのではない。


 迂回路を通った一台だった。


 車輪には縄が巻かれ、側面は泥で汚れている。


 御者も護衛も疲れていたが、怪我人はいなかった。


「麦、二十四袋!」


 荷台で数えた者が声を上げる。


「町を出た時と同じです!」


「封の破れは?」


「二袋に擦れがあります。中までは届いていません」


 倉庫番が印をつけ、その二袋を先に使う側へ分けた。


 若者たちが袋を運ぶ。


 私は一つずつ数え、帳面へ印を入れた。


 まだ、残りの荷車は来ない。


 ルクスも戻らない。


 けれど橋の向こうで、皆がそれぞれの仕事をしている。


 信じて待つ。


 今の私にできる仕事だった。


 二台目が着いた時には、空が赤くなり始めていた。


 三台目は、その少し後。


 豆も、塩も、予定した数が揃った。


 最後の袋を倉へ入れた頃、門の外から馬の足音が聞こえた。


 私は帳面を倉庫番へ渡し、外へ出る。


 先頭にグラン。


 その後ろに、大工と若者たち。


 ルクスもいた。


「お帰りなさい」


 私が言うと、彼は馬を降りる前に笑った。


「ただいま戻りました」


 新しい手袋には泥がついている。


 けれど、破れてはいない。


「橋は?」


「仮の補強が終わりました。大工さんと荷車一台だけで渡り、沈みや軋みがないことを確認しています」


「屋根板の荷は」


「今夜は橋の手前へ置きます。暗い中で渡る必要はありません。御者の方には近くの家で休んでいただき、明日の朝に運びます」


「よかった」


 心から息を吐く。


 ルクスは馬から降りた。


 一歩近づいたところで、私の手元を見る。


「手袋をしていませんね」


「荷を数えるのに、帳面がめくりにくかったので」


「手袋留めは?」


「外套の中に」


「なくしてはいないのですね」


「もちろんです」


 見せるために、淡い青の紐を袖から引き出す。


 白い花の模様も、きちんとついている。


「ルクスの古い手袋も、途中まで縫ったままです」


「続きをしてくださるのですか」


「明日、そばにいてくださるのでしょう?」


「はい」


 彼が返事をしたところで、後ろにいたグランが咳払いをした。


「領主様。橋の詳しい報告をしても?」


「ええ。お願いします」


 私とルクスは同時に少し離れた。


 大工は何も言わなかったが、若者の一人が笑いそうになり、隣の者に肘で小さく押されていた。


     *


 その夜、王都ではリディア・フォン・アーデルハイトが、一通の手紙を前に座っていた。


 書き始めてから、既に半刻が過ぎている。


 便箋の上には、まだ一行しかなかった。


『レインズワース女伯爵様へ』


 その先へ、何を書けばよいのか分からない。


 謝りたい。


 けれど、謝罪を受け取ることまで、フィリアへ求めてしまうのではないか。


 許してほしい。


 けれど、許しを求める資格が自分にあるのか。


 リディアはペンを置き、両手を握った。


 夜会の光景は、今もはっきり思い出せる。


 アルフレッドの隣に立っていた自分。


 大勢の視線を向けられていたフィリア。


 騒ぎの中でも背筋を伸ばし、ただ一人、静かに立っていた。


 あの時のリディアは、アルフレッドから、婚約解消は既に決まっていると聞かされていた。


 だから、自分は悪くない。


 そう言おうと思えば言える。


 けれど、フィリアが何も知らされていなかったことには、その場で気づいていた。


 驚いた青紫の瞳を見たからだ。


 それでも、リディアは動かなかった。


「何を書いているのです」


 王妃の声に、リディアは立ち上がりかけた。


「そのままでよいですよ」


 王妃は向かいの椅子へ座る。


 今日のリディアは、王子妃教育のために王城へ来ていた。


 もっとも、正式な婚約は認められていない。


 学ぶのは、王子妃になると決まったからではなかった。


 その地位を望むにせよ、望まないにせよ、自分が何も知らなかったことを知るためだった。


「フィリア様へ、お手紙を」


「何を伝えるのです」


「謝罪を」


 王妃は手紙を読もうとはしなかった。


「なぜ、謝りたいのですか」


「私が、あの夜、殿下の隣に立っていたからです」


「立っていただけですか」


 静かな問いだった。


 リディアの胸が苦しくなる。


「……違います」


 笑顔を浮かべそうになり、やめた。


 今、相手へ安心してもらうための笑顔は必要ない。


「フィリア様が傷つけられていると、分かっていました。けれど、殿下に嫌われることが怖くて、何も申し上げられませんでした」


「そうですか」


 王妃は責めなかった。


 それがかえって、リディアには苦しかった。


「謝って、楽になりたいだけかもしれません」


「その可能性はあります」


 王妃は率直に答えた。


「では、送らない方がよいのでしょうか」


「それを、私へ決めてほしいのですか」


 リディアは口を閉じた。


 また、誰かの望む答えを選ぼうとしていた。


 王妃は卓上へ一冊の帳簿を置いた。


 今日、リディアが学ぶはずだった救護院の支出記録だ。


「あなたは、フィリアへ許してもらいたいのですか」


「……分かりません」


「では、分かるまで考えなさい」


「はい」


「ただし、謝罪したからといって、彼女には返事をする義務も、あなたを許す義務もありません」


 リディアはゆっくり頷いた。


「それでも、自分がしたことを、なかったことにはしたくありません」


 初めて、迷わず言えた。


 王妃の表情が僅かに和らぐ。


「ならば、その言葉を書けばよいでしょう」


     *


 王妃が退出した後、リディアは新しい便箋を出した。


 先ほどの一行も、最初から書き直す。


『レインズワース女伯爵様へ』


 夜会で起きたこと。


 アルフレッドから、婚約解消は決まっていると聞いていたこと。


 けれど、フィリアが傷ついていると気づきながら、何も言わなかったこと。


 言い訳にならないよう、一つずつ書いた。


『私はあの夜、あなたが傷つけられていると分かりながら、殿下の隣に立ち続けました。申し訳ございません』


 そこで一度、手が止まる。


 許してください。


 そう続けそうになり、消した。


『お返事も、お許しも求めません。ただ、自分がしたことを、なかったことにはしたくないのです』


 最後まで書き、読み返す。


 綺麗な文章ではなかった。


 いつもの社交の手紙なら、もっと柔らかな言葉を選べる。


 相手を褒め、気分を害さないよう整えることもできる。


 けれど今は、上手に見せたくなかった。


 これが、自分の言葉だった。


 リディアは封をする前に、もう一枚だけ紙を添えた。


 フィリアが地竜の素材を保存するため、厚手の布を探していると聞いていた。


 アーデルハイト侯爵領では、雪除けにも使う丈夫な織布を作っている。


 寄付ではなく、見本を送る。


 使えるようなら、正当な価格で取引したいと書いた。


 謝罪と商談を一つにしてよいのか迷ったが、取引を受けるかどうかはフィリアが決められるよう、別の書面にした。


 手紙を二つに分ける。


 それも、リディアが自分で決めたことだった。


     *


 数日後、その手紙は北へ向かう便へ載せられた。


 同じ頃、私たちは補強を終えた橋の上で、最後の屋根板が領内へ入るのを見届けていた。


「ゆっくり!」


 大工の声に、御者が手綱を引く。


 車輪が新しい板の上を進む。


 橋は僅かに軋んだが、沈まない。


 荷車が反対側へ渡り切ると、待っていた人々から安堵の息が漏れた。


「通りましたね」


 私が言う。


「はい」


 隣のルクスが頷く。


 彼の古い手袋は、右手だけ繕い終えていた。


 左手には、私が贈った新しい手袋をはめている。


「片方ずつですわね」


「古い方が、まだ右しか直っていませんから」


「左右で色が違います」


「温かさは同じです」


「皆さんが見ていますよ」


「誰のせいでしょう」


「私が途中までしか縫えなかったせい?」


「僕が、一度に全部を直していただこうとしたせいでもあります」


「では、半分ずつ?」


「公平です」


 橋を直した人々が、私たちの左右で違う手袋を見て笑っている。


 けれど、その笑いは温かかった。


 私は繕い終えた右手を見た。


 少し曲がった縫い目が、朝の光を受けている。


 完璧ではない。


 それでも、ルクスは使ってくれていた。


 橋も同じだった。


 新しく作り直したわけではない。


 今あるものを確かめ、傷んだ場所を補い、皆で渡れるようにした。


 冬を越すまで、何度も直すことになるだろう。


 けれど、傷んだからといって、すぐに手放す必要はない。


 大切に使い、必要な時には誰かの手を借りればよい。


「フィリア様」


「何かしら」


「今夜、左もお願いします」


「ええ。今度は、最後まで」


「一度に終わらせなくてもよいんですよ」


「分かっています」


 私は彼の右手へ、自分の手袋を重ねた。


 橋の上が滑らないか、支えるためだった。


 少なくとも、最初は。


 ルクスの指が、手袋越しに私の手を握り返す。


「ゆっくり渡りましょう」


「はい」


 私たちは、皆が直してくれた橋を並んで歩いた。

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