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第4話 「……それ有人じゃん」

 アルトって……俺?


 昨日はそんなことまで考えてしまった。


 でも、一晩寝て少し冷静になった。


 声が好き。歌っている声が好き。


 確かに俺にも当てはまる。でも、それだけだ。


 アルトという名前は俺とは何の関係もないし、二年生だけでも二人いる。


 だから今日は、一ノ瀬さんのことを気にしない。


 そう決めた。


 決めたはずなのに。


「…………」


 授業中、隣からシャープペンの音が聞こえるだけで気になる。


 休み時間に誰かと話している声が聞こえれば、そっちに意識が向く。


 見ないようにすればするほど、逆に一ノ瀬さんの存在が気になって仕方がない。


 ――駄目だ。完全に意識してる。


 チャイムが鳴り、授業が終わった。


 俺が教科書を閉じたところで、後ろから肩を軽く叩かれた。


「有人、なんか一ノ瀬さんのこと気にしすぎじゃない?」


 振り返ると、菅原日奈が立っていた。


「気にしてないよ」


「してたじゃん」


「たまたまだって」


「ふーん」


 日奈が疑わしそうに俺を見る。


「なんだよ?」


「別に」


 なんなんだ。


 日奈とは小さい頃からの付き合いだ。こういうときは下手に言い訳すると余計に面倒になる。


 俺は机の上の教科書を片づけることにした。


「もしかして、一ノ瀬さんのこと気になってる?」


「なんでそうなるんだよ?」


「だって、さっきからずっと意識してるし」


「だから、たまたまだって」


「はいはい」


 まったく信じていない顔だ。


 ちょうどそのとき、一ノ瀬さんが席へ戻ってきた。


「あ……」


 なぜか、一ノ瀬さんが一瞬だけ足を止める。


「一ノ瀬さん、どうしたの?」


 日奈が声をかける。


「ううん。なんでもない」


 一ノ瀬さんはそう言って、俺の隣の席に座った。


 日奈は彼女を見て、それから俺を見る。


「ふーん」


 だから、なんなんだよ。


 ◇


 昼休み。


 飲み物を買いに行って教室へ戻ると、俺の席のところに日奈がいた。


 しかも、一ノ瀬さんと話している。


 珍しい組み合わせだ。同じクラスだから話したことくらいはあるだろうけど、二人で話しているところはあまり見たことがない。


 俺はペットボトルを片手に近づいていく。


「菅原さんって、中西くんと幼馴染なんだよね?」


 一ノ瀬さんの声が聞こえて、思わず足が止まった。


 ――俺の話?


「うん。家も近いし、小さい頃からずっと一緒」


「そうなんだ」


「まあ、腐れ縁みたいなもんだけど」


「仲いいんだね」


「どうかな。長すぎてよく分かんない」


 日奈が笑う。


 一ノ瀬さんも笑ったけれど、どことなくぎこちない。


 なんの話をしてるんだろう。


 別に聞かれて困るようなことはないけど、自分のいないところで自分の話をされているのは妙な気分だ。


 俺が近づこうとしたとき、日奈が続けた。


「一ノ瀬さんってさ、好きな人いるの?」


「え?」


 思わず俺も足を止めた。いや、いきなり何を聞いてるんだ。


「い、いきなりどうしたの?」


「なんとなく。一ノ瀬さんモテるし、そういう人いるのかなって」


「そんな……モテないよ」


「それは無理あるでしょ」


 日奈が笑う。


 一ノ瀬さんは困ったように視線を落とした。


「……好きっていうか」


「気になる人?」


 少し間があった。


「……うん」


 心臓が跳ねた。


 昨日、チャッピーに流れてきた相談と同じだ。やっぱり、一ノ瀬さんには気になっているやつがいる。


 分かっていたことのはずなのに、本人の口から聞くと妙に落ち着かない。


「どんな人?」


「それは……」


「名前は言わなくていいよ」


 一ノ瀬さんは少し考えてから、ゆっくり話し始めた。


「前にね。その人が歌ってるのを聞いたことがあるの」


 歌。


 俺の手の中で、ペットボトルが小さく鳴った。


「へえ。歌が上手い人なんだ」


「すごく綺麗な声だった」


 一ノ瀬さんが少しだけ笑う。その顔を見た瞬間、胸の奥がざわついた。


「それで好きになったの?」


「そこまでは……自分でもよく分からないけど」


 一ノ瀬さんは少し恥ずかしそうに髪を耳へかけた。


「でも、それから気になるようになって」


「なるほどね」


 日奈が黙った。


 さっきまで軽い調子で話していたのに、急に何かを考え込んでいる。


「菅原さん?」


「ん? ああ、ごめん」


 日奈は一ノ瀬さんをじっと見る。


「その人とは話したことあるの?」


「あるよ」


「同じクラス?」


「それは内緒」


「そこまで聞いたら教えてくれてもいいじゃん」


「だめ」


 二人が笑う。


 俺はその場で動けなくなっていた。


 歌が上手い。


 同じ学校にいる可能性が高い。そして、チャッピーに流れてきた『アルトくん』。


 偶然だ。


 まだ偶然で説明できる。でも、昨日より確実に条件が増えている。


 これ以上ここで聞いているのもまずい。俺はわざと足音を立てて、二人のところへ向かった。


「日奈、二人で何話してるんだよ?」


「えっ」


 一ノ瀬さんの肩がびくっと動く。


「別に、なんでもないよ」


 日奈は俺を見る。


「女子の話。有人には関係ない」


「俺の席で?」


「あ、そっか」


 日奈がようやく席を空ける。


「俺、ここで昼ご飯食べたいんだけど」


「食べればいいじゃん」


「日奈が座ってたから言ってるんだよ」


「もうどいたでしょ」


「そうだけど」


 日奈は俺の顔をじっと見た。


「なに?」


「いや、別に」


 またそれだ。


 一ノ瀬さんの方は、俺と目を合わせようとしない。さっきの話を聞かれたくなかったんだろう。


 もちろん、俺は聞いていたなんて言えるはずもない。


 日奈はそんな俺たちを交互に見ていた。


 ◇


 放課後。


「じゃあね、有人」


「うん。また明日」


 有人と別れて、あたし――菅原日奈は一人で歩き出した。


 昼休みの一ノ瀬さんとの会話が、頭に残っていた。


 偶然、歌っているのを聞いた。


 すごく綺麗な声だった。


 それから気になるようになった。


「歌……」


 あたしは歩きながら呟いた。


 有人は歌が上手い。それは昔から知っている。


 小さい頃から何度も聞いてきたし、ついこの前だって本人に言ったばかりだ。


 ――平凡なあんたなんて、ちょっと声が良くて歌が上手いくらいしか取り柄がない。


 自分で言った言葉を思い出して、あたしは足を止めた。


 今日の有人は、明らかに一ノ瀬さんを意識していた。


 一ノ瀬さんが戻ってきたときも、二人の様子はどこかおかしかった。


 昼休みには、有人が戻ってきただけで一ノ瀬さんがあからさまに慌てていた。


「……待って」


 一つずつだったものが、頭の中でつながっていく。


 あたしは、さっき有人と別れた道を振り返った。


「一ノ瀬さんが好きなのって……それ有人じゃん」

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