第3話 アルトって……俺?
アルト。
昨日から、その名前が頭から離れない。
俺はベッドに寝転がったまま、ChatGPTの画面を開いた。
「学校支給のタブレットから、アルトって名前の生徒がいるか分かる?」
『確認します』
少し間が空いた。
『確認できる範囲では、該当する名前が4件あります』
「いるのかよ」
しかも四人もいる。
てっきり珍しい名前だと思っていたのに、探せば案外いるものらしい。
「その中に二年生は?」
『2件です』
「二人もいるのか」
まあ、でも。今どきのキラキラネームに比べれば、とりわけ不思議な話でもない。
これで、昨日の疑問にはほとんど答えが出た。
一ノ瀬さんが好きなのは、その二人のどちらか。少なくとも、中西有人ではない。
「……そりゃそうだよな」
俺はスマホを胸の上に置いた。
昨日は一瞬、本気で俺かもしれないと思った。
消しゴムを拾って、手が触れた。それだけでクラス一の美少女が俺を好きなんじゃないかと考えた。
我ながら恥ずかしい。
「俺、馬鹿じゃない?」
『その質問には主観的な評価が含まれるため、回答できません』
「そこは否定してくれよ」
『中西有人さんを馬鹿だと判断できる情報はありません』
「……まあいいか」
少しだけ気分が良くなった自分が、さらに馬鹿みたいだった。
◇
翌日。
隣の席の一ノ瀬さんを、俺はなるべく見ないようにしていた。
見れば意識する。意識すれば、また余計なことを考える。
アルト。
一ノ瀬さんにはアルトがいる。そう思っておけばいい。
授業中、先生の声を聞きながらノートを取っていると、ふと横から視線を感じた。
気のせいだと思って、そのまま黒板を見る。
しばらくすると、また感じた。俺は顔を上げたまま、目だけを横へ向ける。
一ノ瀬さんがこっちを見ていた。
「あ」
「…………」
目が合った瞬間、一ノ瀬さんは慌てたように前を向いた。
耳が少し赤い。
なんだ。なんで俺を見てた。
いや、たまたまだ。隣の席なんだから、こっちを見ることくらいある。
そう思って前を向く。でも、気になる。
しばらくして、今度は俺から横を見た。一ノ瀬さんは真面目な顔で黒板を見ている。
俺も前を向く。
少しすると、また見たくなる。
「……いやいや」
一ノ瀬さんには、アルトがいる。
危ない。また都合のいい解釈をするところだった。
◇
その夜。
ChatGPTを開くと、一ノ瀬さんの新しい文章が表示されていた。
『ねぇ、チャッピー。アルトくんのこと、もっと知りたい』
またアルトか。
昨日まで知らなかった名前なのに、もうすっかり聞き慣れてしまった。
『アルトくんの、どんなところが好きなのですか?』
少し間が空いた。
『声かな』
「声?」
俺はスレッドを切り替え、AIに尋ねる。
「声って、そんなに重要なの?」
『声は相手に抱く印象を左右する要素の一つです』
「そういう説明はいらないだろ」
『承知しました』
素直だな。
俺はもう一度、混線しているスレッドに戻った。
しばらくして、一ノ瀬さんから続きが来た。
ピコン。
『歌ってる声が好き』
俺の指が止まった。
「……歌?」
嫌な記憶が蘇る。
少し前の放課後。教室には誰もいなかった。
帰る準備をしながらイヤホンで音楽を聴いていたら、つい鼻歌が出た。
最初は小さな声だった。でも、誰もいない。好きな曲だったこともあって、少しだけ調子に乗った。
そのとき、教室のドアが開いた。
俺は固まった。一ノ瀬さんが立っていた。
「「…………」」
目が合った。
詰んだ。
一ノ瀬さんは何も言わず、自分の席まで歩いてくる。
俺はイヤホンを外すことすらできなかった。
一ノ瀬さんは机の中からノートを取り出した。どうやら忘れ物を取りに戻ってきただけらしい。
そのまま帰ってくれ。頼むから何も言わずに帰ってくれ。
一ノ瀬さんが鞄にノートを入れる。
そして、俺を見た。
「あの……」
「なに?」
声が裏返った。
一ノ瀬さんが少し驚いた顔をする。
「ううん。なんでもない」
「そ、そう」
一ノ瀬さんはそのまま教室を出ていった。
ドアが閉まる。
俺はその場で机に突っ伏した。
「……死にたい」
あれは今でも思い出したくない黒歴史だ。
誰もいない教室で、一人で気持ちよく鼻歌を歌っていた。
しかも、それをよりによって一ノ瀬さんに聞かれた。
次の日、一ノ瀬さんが何も言わなかったことだけが救いだった。
――の筈なのだが。
俺はスマホを見る。
『歌ってる声が好き』
そういえば、日奈にも言われた。
平凡な俺には、ちょっと声が良くて歌が上手いくらいしか取り柄がない。
「……まさかな」
偶然だ。
アルトという名前の生徒は、ちゃんと学校にいる。しかも二年生だけで二人。
俺は中西有人だ。アルトじゃない。
それなのに、昼間の一ノ瀬さんの視線が頭に浮かぶ。
赤くなった耳。そして、あの日の放課後。何かを言いかけて、やめた一ノ瀬さん。
俺はもう一度、画面を見る。
『歌ってる声が好き』
「アルトって……俺?」




