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取引屋の男

 

 王都グランセイルの昼下がりは、人の声で満ちていた。大通りから一本外れた市場通りには、布張りの露店が軒を連ねている。

 焼いた肉の脂が炭火へ落ちる匂い。籠いっぱいに積まれた果実の甘い香り。染め布を風に泳がせながら客を呼ぶ商人の声。それらが入り混じり、通りそのものがひとつの生き物のように息づいていた。


 その片隅に、シオンとニコも小さな店を構えていた。地面へ敷いた厚手の布。その上に、小瓶や紙包みが整然と並べられている。中身はすべて薬だった。

 傷口に塗る軟膏。腹痛を和らげる粉薬。軽い火傷に使う薬。それから、眠れない夜に少量だけ服用する鎮静薬。調薬したのは、すべてニコだ。


「シオン。これ、こっちだよね?」


 ニコが茶褐色の小瓶を持ち上げた。シオンは客の流れへ向けていた目を一度だけそちらへ移した。


「逆だ」


「え」


「そっちは腹痛用」


「あ……」


 ニコは瓶の底に貼った小さな印を確かめ、慌てて位置を入れ替えた。


「危なかった……」


「売る前に気づいたんだから問題ない」


「やっぱり僕は、シオンがいなくちゃダメなんだ……」


「そんなことはない。ニコもよくやっている」


「そうかなぁ……」


 そんなやり取りも、今では珍しくなかった。二人が王都で薬を売り始めたのは、少し前のことである。

 盗賊として請け負える仕事がない時や、王都で噂を拾いたい時、あるいは単純に財布の中身が寂しくなった時。兄弟の行商人を装い、こうして露店を出す。


 最初に言い出したのはレインだった。

 ニコの作る薬は、灰冠街では昔から重宝されている。高価な薬を買う余裕のない住民にとって、安価で、それなりによく効くニコの薬はありがたい存在だった。

 誰にもよく効く薬なら、王都へ持っていけば金になる。そう考えるところまでは、いかにもレインらしかった。しかしながら、ニコ一人を行商へ出すことには、すぐに全員が難色を示した。ニコ本人さえも。

 調薬の知識はある。商品の説明もできる。だが、声を荒らげられると萎縮するし、値切られれば断り切れない。

 そこで白羽の矢が立ったのがシオンだった。口数は少ないが冷静で、少なくとも見た目だけなら人畜無害な青年に見える。客の顔色を読むのも得意だった。何より、盗賊には見えない。

 レインでは目立ちすぎる。鮮やかな赤髪に眼帯。人混みへ紛れ込んでも、数日後には「あの赤髪の男」と覚えられる。

 バルドに至っては、商売をさせるという発想そのものが最初からなかった。値切り交渉が三往復も続けば、四往復目には拳が出るだろう。

 結果として、シオンとニコの二人組に落ち着いた。思いつきで始めた割には、商売は悪くなかった。ニコの薬は王都でも評判になり、いつしか顔馴染みの客までつくようになった。


「まあ。今日はいたのね」


 柔らかな女の声がした。ニコが顔を上げる。通りからこちらへ歩いてきたのは、三十歳ほどの婦人だった。細かな刺繍の施された淡い色のドレス、薄い手袋を身に着けている。歩くたび、耳元の宝石が午後の日差しを小さく跳ね返している。

 服装を見ただけでも、それなりに裕福な家の人間だと分かる。それでも婦人は、地面へ布を広げただけの二人の店先へためらいなくしゃがみ込んだ。


「この前の軟膏はあるかしら」


「あ、はい」


 ニコが商品を探す。


「これです。前に使って、肌が痒くなったりとかは……」


「何もなかったわ。むしろ感動したくらい」


 婦人は小瓶を受け取り、光へ透かすように眺めた。


「家へ来る薬師のものより、よほど効いたもの」


「そ、そうですか」


 ニコの声が僅かに弾む。自分の作ったものを褒められることに、まだ慣れていない。婦人は軟膏を二つ選ぶと、代金を布の上へ置いた。ニコは硬貨を見て、すぐに眉を下げた。


「多いです」


「そう?」


「そうですよ。ほとんど倍じゃないですか」


「いつものことでしょう」


「だから、いつも言ってるんですけど……」


 婦人は取り合わず、愉快そうに笑った。


「良いものには、それだけ払うの。あなたが気にすることではないわ」


 ニコは困り果てたようにシオンを見る。だが、シオンは硬貨を返そうとはしなかった。

 この婦人が自分たちを気に入っていることは分かっている。好意を頑なに拒むほうが、かえって角が立つ。


 その代わり、シオンは婦人の耳元へ目を向けた。


「その耳飾り、前は着けてませんでしたよね」


 婦人の指が、反射的に耳元へ触れた。


「あら。覚えていたの?」


「目についたので」


 薄緑色の石を、銀色の細工が包んでいる。派手ではない。だが、よく見れば細部まで丁寧に仕上げられていた。


「よく似合っています」


「あら、ありがとう」


「石も綺麗ですけど、その周りの細工がとても、いいですね」


 婦人の顔がぱっと明るくなった。


「そうなのよ。そこが気に入って買ったの」


 好きなものを褒められると、人は自然と口数が増える。シオンは、それを知っていた。


「最近できたお店なの。少し値は張るけれど、品は確かよ」


 婦人が指した先。通りの向こうに、白い石造りの建物が見えた。数日前、四人で追った馬車が止まった店だった。表から見る限り、宝飾品を扱う店らしい。磨き上げられた窓の向こうには、首飾りや腕輪、指輪が上品に飾られている。


 不自然なところなど、何一つない。少なくとも、正面から眺める限りは。

 シオンとニコは、露店を広げるより前からその店を観察していた。そして、一つだけ気になることがあった。客が入店する時、入口に立っている人物へ必ず何かを見せている。


 シオンが尋ねる。


「誰でも入れるわけじゃなさそうですね」


「そうなの。少し面倒でしょう?」


 婦人は鞄へ手を入れた。取り出したのは、掌に収まるほどの小さな札だった。金属製で色は黄金を示す。縁を細かな装飾が巡り、中央には店のものらしい紋章が刻まれている。


「会員証よ。紹介がないと作ってもらえないの」


 ニコが身を乗り出した。


「へえ……」


 シオンは手を伸ばさなかった。ただ見る。札の大きさ。色。縁取りの幅。中央の紋章。刻まれた線の位置。婦人が裏返した時には、裏面の意匠まで視線でなぞった。


「ずいぶんと、敷居が高いお店なんですね」


「そうね。でも、その分静かでいいのよ」


 婦人は何の疑いもなく会員証を鞄へ戻した。シオンの頭には、すでにその形が残っていた。


 ◇


 夕刻。売れ残った薬を包みにまとめ、二人は王都の端へ向かった。賑わっていた通りは、歩くにつれて少しずつ細くなっていく。

 石畳はところどころ欠け、店の看板も古びていった。灰冠街との境に近い。華やかな王都の光が届きにくくなる場所だった。

 大通りを外れ、さらに人通りの少ない路地へ入る。突き当たり近くに、一軒の店があった。

 色褪せた看板には、店名すらまともに書かれていない。通りすがった人からすれば何の店なのかも分からないだろう。


 シオンが扉を開けた。乾いた鈴の音が一度だけ鳴る。中には、古い木と香のような匂いが籠もっていた。

 棚には、使い道の分からない金属片、古い壺、欠けた装飾品、刃の錆びた武器などが雑然と並んでいる。一見すれば、価値のない品ばかり。

 だが、その中には、ときおり場違いなほど上等なものが混じっていた。盗品を扱う店というものは、妙な場所だった。価値あるものほど、埃を被っていることがある。

 店の奥に、一人の男が座っていた。見た目では三十代ほどの年齢だった。


 背は高く、焦げ茶色の長い髪を一本の三つ編みにまとめている。目は糸のように細い。眠っているようにも、こちらを隅々まで見ているようにも見えた。


「いらっしゃい」


 男は薄く笑った。


「今日は薬かい?」


 シオンが包みを台へ置く。


「余ったから来た」


 男は包みを開き、小瓶を一本摘まみ上げる。


「ニコ坊の薬なら、余りものでも歓迎だよ。最近は指名で欲しがる客もいる」


「坊って言わないで……」


 ニコが小さく抗議する。


「じゃあ、ニコ先生?」


「それは、もっと嫌だ……」


 糸目の男は喉の奥で笑った。


 レインたちが盗品を手放す時には、昔からこの店を使っていた。この男はガルドの知り合いだったらしい。どこで知り合ったのか、何をしていた頃の知り合いなのか。それを尋ねても、まともな答えが返ってきたことはない。

 ただ、ガルドが死んだあとも、糸目の男はレインたちとの取引を続けた。男はレイン達の素性にも深入りしない。どこから盗んだのか、どうやって手に入れたのか、それだけで充分だった。商売に必要なこと以上を聞くことはない。

 裏の世界では、知らないことにも価値がある。余計なことを知らなければ、誰かに問い詰められたとしても答えようがない。この糸目の男はそういう生き方を、長く続けてきたのだろう。


 シオンは懐から折り畳んだ紙を出した。昼間に見た会員証の意匠が、精密な線で描かれている。男はそれを受け取り、細い目を僅かに開いた。


「これは?」


「最近できた宝飾店の会員証だ」


「ああ」


 返事が早かった。


「例の二人の店か」


 ニコが身を乗り出す。


「知ってるの?」


「名前と噂くらいならね」


 男は紙を指先で弄びながら、椅子へ深く腰掛けた。


「最近、王都へ出入りし始めた金持ち夫婦だ。どうも王族の遠縁に当たる人間が身内にいるらしくてね。それを盾に、好き勝手してるなんて話は聞くよ」


「何をしてるのか、わかるか?」


 シオンが訊く。男は肩を竦めた。


「だから、噂だよ」


 そこで一度言葉を切った。


「人の売り買いに手を貸してるとか、作物を大量に買い占めてるとか。流れてくる話は、まあ、綺麗じゃない」


 ニコの顔が曇った。今年の不作。日に日に値を上げていく食料。灰冠街で、満足に食べられない人間が増えている。それらを知っているだけに、『買い占め』という言葉は妙に重かった。


「王族の親戚なら、捕まらないの?」


 ニコが尋ねる。


「捕まえられるだけのものがあれば、ね」


 糸目の男は笑う。


「噂は証拠にはならない。金と名がある人間なら、なおさらだ」


 シオンは会員証の絵を指先で叩いた。


「作れるか?」


 男が紙を見る。


「……現物は?」


「ない」


「裏側は?」


 シオンは紙を裏返した。そこにも精密な図が描かれていた。男が一瞬、黙った。


「……よく見てるねえ」


「それで?」


「一日」


 ニコが目を瞬かせる。


「一日でできるの?」


「似せるだけならね。中に魔術式でも仕込まれてたら話は別だけど、入口に立ってる店員へ見せる程度なら十分だろう」


 男は指を一本立てた。


「代金は、今回の稼ぎの一割」


 シオンの返答は早かった。


「高い」


「うそ。これでも出血大サービスだよ」


「七分(しちぶ)だ」


「十だね」


「八分(はちぶ)」


「十分(じゅうぶ)」


「……九分(きゅうぶ)」


「十分だ」


 睨み合い、と呼べるほど激しいものではなかった。男は笑っている。シオンは無表情。だが、先に折れたのはシオンだった。


「……分かった。それでいい」


「毎度あり」


 男の細い目が、さらに細くなった。


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