不穏な洞窟
王都グランセイルと、その城壁に隣接する灰冠街。この一帯には、一年を大きく二つに分ける季節があった。
穏やかな陽気の続く温暖期と、冷たい風が土地を覆う寒冷期。温暖期には畑が緑に染まり、街道を穀物や野菜を積んだ荷車が行き交う。だが寒冷期へ入れば、土地の実りは急速に乏しくなる。
ゆえに人々は、暖かな季節のうちに食料を蓄えた。それは、この土地で生きていくための知恵というより、もはや習慣だった。
だが、その年は事情が違った。
レインがスラムを追放される二年程前のこと。温暖期に入っても、雨はほとんど降らなかった。畑の土は乾き、川の水位は下がった。王国各地から届く収穫量の知らせも芳しくない。
市場へ並ぶ食料は日に日に値を上げていった。王都の住民ですら、その値札を前に財布の中身を確かめるようになった頃、灰冠街ではすでに、食卓から一品、また一品と料理が消え始めていた。
「これだけか」
レインは地面へ置かれた籠を覗き込んだ。中には、採ってきた野草と、小ぶりな芋が数個。それに木の実が少々。
四人で半日近く歩き回った成果としては、あまりにも心許ない。近くではバルドが肩に担いでいた袋を下ろし、額の汗を腕で拭っていた。
「文句があるなら、お前がもっと見つけろ」
「もう充分探しただろ」
「途中で寝てただろうが」
「少しだけな」
「全然、少しじゃねえよ」
二人の会話を聞き、離れたところにいたニコが笑った。
シオンだけは会話へ加わらず、採ってきた草を一本ずつ確かめている。葉の形、茎の色、根の匂い。似た姿をした毒草が混ざっていないかを、黙々と見分けていた。やがて、その手が止まった。
「このまま寒冷期に入ると、厳しいな」
誰も、すぐには返事をしなかった。
灰冠街の貧困は、以前に比べると少しは解消されていた。
三年前から復旧支援が入るようになり、風雨を凌ぐだけだった粗末な家々にも、少しずつ石壁が増えている。崩れていた道にも土が入れられ、人が通れる程度には整えられていた。
だが、それでも豊かとはほど遠い。王都で食料が高くなれば、灰冠街では食べられなくなる。その差は、昔から変わらなかった。
レインは籠から視線を外した。
「寒冷期までは、まだ少しある」
それが慰めにしかならないことくらい、本人も分かっていた。それでも、何も言わないよりはマシだった。
その時、遠くから蹄の音が近づいてきた。四人が街道へ視線を向けると、一台の馬車が、乾いた道を進んでいた。
王都の近辺ではあまり見かけない、かなり立派な造りだった。車体の外装は黒塗りで金属の装飾が施され、枠の木材も艶の乗っている上等なものを使っている。
馬も毛並みがよく、馬具の装飾まで金の刺繡が施されていた。御者までもが高級な質感の衣服を身に纏っている。
馬車は四人の前を通り過ぎ、そのまま王都へ向かっていった。レインは無意識に、その後ろ姿を目で追った。
「ずいぶん、羽振りがよさそうな馬車だね」
ニコが言った。バルドは鼻を鳴らした。
「そりゃ見れば分かる」
レインは何も言わなかった。少しの間、遠ざかっていく馬車を見つめている。そして、立ち上がった。
「よし、追うぞ」
バルドが眉をひそめた。
「なんでだ」
「まあ、なんとなく」
「一番信用できねえよ。その理由」
そう言いつつ、バルドも立ち上がった。
◇
馬車は王都へ入った。四人は少し距離を取りながら、屋根の上を伝って後を追った。王都の外縁部は、彼らにとって珍しい場所ではない。
幼い頃から、正規の通りより屋根の上や裏路地のほうがよく知っていた。馬車はやがて、一軒の建物の前で止まった。
まだ新しく、白い石を使った外壁と大きな窓。通りに面した看板には、細かな装飾が施されている。
高級そうな見た目の商店。そういう印象だった。馬車から男女が一人ずつ降りる。どちらも仕立てのよい服を着ていた。
その少し後ろに、大柄な男が一人、控えている。おそらく護衛だろう。先ほどの身なりのいい男女とは異なり、粗暴な雰囲気を漂わせている。
向かい側の屋根に身を伏せ、四人はその様子を眺めた。
「何か情報は?」
レインが小声で尋ねる。シオンが視線を動かさないまま答えた。
「最近、王都によく出入りしている富豪だ」
「商人か?」
「それに近い。輸入品、魔獣素材、薬品、貴金属。金になるものには一通り手を出してるらしい」
「節操がないな」
「金持ちなんて、大体そんなもんだろ」
バルドの言葉に、レインは返事をしなかった。シオンは続ける。
「彼らの拠点は王都の外にある。南の森林だ」
王都の南には、大きな河が流れている。その先に広がる森林。かつては往来の難しい場所だった。だが、三年前から橋の建設が始まり、今から一年ほど前に完成している。着工し始めた時期は、灰冠街への復旧支援が入り始めた頃とも重なっていた。
レインはわずかに目を細めた。
「なんか、嫌な感じがするな」
「何がだ」
バルドが聞く。
「まだ、よく分からないけど」
レイン自身、それ以上は説明できなかった。
富豪だから怪しい、金を持っているから悪人。そんな理由で決めつける気はない。それこそ、浅はかすぎてガルドに笑われてしまう。
今はまだ疑惑の段階。これから身辺を洗い出し、証拠を拾い上げていく必要がある。
「寒冷期までは、まだ少し時間がある」
レインは商店へ入っていく男女を見ながら言った。
「探ってみるか」
シオンが小さく頷いた。
「それなら、俺とニコで王都側を調べよう」
シオンの決定にレインは応えた。
「じゃあ、南の森は俺とバルドだな」
「おい。勝手に決めんな」
バルドはそう言ったが、断ることもなかった。
◇
次の日、シオンとニコは服装を変え、行商の兄弟として王都へ入った。荷を背負い、露店商に混ざる。販売許可証も用意していた。もちろん、本物ではない。だが、門番が一目で見破れるような粗雑なものでもなかった。
一方、レインとバルドは、王都を離れて南へ向かっていた。その日の昼間、富豪が王都へ入ったことを確認した上で、大橋を渡る。その先には森林が広がっている。
何があるか分からない以上、二人とも武器を持っていた。
バルドの武器は鉄の棍棒。太く、長く、ひどく重い。地面へ立てれば、足元から腰ほどまで届く。
普通の人間であれば、片手では振ることは愚か、持ち上げることすら難しい。だがバルドは、片手でそれを当然のように担ぎ歩いている。
対して、レインの腰には一本の短剣があった。真っ直ぐな刃を持つ、ごく素朴な造りの短剣。刀身は手首から肘くらいまでの長さ。
柄には無数の傷があり、刃も何度も研がれたせいで、最初に手にした頃より幾分細くなっている。ガルドの形見だ。
新しい武器を手に入れる機会がなかったわけではない。それでもレインは、長くこの短剣を使い続けていた。
森へ入ってしばらくした頃、足元の草が揺れた。レインは立ち止まった。
「何か、来る!」
言い終えると一秒の間もなく、茂みから影が飛び出した。狼に似た魔獣だった。だが、見覚えのある種類ではない。
近郊にも狼型の魔獣は生息している。しかし目の前の個体は、毛の色も、牙の付き方も明らかに違っていた。
魔獣がレインへ飛びかかった。レインはそれを躱し、跳ね上がった勢いのまま身体を半回転させ、伸ばした脚で薙ぎ払った。魔獣は突き飛ばされ、横倒しになる。
間を置かず、抜いた短剣の刃を頭と首の境へ突き立てる。魔獣の身体が一度大きく震え、そのまま動かなくなった。
「こんな奴、今まで見たことあるか?」
レインが聞く。
「たぶん、ねえな」
バルドが答える。直後、別の個体が襲ってきた。棍棒が横薙ぎに振られる。鈍い音が森の中に響き、魔獣の身体が木の幹へ叩きつけられた。
また一頭、さらに一頭と不自然なほど、同じ方向から現れる。二人は、その流れを逆に辿っていった。
そして、周囲に転がる魔獣の数が二十を越えた頃、バルドが足を止めた。肩へ担いだ棍棒には、黒っぽい血が付いている。
「なあ。これ、……倒しすぎじゃねえか?」
レインも立ち止まり、今来た道を振り返った。確かに少し、派手にやりすぎたかもしれない。
「……たぶん、大丈夫だろ。道に迷った旅人がやった、ってことにすればいい」
バルドは少しの間、無言でレインを見た。
「この二十匹近くを、か?」
「腕のいい旅人だったんだろ」
バルドから鼻で笑うような音が聞こえた。
さらに進むと、その先に岩の壁が見えた。木々の間に口を開けた洞窟がある。そこだけが、周囲から切り取られたように不自然だった。
中へ入る。すぐに鉄格子が見えた。檻、その奥にも檻。洞窟の壁に沿うように、いくつも並んでいる。
檻の中には魔獣がいた。三つ目の鳥型、爪が発達した爬虫類型、大きな角の生えた兎型。いずれも、この周辺では見かけない種だった。
だが、外で襲ってきた狼たちとは違う。こちらを見ても、鳴きも威嚇もしない。檻の奥で身体を縮め、怯えた目を向けている。
レインはしばらく黙っていた。
「……趣味が悪いな」
それだけ言った。バルドも返事はしなかった。さらに奥へ進む。
やがて、洞窟には不釣り合いなほど立派な扉へ突き当たった。錆びた青緑色で重厚さを感じさせる作りだ。扉の外周に沿うように規則的な模様が浮き上がっていた。
レインはその扉に耳を当てる。低い音が一定の間隔で響いており、地鳴りのようにも思えた。
「たぶん、いびきだな。でかい魔獣がいる」
バルドの表情が僅かに引きつった。レインは扉へ手を掛けた。ほんの少しだけ開いた隙間から中を、左目で覗く。
レインは隙間から離れ、少し考えた。バルドが尋ねる。
「何が、いたんだよ」
「熊、みたいなやつ」
もう一度、隙間から中を見る。蒼い被毛、背中から伸びた赤い棘。巨大な熊を思わせる魔獣が、部屋の中央で眠っていた。
檻の中に入れられておらず、鎖にも繋がれてない。周囲には食べ残された肉の破片や骨が散らばっている。
そして熊型の魔獣の奥に、一つの扉が見えた。この扉の先に重大な何かがある。レインはそう確信した。だが、ここで踏み込むのは危険だと肌で感じた。
「どうする」
バルドが声を潜める。レインは、また少し考えた。
「今日は、帰るか」
バルドが意外そうにレインを見た。
「ここまで見れば充分だ。シオンたちの情報と合わせてから考える」
「……わかった」
二人が静かに踵を返そうとした、その時だった。
「あなたたち」
すぐ後ろで声がした。男の声にも聞こえたが、どこか女のように甲高い。
レインは考えるより先に動いた。振り返りざまにバルドの腰から棍棒を抜き取った。
「おい——」
バルドの制止は間に合わない。棍棒の先端が男の首筋へ当たり、鈍い音が響いた。
男はその場に崩れ落ちた。白目を剥き、口元には泡が浮かんでいる。レインとバルドは、しばらく無言でその姿を見下ろした。
急に現れたその男は華奢な体格で、血のような赤黒い染みが付いたエプロンを身に着けていた。
「……軽く、のつもりだったんだけど」
「泡、吹いてるぞ」
「お前の棍棒が重すぎるんだろ」
「俺のせいにすんな」
だが、レインの表情からは、いつもの余裕が消えていた。
——接近に気づかなかった。
足音も、呼吸も、衣擦れの音も、何一つ聞こえなかった。人が近づけば、普通なら何かしらの気配を拾う。それが背後に立たれるまで、まったく感じなかった。
「……こいつも、普通じゃないな」
ほど近いところから、何か大きい物が動き出す音がした。扉の奥の魔獣が目を覚ましたのだろうか。二人は顔を見合わせた。
「走るぞ」
レインが言った。返事を待たずに駆け出す。洞窟を抜け、森の中へ飛び出した。
木々の間を走りながら、バルドが声を上げた。
「さっきの奴、一般人だったらどうすんだよ」
レインは前を向いたまま答える。
「……一般人は、魔物を収集したりしない」
「それもそうか」
後ろから返ってきた声に、レインは思わず振り返りそうになる。
「納得するのかよ」
二人の姿は、やがて木々の奥へ消えていった。その遥か後方で洞窟の中から、低く、腹の底へ響くような唸り声が聞こえた。




