エレナの過去2
エレナが生まれ育ったのはルカ共和国とレイバス帝国を遮るように存在する森林地帯、ハイファテイル大森林。その中にあるエルフの里、シュラーデンの里だ。
人口40人ほどの小さな里で、エルフたちは自然と共生して生きてきた。
森の恵みである山菜や果物、川魚、そして猪や鹿、鳥などを必要な分だけ狩り、その全てを余すことなく利用する。長命であるがゆえに傲慢になりがちであるという自らの短所を理解している彼らは自然に対しての感謝を忘れないよう心掛けていた。ただ、延々と同じ日々が続くことに好奇心を失い、木石のようになってしまった者もいるが。
里の中で最も若いエルフであるエレナの精神は人間や獣人とまださほど違いがなかった。人並に喜怒哀楽を感じ、笑い、怒り、泣く。数百年を生き、里でも上から数えた方が早いであろう姉エレノアが感情豊かだったことも影響しているのかもしれない。
エレナは魔法が使えなかった。
通常、エルフは10歳ほどで風魔法か水魔法のどちらか、あるいは両方のスキルを獲得する。自然と共に生き、世界樹を守るという役割を持ったエルフには、その力が与えらえることを誇りに思っていた。
しかしエレナにはそれが与えられなかった。
誰もが使える魔法を与えられなかった欠陥品。それが里でのエレナの扱いだ。
いくら弓の腕が良かろうと、整った顔の多いエルフの中でさえ際立つ器量をしていようと里のエルフはエレナを異物と捉えた。世界樹から力を賜ると信じている彼女達にとって、それは当然の感情であった。
それでも嫌がらせや放逐などがなかったのはエルフが成熟した精神を持つ種族だったから…というよりもエレノアが里屈指の魔法使いだったことが理由だろう。エレノアの逆鱗に触れた時、それを止められる者がいないというのは明白だった。ならば何の害もない、少し出来の悪い欠陥品など無視して生活すれば良い。そう結論付けたのだ。
エレナは28歳まで、人間の精神年齢で言えば15歳くらいまでを里で過ごした。
その間、森で生きていくための知識を姉エレノアから叩き込まれ、姉の友人であり、里一番の狩人であるイゾルデからは狩りの鉄則と弓の扱いを学んだ。
イゾルデは若いエルフ――それでも70歳は超えていたが――ながら弓の扱いは里で右に出る者はなく、そして風魔法はエレノア、そして里長に次ぐ実力を持っていた。そんな優秀なイゾルデが欠陥品であるエレナに手解きしていたのはイゾルデとエレノアが親しい友人関係にあったからだ。
◇
その日、エレナとイゾルデは森に張った結界の様子を見て回っていた。
エルフの里は遥か昔から何かと狙われやすい。それは見目麗しい者ばかりのため性奴隷にするためであったり、ほぼ例外なく魔法の才を持っているため戦奴隷にするためだったり、不老の存在であるエルフの血を飲めば自身も不老になれるという根も葉もないオカルトのためだったりする。
そのように他種族からの欲望、魔の手に晒されているエルフの里だが、壊滅的な被害を受けたことは歴史上ほとんどない。
エルフを捕えようとするなら、森を出た変わり者、あるいは追放者を見つけなければならない。なぜなら里の周囲には世界樹の加護により侵入者を惑わす結界を張っているからだ。
ハイファテイル大森林にはAランクの魔物もそれなりに、Bランク以下に至ってはゴロゴロと生息している。それら強力な魔物の存在が他の人間種を寄せ付けない防波堤の役割を果たしていた。その魔物達も結界のおかげでエルフの里には近付けないのだから、どれほど強固な結界なのか分かろうというものだ。
しかし近年、その結界に綻びが生まれていることを里長をはじめ数人のエルフ達は案じていた。
エルフの結界は認めた者以外を、それが人間種であろうと魔物だろうと迷わせ、最後には元の場所に戻してしまう。だがここ数年、結界内部に魔物が目撃されるようになったのだ。
長い歴史の中で同じようなことは過去にもあったし、目撃される魔物は人間の尺度で測ればEランクやDランクなど弱いものばかりだったため、多くのエルフは気に留めていなかったが、年長で経験の豊富なエルフ達は何か心がざわつくような感覚に襲われていた。
何度目かの結界内での魔物の発見報告後、里長は結界を調査することを決めた。そこで白羽の矢が立ったのがイゾルデであった。そしてイゾルデを師事しているエレナも同行することになった。
季節は冬。
ハイファテイル大森林の北側にそびえる竜鱗山脈。その向こう側にあるドラグ皇国ほどではないが、大森林にも冷たい風が吹き、雪も降る。一面の銀世界をエレナとイゾルデは進む。
やがて見えてきたのは結界の要。世界樹。
全周約300m、高さは1000mに届くか。
世界樹は単なる巨木ではなく、瑞々しいまでの生命力と静謐な気を纏っていた。
その圧倒的な存在感にエレナは言葉を失う。
「これが世界樹……」
「そう言えばエレナは初めてだったね。そう、これが結界の要。私たちの母で、世界を守ってくれる神木だよ」
「魔神の瘴気……」
「そう。世界樹が魔神の残した瘴気から守ってくれている。そのお陰で私達は生きていける。地上の全ての生き物がそう」
「綺麗だね」
「そうだね。私はここから見る世界樹が大好きなんだ。エレナも一人前になればいつでもここに来れるようになるよ」
「……私、魔法使えないから」
「何も魔法だけが全てじゃないさ。エルフの魔法偏重はどうかと思うね。魔法が苦手なら弓を磨けば良い。エレナには弓の才がある。私を超える弓使いになれば頭の固いだってエレナを見直すよ」
「そうだと良いね。でもイゾルデを超えるって、何十年かかるかな」
「ふふ、まぁ頑張り給え。お姉さんは若者の頑張る姿が大好きだよ。さて、それじゃあ結界の調査を始めようか」
イゾルデだってエルフにしては充分に若い部類だが、エレナには大人ぶって振舞うことが多かった。そしてそんな彼女のことがエレナは好きだった。そこには確かに親愛の情があった。
◇
世界樹を調べることしばらく。
世界樹自体には異常が見つからなかった。
しかしイゾルデの表情は暗い。
「どうしたの?異常がないなら良かったんじゃないの?」
「違うよ、エレナ。世界樹は問題ない。結界にも綻びなんてないんだ。それが問題なんだよ」
「どういうこと?」
「結界は正常に動いているのに魔物が入り込んで来ている。偶然なわけはない。偶然だとしてもこんな短期間に重なるわけがない。これは必然だ。結界の対抗策がある……?でも侵入してきた魔物は種類がばらばらだし、そこまで知能が高い魔物はいなかったはず。個別の魔物が結界を突破したと考えるより、何者かの作為を疑う方が自然だ……」
千年以上もエルフの里を守り続けてきた世界樹に不調が起こることは過去にも数度あった。同時に結界は不安定になり、少数ながら招かれざる者の侵入を許すことになった。だがそれも世界樹の不調の原因となる気脈の乱れや魔素濃度の変化などを調整するとすぐに治まる程度のものだった。
しかしイゾルデの見立てでは世界樹にも結界にも全く異常が見られない。
その理由を推測することはイゾルデには出来なかったが、幸いなことに彼女はシュラーデンの里でも有数の知識を持つエルフが友人にいた。
「エレノアに相談してみよう。何か分かるかも」
「……そうだね」
二人は里に急いだ。
一時間ほどかけて戻った里は、死んでいた。
家屋の多くは潰れ、あるいは燃え、あちらこちらにエルフの倒れた姿。血塗れで、恐らく生きてはいまい。
「なんで、こんな…!?」
「エレナ。今は動揺してる場合じゃないよ。冷静になって」
「う、うん」
あまりの光景に取り乱すエレナをイゾルデが窘める。
イゾルデとて受けた衝撃は大きかったが、年長者としての意地、里一番の狩人としての誇り、そして友人の妹を守るという使命感が彼女を支えていた。
周囲を油断なく見回していると微かに戦闘音のようなものが聞こえた。
「エレナはここにいて」
「でも……」
「生き残りがいるかもしれない。探して、助けてあげて。それともこの里のエルフは嫌い?死んじゃえばいい?」
問われたエレナはぶんぶんと顔を横に振る。
「魔法魔法ってうるさいからその内ぶっ叩いてやろうは思ってたけど、死んでほしいとは思ってない」
「はは!それはお姉さんも同感だよ。いいね、馬鹿にしてた奴に助けられて居た堪れなくしてやりな」
「うん!」
走っていくエレナを見送ったイゾルデは笑顔を納め、気を引き締める。
エレナは動揺のあまり気が回っていなかったようだが、襲撃者の死体がない。それは種族として魔法適正が高いエルフが一方的に蹂躙されたという証拠だ。




