戦場の死神
ルーン平原にまた夜の帳が下りる。
辺りは死者の骸で溢れ、緩く吹く風には重い、高濃度の死臭が混じっている。
久々に雲のない夜だった。二つ浮かんだ月の光は淡いが、それでも両軍の偵察部隊に発見される可能性は高まる。今日のところは早めに切り上げよう。そう思い、本日最後のドレインを終えたところで剣戟の音が耳に届いた。
こんな夜更けに戦闘?
偵察部隊同士が鉢合わせでもしたのかね?
取りあえず様子見でもしておきますか。
俺は戦闘の行われているであろう場所まで身を低くして移動する。
辺りを俯瞰出来る小高い丘に辿り着くと眼下の戦闘を観察した。暗視スキルのお陰でだいぶ距離のあるここからでも良く見える。
「偵察部隊同士か?…それにしてもなんだ、あの目立つ鎧は」
偵察部隊は敵に発見されないよう夜間なら黒系統の装備を揃えるのが一般的だ。鎧も暗色の物を使うか、もしくは特殊な塗料を塗って目立たなくする。しかし敵の部隊を見ると白銀の鎧を着ているではないか。あれでは見つけてくれと言っているようなものだ。星明りの下ですら目立つぞ。
ん、白銀の鎧?
「あれ、噂の白騎士部隊か」
敵の友軍に馬鹿みたいに強い白鎧の騎士隊がいるという噂が出回っていたが、あいつらがそうか。
確かに強い。兵数は帝国の歩兵が15人に騎兵が5。敵は騎兵のみで僅か3騎。その3騎で帝国兵を圧倒している。特に漆黒のドレスに白銀の鎧という異世界ならではの戦装束を纏った敵の隊長らしき女騎士は隔絶した力を見せつけていた。大型の槍を振り回す度に帝国兵が吹き飛ばされる様は流石に開いた口が塞がらない。うちのゴリラと良い勝負出来るんじゃないだろうか。
他の二人も黒ドレスには届かないがかなりの使い手のようだ。
一人はかなり小柄の少女で青いドレス、もう一人は細身な優男で白い騎士服の上にそれぞれ白銀の鎧を纏っている。この世界じゃドレスアーマーって普通なのかね?
いや、帝国では見たことなかったから国によって特色があるってことか。ちなみに青ドレスはハルバート、男の方はロングソードを得物としていた。
ともあれ尋常ではない戦闘力を持った3人に帝国兵は為す術もなく蹂躙されてしまった。
俺に愛国心か無鉄砲さか全てを跪かせるような強さがあれば助けに入ったかもしれないが、生憎とどれも持ち合わせていない。情報だけ持ち帰ってゴリラに恩を売っておくか。
そう思ってその場を離れようとした時だ。
黒ドレスの眼がこちらを見た気がした。
……まさか気づかれた?
いやいや、100mは離れている上にこちらは哨戒用のローブまで着てるんだぞ?
そう簡単に見つかるわけが――
「……ッ!?」
突如脳内で大音量の警報が鳴り響く。実際に音が鳴っている訳ではない。そういうイメージがしたのだ。
直感的にこれが危機感知スキルの効果だと理解する。
これほどの警告。何に対して?
決まっている。100m先で、大型の槍を手に、投擲態勢に入った、あの化け物に対してだ!
槍が放たれる。
◇
その槍は名槍ではなかった。
彼女にしてみればありふれた使い捨ての一本。
事実多くの王国騎士の所持している槍と比較してもそう違いはない。
ただ使い手が尋常ではなかった。
一流と評することすら生温い。
超一流、あるいは人外の化け物。
そんな彼女の手から、その槍は放たれた。
◇
反応出来たのはまさしく奇跡。
黒ドレスが投擲した槍は空気抵抗も重力も影響しないかと錯覚するような速度で、正確さで、俺の心臓を目掛けて飛来した。
砲撃にも等しいその穂先の横腹に剣を叩き付け、どうにか軌道を逸らそうとする。
剣術、体術、身体強化、剛力全てのスキルをフルアクセルで使用し、死に物狂いで力を籠める。
「ぐぎぎ…!!」
槍と接している剣から伝わるのは圧倒的な質量感。まるで大木を相手に剣を叩き付けているのかと錯覚しそうなくらいにびくともしない。それだけの運動エネルギーが込められているということか。
だが槍の軌道を逸らせなければ俺は胸に大穴を空けることになる。そんなのは御免だ。
「ぐぅぅあああああ!!」
渾身の力を込めて、余剰生命力も全て剛力スキルに喰わせてどうにか僅かにだけ軌道を逸らすことに成功した。俺の身体スレスレを掠めて通り過ぎた槍は、背後20m付近に着弾すると盛大な爆発音と土煙が上がった。
「ははっ、どうだよ、やってやったぜ――おい……おいおいおい!嘘だろ!?」
足元、と言うか文字通り胸元まで迫っていた生命の危機を脱して引き攣った笑みを浮かべた俺は、黒ドレスの方に視線を向けて顔を青くして叫んだ。なぜならそこには二本目の――帝国兵から奪った――槍を構える黒ドレスの姿があったからだ。
二本目の槍が放たれる。
腕は痺れ、剣には罅、余剰生命力はすっからかんで剛力スキルは使えない。一発目のような迎撃は不可能。
なら躱すしかない。
大丈夫、一度はた。黒ドレスは化け物級の槍使いだ。二本目の槍は一本目と寸分違わぬ軌道、そして速度で迫ってくる。だが、だからこそ予測が立てやすい。
左足を一歩引いて身体を半身に。更に上半身を反らせる。
その最小限の回避行動を取ったまさに次の瞬間、二本目の槍が俺の身体を掠めて後方へ抜けて行った。着弾。爆音。
しかし俺はその爆音に目を向けることなく黒ドレス達とは反対方向に走り出す。
どうせこれを躱したところで帝国兵の槍を使って三本目、四本目が来るのだ。なら少しでも距離を取らなければ。幸い夜明けも近い。流石に3騎のみで追撃してくるなんてことはないと思う。
いや、余計なことは考えるな。まずは逃げる。それだけ考えろ。
一瞬振り返ると黒ドレスがにやりと笑ったような…。この距離では表情までは見えないのだが、不思議とそんな気がした。
◇
槍の砲撃は六発に及んだ。
軌道を逸らしたのは最初の一発のみで残り五発は全て躱した。
いや、五発目は躱しきれずに右の二の腕の肉を半分持っていかれたのだが、運良く近くに転がっていた兵士の死体から生命力を補充して回復した。帝国兵の死体だったが非常事態だ。彼もきっと許してくれるだろう。呪ったりしないでくれよ?
蹄の音は聞こえないので追っては来ないようだ。距離も多分1kmくらいは離れたはず。
「はぁはぁはぁ……助かった、か…」
バタリ、と岩の陰で倒れ込む。
精神的にも肉体的にも限界だった。
死が槍の形をとって迫って来る恐怖。無理無理。吐くわ。
「う、げぇ…」
吐いた。戦場に出て二度目のリバースだちくしょう。
黒ドレスの外見を思い出す。
黒いドレスに白銀の鎧。アッシュグレーの長髪。あれは化け物だ。もしくは死神だ。今後見かけても絶対に近づかないようにしよう。そう心に誓いながら、色々と限界を迎えた俺の意識はそこで途切れた。
◇
黒と白銀で構成されたドレスアーマーを着た女騎士は、その長い髪を揺らしながらため息を吐いた。
「はぁ……」
「クレア様?」
「サーシャ、槍はもういいわ」
「はい。仕留めたのですね」
サーシャと呼ばれたのは青いドレスを着た空色の髪を後ろで結んだ少女。
彼女はクレアに投擲するための槍を渡していたが、もう必要ないと言われ、当然のようにクレアが敵を仕留めたものと判断した。クレアの槍の腕前は普段から間近で見ているサーシャにとっても常に驚嘆させられるものだった。故にクレアがたった一人の敵を逃すなど思いもしなかった。
だからこそ、クレアの返答に間抜けな声を出した。
「逃げられた。もう射程外ね」
「ファッ?」
「ファッ、ってなに?というか、ふふっ、変な顔しないで!」
サーシャの呆けた顔に堪えきれずクレアが噴き出す。
「え、いや、逃げられたんですか?クレア様が?あ、もしかして何か狙いがあってわざと逃がしたんですか?」
「いいえ、普通に殺すつもりだったわ。何者かしらね、彼?」
「我らが姫騎士様から逃げおおせるとは要注意だなぁ、あいつ」
そう軽い口調で言うのは白い騎士服を着た空色の髪の青年だ。顔の造形は整っているがにやにやとした笑いを浮かべており、軽薄な印象がある。そして生真面目な性格のサーシャとは正反対であるが、この二人は実の兄妹であった。
ともすれば仕えるべき主を責めるようにも聞こえる言葉を発した兄をサーシャは窘める。
「兄さん、クレア様に失礼ですよ」
「バカだな、敵戦力の冷静な評価は必要だろ。それにお嬢はこんなことで機嫌悪くなるほど狭量じゃねぇよ。なー、お嬢?」
そう言って気安くクレアの肩に腕を回そうとする青年。
しかしその腕をクレアはスルリと躱し、馬に騎乗する。
「じゃれあってないで帰還するわよ、サーシャ、ウィル。今日は時間切れ」
「はい、クレア様」
「りょーかいだ、お嬢」
3人の任務は少数精鋭による、自らを餌とした釣り。
白銀の鎧を纏い、敵警戒網の付近を移動する。そして3人を発見して接近してきた敵部隊を狩る。
危険極まりない任務であるが、突出した強さを誇るこの3人には可能であるというのが彼らの部隊全員の共通認識だ。
事実、この夜だけで帝国兵を50人以上も屠っていた。
馬上でクレアはこの日唯一取り逃がした帝国兵について考える。
(私の槍を初見で弾くほどの技量、そして不利と悟ると迷いなく戦線離脱を選択する判断力。今はまだ私の方が強いでしょうけれど、ああいう良い意味でプライドのない者は成長するのも早い。剛猿をはじめとした四獣といい、帝国には厄介な人材が多くて困るわね)
「ふふっ」
「クレア様、楽しそうですね」
「そっとしとけ。ありゃ新しいおもちゃ見つけた時の顔だ。変にテンション上がってるから下手につつくと模擬戦しようとか言い始めるぞ」
兄妹はこそこそと小声で話すが、残念ながらその声はクレアに届いていた。
「あらウィル、偶には良い事を言うわね。野営地に戻ったらヤるわよ。私さっきので自信なくしちゃったからちょっと長めに付き合ってもらうわね?」
「勘弁してくれ、お嬢の訓練に付き合ってたら身体がもたねえよ」
「クレア様クレア様!私は!?」
「もちろんサーシャも一緒よ」
「はいっ、頑張ります!」
「おめーは何でそんなに嬉しそうなんだよ…」
ゲンナリとした様子のウィルを置いて2人は馬を駆る。
(あれほどの才覚。加えて戦場で単独行動を許される立場。恐らくあの帝国兵は精鋭部隊の所属ね。同盟国であるアルヘイム王国に対して最低限の義理立てで夜間の偵察隊狩りだけしてたけど、あんな面白い人材がいるのなら昼間の戦争に出るのも面白いかもしれない)
そんなことを思っていたクレアだが、彼女は知らない。
件の帝国兵が実は無断で戦場に出ていた下っ端兵士であることを。昼間は雑用をこなしており戦場には出ないことを。
そして、その兵士がこの日を境に戦場から姿を消してしまうことを。




