無垢な娼婦
ミリーシアはトーカと別れた後、しばしロビーでその背中を追っていた。
娼館に身を寄せ、娼婦となって十年ほど。
様々な男、時には女と閨を共にしてきたがトーカのような客は初めてだった。
ミリーシアは相手の感情を読み取ることが得意だった。いや得意という次元ではなく、自然と手に取るように分るのだ。
口元や視線、頬の筋肉の些細な動き。
声の高低、声量、安定感。
体臭、仕草、その他様々な情報が教えてくれる。
その情報を元に相手が喜ぶような話題を提供し、話しやすい雰囲気を作り、不快に思う一切の言動を排除する。
そして同じようにどこが感じ、どのように身体を使えば満足させられるかを見つけ出す。
最初のうちは経験の浅さから読み違えたり、読めていても身体の使い方がぎこちなくて失敗したこともあったが、数年も経てば初対面の堅物ですら骨抜きにする実力になった。充分に経験を積んだ現在なら何をいわんや、である。
店の副支配人に乞われ、その特技を他の娼婦に教えたこともある。
ミリーシアの教えを不要だと切り捨てた者、自分には出来ないと諦めた者、少しでも実力を高めたいと食いついて来た者。様々だったが、ミリーシアほどにその技術を扱える者は現れなかった。しかし、僅かばかりでも技術を学んだ娼婦たちは瞬く間に評判を上げて売上を伸ばしていった。
感情の機微を解するミリーシアは常に相手の求める最適の行動を取っていた。
従順さを求めるならより従順に。
淫乱さを求めるならより淫乱に。
癒し。知性。恥じらい。母性。純愛。特殊性癖。およそ求められるもの全てに応えた。
無論、暴力など自身の価値が下がるものには応えるつもりはなかったが、幸いエンジェルリップではそのような程度の低い客はお断りと明言している。
娼婦は客を満足させて当然。客を想定以上に満足させてようやく一人前。
その意識に疑いなどない。偽りなく誇りを持っている。
しかし昨夜のトーカとの睦み合いはどうだっただろうか。
いつも通り最上のもてなしをしたはずだった。だが途中からこちらの感じる場所を探られ、執拗に舐られ、突かれ、絶頂させられた。普段ならばそう易々と見つけ出させない弱点を次々と暴かれたのは初めての経験だった。
意地か、見栄か、よく分からない感情に支配されて表面上は冷静に取り繕っていたが、実際は身体の中は快感で溢れ、心まで溶かすような甘い電流に身を任せてしまいたくなった。
計三回の頂きに導いた後、まだ硬く、臨戦態勢のソレを見た時、ミリーシアは絶望を味わった。
普段ならもう何度かは問題なく受け止められた。だがその日はどうにも体調が優れず、その上予想外に身体を酷使したことで、これ以上は最高のパフォーマンスを維持できないと理解していたからだ。
(なんと情けない)
口での一回と中での二回は最高のパフォーマンスを発揮できたと自負している。だがもう一度交われば先程の80%程度の実力しか出せない。そうなればトーカはこう思うかもしれない。「さっきのはマグレだったのか」と。それは娼婦として、女として耐えられない。
そんな内心の絶望感をおくびにも出さず「まだお元気そうですね。どうぞいらっしゃってください…」と口調は丁寧に、脚は大胆に広げて淫乱に、トーカの好みであろう誘いをかける。娼婦が十全の力を発揮できないからといって客を満足させられないなど、彼女の誇りが許さないのだ。
だがそんな彼女にかけられた言葉は「…次は胸でしてくれませんか?」というものだった。
確かにトーカの視線は何度も胸に注がれていたし、いずれは胸での奉仕も希望しただろう。しかしつい先程、自分で言うのもなんだが、最高の肉壺を味わった直後でそんなことを言うだろうか。余力があるならもう一度その快楽を貪りたいと思うのが自然のはず。少なくとも彼女の経験ではそうだった。
「私は、お気に召しませんでしたか?」
「いえ、最高でしたよ!ただ、ミリーシアさんの胸もすごく魅力的で…。次が限界みたいなんで、最後は胸でお願いしたいんです」
その言葉は嘘と本当が混じっていた。
最高だったというのは本当。
胸が魅力的というのも本当。
次が限界というのが嘘。
この時点でミリーシアは理解した。
(私を気遣って、嘘を…?)
他の客からの提案であれば見縊られたと感じたかもしれない。
けれどトーカの気遣いはまったく嫌な気持ちにならず、それどころか胸の奥からポカポカと暖かいものが次々と湧き上がってくる始末だった。
娼婦と客という関係上、どうしても客は娼婦に対して優越感を覚えたり支配欲を満足させようとする。中には無意識での侮り、蔑視を向けてくる者もいる。
それが嫌だとは思わない。一夜の夢を買うために必死に働いて高い料金を払うのだ。当然の権利だとも思う。
それでも嘘偽りなく、下心すらなくこちらを思いやってくれる言葉だったからこそ、キた。
相手の感情を正確に読み取れるからこそ、ベッドの上で純粋な厚意に触れる機会がなかったからこそ、そんな些細な気遣いが嬉しかった。
昨夜のことを思い出してミリーシアは一人、身悶えるように身体を震わせた。
情けなくも昨夜は体力が尽きてトーカより先に眠ってしまった。その失態を挽回するにはまた来店してもらい、指名して貰わなければならない。口約束だがトーカはまた来てくれると言ってくれた。約束を無下にするタイプとも思えなかったのできっと来てくれるだろう。
客に恋をするような新米ではない。
しかしこれほど好ましく思う客は初めてだった。
「ふふ」
妖艶に、だが無垢な少女のように微笑む。次はどのようなおもてなしをしようか、と。
ミリーシアはいつもより少し軽い足取りで戻って行った。




