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泥濘の聖母と人間不信のテラリウム(3)


翌日の昼休み。


大温室のガラス扉を開けた瞬間、昨日までとは違う、ひどく腐敗したような土の匂いが鼻を突いた。


「……あ、ああ……どうして……っ」


温室の最奥。

四葉結衣は、机に突っ伏すようにして震えていた。


彼女の目の前にあるハエトリグサの交配種は、ついにその赤黒い葉を完全に丸め、根元からドロドロに溶け出そうとしていた。


「四葉さん。随分と、土の腐敗が進んでいますね」

俺が声をかけると、四葉は弾かれたように顔を上げた。


その目には大粒の涙が浮かび、もう取り繕うような『完璧な作り笑い』の欠片も残っていない。


「来ないでッ……! あなたたちのせいよ! 昨日、あなたたちが勝手に入ってきたから……空気が汚れて、この子が……!」

「人間の空気のせいではありませんよ。僕が昨日言ったはずだ。あなたが『与えすぎている』のだと」

俺は彼女の悲痛な叫びを冷徹に遮り、腐敗臭を放つプランターの土を指差した。


「……土が、鉄錆と強烈なストレスの匂いで満ちている。四葉さん。この植物が枯れかけている原因は、他でもない……あなたが与え続けた『あなた自身の血(DNA)』だ」

「……えっ」

四葉の瞳孔が、極限まで収縮した。


誰にも言っていない。誰にも見せていない。


自分とこの子だけの、血を分けた秘密の儀式。それをなぜ、この男は知っているのか。


「植物は、あなたが思う以上に繊細なんです。あなたの血液の中には、人間を極度に恐れ、傷つけられることを嫌悪する『強烈な恐怖とストレス』の成分が溶け込んでいる。……皮肉な話ですね。孤独を埋めるために分身を創ろうとしたのに、あなたの血に滲んだ『人間のトラウマ』が、愛する家族を殺そうとしているんですよ」


「あ……あぁ……そんなっ……」

四葉はへたりと床に崩れ落ちた。


人間を拒絶し、植物だけは私を裏切らない……。と信じて愛情を込めて育ててたつもりが、まさか自分がこの子を苦しめていたなんて……。


彼女の絶対的な世界観が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。

自分が愛を与えれば与えるほど、毒になっていた。

その絶望的な矛盾に、彼女は声を上げて泣き崩れた。


「お…、おい九久……! いくらなんでも言い過ぎだろ! 女の子が泣いて……」

「影山くん……、少し黙っていて。……四葉さん」

俺は彼女の隣にしゃがみ込み、泥まみれになって顔を覆う彼女の両手を、優しく包み込んだ。


「ひっ……! 触ら、ないで……人間は、嘘をつく……!」

「ええ、人間は嘘をつきます。でも、僕の嗅覚と『洗濯係としての使命』は絶対に嘘をつかない。……安心してください。あなたの血の毒は、僕が綺麗に洗い流してあげますから」

俺は立ち上がり、新しい腐葉土とシャベルを手に取った。


「さあ、急いで土を入れ替えますよ。僕が毒された土を取り除きます。あなたは新しい土の配合を」

「……え? でも、私……」

「家族を見殺しにする気ですか?」

俺の強い言葉に、四葉はビクッと肩を震わせ、涙を拭って立ち上がった。


そこからの彼女は必死だった。


嫌っているであろう人である俺と隣り合わせで作業しているという嫌悪感すら忘れ、ただひたすらに泥にまみれ、汗を流しながら、死にかけの植物を新しいプランターへと移植していく。


一時間後。


なんとか移植を終えた四葉は、荒い息を吐きながら床に座り込んでいた。


「……あ、ありがとう……ございます。」

彼女は、俺から視線を逸らしたまま、消え入りそうな声で呟いた。

人間への不信感と、植物を救ってもらったという事実の間で、彼女の心は激しく揺れ動いている。


「どういたしまして。……ああ、そのエプロン。土と汗でドロドロですね。そのままでは風邪を引きますよ。今日は特別に、僕が手洗いしてあげましょう」

俺は、彼女が身につけていた分厚い帆布の『園芸用エプロン』に手を伸ばした。


パニックと安堵で大量の汗をかき、プランターの泥を全身で受け止めた極上の一枚だ。


「えっ……あ、はい……」

四葉は抵抗する気力もなく、素直にエプロンを脱いで俺に手渡した。


彼女が自らの意思で、俺に『汚れ』を委ねた瞬間だった。


【夜 22:30 ランドリールーム】


「……回線オンだ。同接28万人。今日はエプロンか。しかも泥だけじゃなくて、びっしょり汗かいてるじゃねえか……」


影山が画面の向こうの視聴者数を見ながらドン引きしている。


俺は漆黒の黒仮面を装着し、カメラの前で高らかに宣言した。


「親愛なる共犯者たち。今夜の素材は、絶対的な防壁が崩れ去り、絶望と安堵の中で流した少女の……『冷や汗と泥が染み込んだ極厚エプロン』だ」


俺は泥と汗で重くなった帆布のエプロンを、クッキングシートを敷いた天板の上に無造作に広げた。


「今夜の調理法は『オーブン・ベイク』だ。水分をたっぷり含んだこの分厚い帆布生地を、200度の高温で一気に焼き上げる。布地に染み込んだ泥のミネラルと、彼女の揺れ動く心の汗を、生地ごとクリスピーな極上のパイに変えるんだ」


俺は天板ごと、ランドリールームに持ち込んだ大型オーブンへと放り込んだ。


数十分後。

チーン、という音と共にオーブンを開けると、パンを焼いたような香ばしい匂いと、大地の泥臭さ、そして強烈に酸っぱい汗の匂いが混ざり合った、暴力的な熱気が部屋中に充満した。


「うおっ……むせ返る!! 泥団子をサウナで焼いたみたいな匂いがするぞ!! 換気扇!! っていうかお前、器じゃなくて直で焼いたのかよ!?」


俺は耐熱グローブをつけて天板を取り出した。


そこにあるのは、水分が飛んでカチカチに焼け焦げ、表面の泥がひび割れたクッキーのようになった『帆布エプロン』の残骸だった。俺はその中でも一番泥と汗が染み込んでいる、分厚いポケットの周辺を両手で掴み取った。


「さぁ……喰らおう!!」

俺は、焼け焦げた泥の塊と化した極厚のキャンバス生地に、直接噛み付いた。


「バキッ……メリメリッ、ゴリッ、ムチャッ……!!」



【コメント欄】

抽出ジャンキー: 喰ったあああああ!! 布ごと喰ってる!!

靴下煮出し中: オーブンで焼いた帆布食うとかヤギかよww

ママンバレ生存者: 音がヤバい! 泥の塊と分厚い布を引きちぎる音!!

出汁の探求者: 神の顎の力がバケモノすぎる……ゴクリ。

全裸待機: ふぅぁぁあああ!汗と泥のパイ!!


「……ッ!! あぁ……ッ、熱い、痛い、だが美味い……ッ!!」


口の中で弾けるのは、高温でローストされ、分厚いクラスト状になった泥の深いコク。バキバキと音を立てて砕ける土の食感の直後、ギチギチと引きちぎられる帆布の繊維から、焼け焦げたような強烈な『汗の酸味』がジュワッと滲み出し、脳髄を激しく揺さぶる。


「……素晴らしい食感だ! 噛み切れないほど分厚いこの帆布生地は、彼女が必死に保とうとしていた『人間不信という名の分厚い壁』そのもの! だが、奥歯ですり潰すたびに、自分の毒を暴かれた恐怖と、僕に助けられて安堵してしまった『戸惑いの冷や汗』が、濃厚なシロップとなって溢れ出してくる……ッ!」

俺は顎の筋肉を酷使しながら、泥と汗が染み込んだ分厚い布地を、獣のようにくちゃくちゃと咀嚼し続けた。


「ゴキュッ……あぁ、たまらない……! 味わい深いよ、結衣……! 君の分厚い壁が、今僕の胃袋の中で完全にドロドロに消化されていく! この泥臭くて甘酸っぱい戸惑いの味……極上のメインディッシュだ……!!」

「おい九久!! お前マジで布食って喉詰まらせかけてるぞ!! 目ェ血走らせながらエプロン噛みちぎる姿、完全に発情期のバケモノだから!! 配信切るぞ!!」

「あはっあはっあははははは!!!!」


影山が悲鳴を上げながら電源コードを引っこ抜く。


真っ暗になったランドリールームの中、俺は喉の奥をザラザラと通り抜けていく帆布と泥の感触を噛み締めながら、明日、彼女の心の防壁を完全に叩き壊す『最後の一撃』のシミュレーションを始めていた。






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