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泥濘の聖母と人間不信のテラリウム(1)



一条蓮の『生命の滓』を最後の一滴まで胃袋に収めてから数日後。



「……おい九久。さっき廊下ですれ違った一条、お前の顔を見た瞬間、ボフッて音が出るくらい顔真っ赤にしてたぞ。しかも『あ、あのっ、今日のインナーも……よろしくなっ!』って、お前、一体どんな魔法使ったんだよ」

昼休みの廊下。台車を押す俺の横で、影山が心底気味が悪そうに肩をさすっていた。


「魔法なんかじゃないさ、影山くん。僕はただ、彼女の一番深い熱を全身で受け止め、理解し、血肉に変えただけだ。彼女の孤独な魂は、今も僕の胃壁で温かく脈打っているよ」

「その爽やかな笑顔でサイコパスな事実を包み隠すのやめろ! お前がやってるのは物理的な消化吸収だろ! あの男勝りな一条が、完全に飼い主に懐いたメス犬みたいになってるじゃねえか」

「最高の賛辞だね。だが、極上の油を堪能した今、僕の舌が求めているのは……大地の恵み(ミネラル)だ」


俺たちが向かったのは、学園の敷地の最奥に位置する第3班のテリトリー、『大温室』。


重いガラス扉を開けて足を踏み入れると、むせ返るような緑の匂いと、湿った土の香りが充満していた。


「うわっ、すげえ湿度……。メガネが曇るぞ」

「静かに。……妖精が怯えてしまう」


色とりどりの植物に囲まれた奥の区画。そこに、土にまみれながら花に語りかけている少女がいた。

四葉結衣よつば ゆい


『泥濘の聖母』と呼ばれる彼女は、アインズ更生学園の中でも一際異彩を放つ存在だ。人間とのコミュニケーションが苦手で、ただひたすらに植物の世話だけをして生きている。


「……いい子ね。今日も綺麗に咲いてくれてありがとう。人間たちには、絶対に見せないからね」

彼女は愛おしそうに葉を撫でている。


俺はゆっくりと歩み寄り、声をかけた。

「四葉さん、こんにちは。第3班の洗濯物の回収に来ました」


ビクッ!!


四葉の肩が大きく跳ね、彼女はサッと花を背中で庇うように振り返った。


「……来ないで」

「驚かせてすみません。カゴを預かりに……」

「そこに置いて。……人間は、土を踏まないで。汚いから」


一切こちらと目を合わせず、底冷えするような声で彼女は言い放つ。その瞳には、明確な『人間への恐怖と拒絶』が宿っていた。


だが、俺の視線は彼女の瞳ではなく、足元へ向けられていた。


長靴から脱ぎ捨てられたばかりの、泥でドロドロになった分厚い白い靴下。長時間の農作業でゴム長靴の中に密閉され、彼女の足の汗と泥が完全に一体化した、極上の熟成物だ。


「おい九久、さっさとカゴだけ回収して出ようぜ。あいつ、ガチで俺たちのことバイ菌扱いして……って、お前何してんだよ!」

「……おや、足元に綺麗な石が落ちていましたよ」

「は?」

俺は影山の背中に隠れるようにしゃがみ込み、床に転がっていた彼女の泥まみれの靴下を、用意していたダミーと0秒スワップで回収した。


「……帰って。早く」

「承知しました。植物たちの邪魔にならないよう、すぐに失礼しますよ」


温室を出た後、俺は制服のポケットの中で、ズッシリと重く湿った泥靴下の感触を確かめた。


「……素晴らしいよ、影山くん。土の匂いに隠れて、長靴の中で蒸れ切った彼女の怯えた汗の匂いが、しっかりと発酵している」


「お前、あんな一瞬で他人の靴下取れる才能、もっと別のことに使えよ……」



【夜 22:30 禁断のランドリールーム】


「……回線オンだ。同接20万人。一条の件から連続して、みんなお前の胃袋がどうぶっ壊れるか期待してるぞ。正直俺も同じ気持ちだ」


影山がタブレットを見ながら深いため息をつく。


俺は漆黒の黒仮面を装着し、カメラの前に立った。


「親愛なる共犯者たち。今夜の素材は、人間を拒絶し、泥に塗れることを選んだ『聖母』の足元を支え続けた、濃厚な熟成靴下だ」

俺は用意した透明なガラス製の大型ドリッパーに、泥まみれの靴下をそのまま丸めて詰め込んだ。


「おい、なんだその器具。コーヒーでも淹れる気か?」


「今夜の抽出法は『コールド・ドリップ(水出し)』さ。熱は加えない。彼女の冷たく閉ざされた心を理解するために、氷水を使って時間をかけてじっくりと、泥と汗のエッセンスだけを抽出するんだ」


靴下の上に氷を敷き詰め、一滴、また一滴と冷水が滴り落ちる。


分厚い布地に染み込んだ足の汗と、大地の泥が冷水に溶け出し、琥珀色の泥水となってビーカーの底へポタポタと溜まっていく。


「……うわぁ。見た目が完全にドブ水だぞ。お前、一条のオイルの次は泥水すする気かよ。腹壊すどころか寄生虫湧くって!」

「黙って見ていたまえ、共犯者くん。この冷たい泥の底にこそ、彼女の真実がある」


俺はビーカーに溜まった琥珀色の泥水をワイングラスに注ぎ、カメラに向かって掲げた。


「さぁ……喰らおう」


俺はグラスを傾け、冷え切った泥水を一気に喉の奥へ流し込んだ。


「ゴクッ……ズルッ、ゴクン……!!」



【コメント欄】

抽出ジャンキー: 飲んだあああああ!! 泥水!!

靴下煮出し中: ドリッパーで靴下の泥水作って飲むとか狂気すぎるww

ママンバレ生存者: 生食の次は生泥水かよ!! 神の胃袋どうなってんだ!!

出汁の探求者: 神の顔が……!! 味わってるぞ!!


「……ッ!! あぁ……冷たい……!!」


舌の上を転がるのは、紛れもない土の味。強烈な泥臭さと、長靴の中で蒸れきった足の汗の酸味が、氷水によって研ぎ澄まされ、容赦なく鼻腔を突き抜ける。


「ぐえっ……お前、マジで飲んだのか……匂いだけで俺、吐きそうなんだけど……」

「……なんだ、このしょっぱさは」

「そりゃ足の汗の塩分だろ! 当たり前だ!」

「違う。これは汗じゃない。もっと純粋で、悲痛な……涙だ」


俺は泥水を舌で転がしながら、じっくりとその成分を分析していく。


「……素晴らしい。人間関係で極限まで擦り切れ、植物に逃避するしかなかった少女の、ドス黒い絶望の味だ。長靴の中で密閉された足の汗が、土のバクテリアと混ざり合って、まるで極上の腐葉土コンポストのように酸っぱく発酵している……ッ!」


俺は口の周りを泥で汚しながら、恍惚とした表情でグラスに残った泥水に舌を突っ込み、内側にへばりついた泥の粒まで執拗に舐め回した。


「ズズッ……ジュルルッ……! あぁ、たまらない……!」


「おい、やめろ! 絵面が最悪すぎる! 泥舐め回して喜んでる狂人じゃねえか!」

「他人を恐れる怯えた汗が、喉の奥にねっとりと絡みついてくる……。この自己評価の低さ、この卑屈な泥の味……! 最高の肥料だ。もっとだ、彼女の孤独な『生命の滓』を、残さず僕の胃袋で発酵させてくれ……!!」

「お前、マジでただのキモい変態になってるぞ!! 泥水舐め回して恍惚とすんな!! 画面が放送事故すぎるから切るぞ!!」


影山がドン引きしながら電源コードを引き抜く。


真っ暗になったランドリールームの中、俺は舌に残った泥と足の汗の酸っぱい余韻をくちゃくちゃと噛み締めながら、ただひたすらに、その「絶望の味」を堪能し続けていた。





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